14-9

「ジューン、きみは今、男爵夫人と言ったかな? エドマンドくんと結婚して男爵夫人になるというのは間違っている」

 ジューンは意味が分からず、不安に陥りながら答えた。

「ええと、今は違うけれど、ゆくゆくは……ということです」

「ゆくゆくも男爵夫人になることはない。エドマンドくんは四男だよ。爵位を継ぐことはない」

 サー・ウォルターはきっぱりと言った。ジューンはえっと声にならない声を上げた。

 なぜ、認識が食い違っているのかが分からなかった。混乱するジューンを前に、サー・ウォルターは呆れたのか、安堵したのか、わずかに肩を揺らして笑っていた。

「ジューンは彼を長男だと思っていたのかい? それで、男爵夫人は荷が重いと?」

「はい……」

 ジューンは頭の中で、記憶を引っ張り出した。ラングリー氏はたしかに、エドマンドが爵位を継ぐと言った。伯爵令嬢との婚約が、すでに決定しているかのように話していたラングリー氏が……。

「なぜそんな勘違いを?」

 サー・ウォルターが尋ねた。状況を理解しようと頭を巡らしていたジューンは、それで我に返った。

「……わかりません。思い込み……でしょうか」

 とっさの嘘はそれぐらいしか出なかった。呆然としているジューンに、サー・ウォルターは気遣わしげになり、少し微笑んで見せた。

「エドマンドくんと、家族の話はあまりしないのかな? 彼は身分を隠していたから無理もない。ネザーポート屋敷がホワイトストン男爵家の本邸ではないというのは分かるかい?」

 ジューンはラングリー氏のことを考えるのをやめ、会話について行くために頭を切り替えた。

「たしか、本邸はノーフォーク州だとか」

 サー・ウォルターは頷いた。

「ホワイトストン卿は最初の夫人を病気で亡くされていてね。前の夫人との間にご子息が三人いらっしゃる。再婚されたのが今の夫人でエドマンドくんの母君だが、出身階級の問題でノーフォークのホワイトストン家とは疎遠になっているらしい。本邸には幼いころ僅かな期間しか住んだことがないそうだよ。あとはロンドンの別宅に母君と住んで、ホワイトストン卿はノーフォークと行ったり来たりだったそうだ。ネザーポート屋敷を買ったのは、長男の結婚を機にノーフォークの屋敷を長男に譲って、妻の実家の近くで半隠居生活を送るためということだよ」

 ジューンは初めて聞く内容を理解しようと意識を集中していた。サー・ウォルターの話はエドマンドの印象と符合して、すべてが納得できる気がした。

「そうだったのですね……。では……ホワイトストンさまは男爵家を継がない」

 たしかに、重圧が取れるような感覚がした。軽くなった胸の奥から、ほのかな喜びのようなものが顔を出している。

「その通りだ」

 サー・ウォルターがにっこりと微笑んだ。ジューンはまったくの無意識のうちに、微笑み返していた。

 次の瞬間、強烈な罪悪感が、胸をえぐり返してきた。今、わたしは笑った? 信じられない! ジューンは吐き気をもよおし、それが収まると、身体中がぱんぱんに後ろめたさで一杯になっていた。

「いいえ、だからといって、同じことです。わたしにとって有利で、ホワイトストンさまにとっては不利。彼を引きずり下ろすような真似はできません」

 ジューンは必死に弁解をしていた。わたしは彼が跡継ぎでないことを喜んだわけではない。図々しくも結婚してよいと思ったわけではないのだと、なんとかしてサー・ウォルターに分かってほしかった。

「引きずり下ろすって……、そんなに釣り合っていないかなあ……」

 サー・ウォルターは苦笑いしながら首を傾げた。ジューンは一瞬、エドマンドが馬鹿にされたと思った。上流の方たちにとって、長男と次男以下というのは天と地ほども差があるのだ。

「ホワイトストンさまは立派な方です。長男じゃなくても、ちゃんとした女性がふさわしい方です!」

 ジューンは力を込めて言った。

「ちゃんとした家柄で、ちゃんとした家族がいて、ちゃんと持参金があって、……できれば美人で……、け、ケイトさまみたいな……」

「ケイト?」

 サー・ウォルターが呆れたような笑みを浮かべた。ジューンはあわてて訂正した。

「いえ、あの、ケイトさまご本人ではなくて、『みたいな』です。例えです」

 ネザーポート屋敷の改装工事が始まったとき、ミセス・マイヤーの話では、ジューンの情報を聞いてブルームフィールド夫人は興味を示されたとのことだった。なのに、その後ホワイトストン男爵家の子息の話題を聞かなかったのは、エドマンドが四男だったからなのだ。男爵家の家族構成なら、貴族名鑑を見ればすぐに分かる。長男ではないという時点で、エドマンドはケイトの婚約者候補からはとうに外れていたのだろう。


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