14-8
「す、すみません……」
ジューンは一緒に笑うべきなのかどうかと迷いながら、引きつった笑みを浮かべた。
「ネザーポート屋敷にはまた足を運ぶことにするよ。ミス・メイのこと、わたしからもホワイトストン卿夫妻に頼んでおこう」
「ありがとうございます、旦那さま」
サー・ウォルターはにこりとして頷いた。そして次に、彼は遠くを見る眼つきをして、両手を胸のあたりに持ち上げ、どう表現していいか分からないというような手振りをした。
「ジューン、今からする話は……わたしが雇い主の立場できみに何らかの圧力をかけようとするものではないことを理解してほしい。たんに友達が心配しているだけだと思って、気楽に聞いて欲しいのだが……」
「は、はい……?」
サー・ウォルターはジューンを見つめ、口を半ば開いたままで、あらためてどう話すかを考えるようにたっぷりと間をおいた。その間にも、ジューンは息が詰まり、手が小刻みに震え始めた。
「どうして、プロポーズを断ったんだい?」
ざっと、胸の中を嵐が吹き抜けるような感覚がした。サー・ウォルターの左右対称に整った眼の、青い瞳が二つの宝石のように透き通って、ジューンを見据えている。
「あ、あの……、それは……」
ジューンは喘ぎながら答えた。
当たり前です! どうしてそんなことを訊くのですか? 答えるまでもないのに!
一瞬、そう叫びたいという衝動が起きた。実際には、思考も舌もうまく回らず、ジューンはしどろもどろにこう言っただけだった。
「あの……それは……、お、お聞きになったのですか? ホワイトストンさまから……?」
サー・ウォルターはジューンを安心させるように微笑み、明るくあっけらかんとした調子で話し始めた。
「うん、そうなんだ。もう構わないだろうから話してしまうが、エドマンドくんと以前にこの部屋で会ったとき、彼はジューンと結婚するつもりだと言って舞い上がっていた。わたしは始めは彼のことを信用していなくてね、すでにアダムスから聞いて、話をしに行くつもりだったから、向こうから来てくれたのは好都合だった。それで、覚悟もなくジューンと会っているのなら、今後一切、交際はやめるようにと、厳しく言ったんだ。すると彼は、『あなたが心配するのも無理はありません』などと言って、説明を始めた。自分がジューンと結婚した場合に問題になりそうなことを一つ一つ挙げて、その解決策をね。そのうえで、仕事の邪魔はしないし風紀を乱すようなことも絶対しないから、使用人ホールで会うことを認めて欲しいとお願いしてくる。そしてわたしは押し切られて……交際を認めるに至った、というわけだ。もちろん、彼が説明したことが事実かどうかは、その後裏を取らせてもらったよ。……ところが今日、彼が来て言うことには、プロポーズをして断られてしまった、と……?」
サー・ウォルターは気遣わし気にジューンを覗き込んだ。
「は……い……、その通りです」
ジューンは恐縮するのと恥ずかしいのとで、赤面しながら肘掛椅子に縮こまっていた。サー・ウォルターを巻き込んでいることが申し訳なくて、情けなくて、なぜこんなことになったのかと、エドマンドを恨めしく思いさえした。
「なぜきみが断ったのか、気になってね。きみたちは仲良くしているという報告を受けていたし、きみにとっては、またとない良縁だと思うのだが……?」
サー・ウォルターは眉間を寄せ、遠慮がちに尋ねた。ジューンはつとめて冷静に答えた。
「はい、わたしのような者にとっては、きっと良縁なのだろうと思います。しかし、ホワイトストンさまの側からすれば、最悪の縁なのです。それを無視して、一方的にわたしにとって有利だからといって、喜んで結婚するわけにはまいりません」
言い方が生真面目すぎて滑稽だったのだろうか、思いがけず、サー・ウォルターはくすくすと笑い始めた。
「きみと結婚したがっているのは、むしろエドマンドくんの方なのに?」
「身分が違うのですから、結婚なんて出来るはずがありません」
ジューンはあわてて付け足した。
「そんなことはないよ。法律で禁止されているわけでもなし」
サー・ウォルターは事もなげに言った。
「そ、そうは仰られましても……」
結婚できない理由は山ほどあるのに、とっさにどれか一つを選ぶのが難しかった。「身分だけでなく、人間性も釣り合っていない」と浮かんだが、個人的なことを言うのは憚られた。サー・ウォルターは何か気がかりを思い出したように、ふと顔つきを変えた。
「エドマンドくんは、ホワイトストン卿のことを何か言っていたかい?」
「ええと、ホワイトストン卿は結婚に反対したけれど、大喧嘩の末、認めてもらったとのことでした」
ジューンは聞いたままを正直に答えた。
「おお、そうか! それは良かった!」
サー・ウォルターは一件落着とでも言いたげだった。ジューンは言った言葉をかき消すように、両手を胸の前で振った。
「い、いえ、違うんですよ。ホワイトストンさまはそのように仰られていましたが、たぶん本当は、ホワイトストン卿は認めていないと思います。ホワイトストンさまはとても楽観的なので、勘違いなさったのだと思います。大学のこととか大工のことは認めたとしても、結婚のことはそうはいきません。男爵家の、家系に関わるのですから。メイドを男爵夫人にするわけにはいきません。旦那さま、そうではありませんか?」
サー・ウォルターは一瞬きょとんとしたのちに、怪訝な顔つきになった。
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