14-7

 コッツワース屋敷の正面玄関に着くまで誰とも会わなかったのは幸いだった。エドマンドは次の週末までにはロンドンに戻ると言う。手紙を書くと約束を交わして、二人は別れた。エドマンドはサー・ウォルターに会うため正面玄関の呼び出しベルを引き、ジューンは使用人の通用口に回り込んで屋敷に戻った。

 半地下の食品室ではアフタヌーンティーの準備が行われていた。仕事に戻ると、夢見心地にぼうっとしていたジューンの意識は急速に現実感を取り戻していった。

 間違いを犯してしまったと、はっきりと分かった。

 二度目のプロポーズのような彼の言葉。のぼせあがって「はい」と答えてしまうなんて……!

 なんという愚か者! ジューンは後悔と自己嫌悪で頭がぐらぐらしながら、アフタヌーンティーの軽食を階上へ運び上げた。

 訂正するチャンスはあるだろうか。考えると言っただけで、結婚すると言ったわけではない。けれど、彼の方はどう受け取っただろう。

 悶々としながら、ジューンは使用人ホールでお茶とビスケットを前に座っていた。外出していたジューンのためにミセス・ウィンスレットが勧めてくれたのだが、どうしても食欲がわかない。

 隣でお喋りに花を咲かせていたアミーリアとキャロルが、晩餐の準備をしに出て行った。後に続こうと、ふらふらする身体を持ち上げたそのとき、執事のメイフェザー氏が急に入って来て声を掛けた。

「ジューン、旦那さまがお呼びだ。すぐに図書室に行きなさい」

 一気に心臓が跳ねあがった。

「は、は……い」

 声を詰まらせたジューンに、メイフェザー氏は一瞬怪訝そうな眼つきをした。

 ジューンの脳裏に、これから起こることの憶測が押し寄せた。

 図書室の応接セットに、サー・ウォルターとエドマンドが座っている。

 身分違いの結婚などと愚かなことを考えるなと、サー・ウォルターは二人を叱責するのだろうか。それともメイのことだろうか。サー・ウォルターは今回の計画についての苦言を呈するのだろうか。落ち着き払ったブルームフィールド准男爵の、冷ややかなブルーの瞳。その前に、生徒のように並ばされ、うなだれている二人……。どの予測も、ジューンにとって胸が痛むものだった。

 動悸でふらふらになりながら、ジューンは自分の身体を図書室に到着させた。

 壁一面に本棚を設えた、細長い大きな部屋である。真ん中あたりに書斎机があり、サー・ウォルターが書き物をしていた。その向かい側は、大小いくつかのソファーとテーブルを配置した応接間のような空間になっている。

 サー・ウォルターの隣には大きな肘掛椅子が置かれていたが、エドマンドの姿はなかった。ジューンは二度も部屋中を見回したが、彼はどこにもいない。

「エドマンド・ジョン・ホワイトストンはもう帰ったよ」

 サー・ウォルターが書斎机から顔を上げ、ジューンを見ていた。

「さっきまでそこにいたんだがね。どうぞ、座って」

 彼はそう付け足して、隣の肘掛椅子を手で示した。ジューンは恐縮しながら腰を下ろした。サー・ウォルターが椅子の向きを変えて向かい合わせになると、いよいよ身体がこわばり、緊張のあまりびりびりする感覚が、全身を麻痺させるような気がした。

「ミス・メイのこと、エドマンドくんに聞いたよ」

 サー・ウォルターは両手を膝の上で組み合わせ、明るい調子で話し始めた。

「ホワイトストン卿は特に悪い評判は聞かないし、夫人は中流家庭出身で、使用人と一緒に料理をするような気取らない方だそうだよ。この夫人が、エドマンドくんがロンドンにいる間もミス・メイの面倒を見てくれるということだ。きみも一安心だね」

 サー・ウォルターはにこりとしたが、ジューンは警戒したまま答えた。

「はい、ホワイトストンさまには感謝の言葉もございません。しかし、まだ決まったわけではなくて……、ライト氏が承諾しなければならないことですから……、まだどうなるかわかりません」

 まるで、旦那さまの顔をつぶそうとしているわけではないと、弁解しているみたいだった。サー・ウォルターは気難しい顔になり、こう言った。

「ライト氏がしまり屋だというのは知っていたが、仕送りにこだわっているとは、思いもよらなかったよ。きみを雇ったときライト氏が承諾したのは、精神不安定な夫人から娘さんを引き離したほうがいいという我々の意見に、彼が賛同したからだと思っていたのだが……」

「た、たぶん、わたしを家で働かせるよりも、仕送りを受け取った方が得だと思ったのだと思います。口減らしにもなりますし……」

 ジューンは注意深く反応を窺いながら、そう意見した。サー・ウォルターは抵抗感なく頷いた。

「そこに気づかなかったのは迂闊だったよ。今思えば、ミス・メイを奉公させないかと提案したときのライト氏の様子は少し妙だった。口では、大事な娘を遠くへやるわけにはいかないと言うのだけど、わたしたちを引き留めるような素振りもあったりしてね。『お金次第では……』と、彼はあのとき、言いたくて言えなかったのかもしれないね」

 サー・ウォルターはそう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべた。青い瞳が無邪気にきらっと光るのを見て、ジューンは少し安心した。

「そうだったのですね」

「エドマンドくんにはそのことも伝えておいた。今回はネザーポート屋敷の執事と、グラムトン教区の牧師とでうまく交渉してくれるだろう。わたしとアダムスはライト夫妻にすっかり嫌われているようなのでね、今回は顔を出さないことにするよ。……というより、引っ込んでいるようにとエドマンドくんに言われたのだけどね」

 サー・ウォルターは肩を揺らして笑った。


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