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「つまり…………ぼくは断られるのが怖いというだけの理由で、ずっと本丸を後回しにして、一生懸命に外堀を埋めていたんだ。サー・ウォルターを味方にして、アダムスさんにも話して、きみの同僚とも仲良くなって……。母にも話した。母はそれで、祖父にも話をしてくれたんだ。難関は父でね。父は昔から、ぼくを貴族の娘と結婚させたがっていた。大学時代からの友人に、とある伯爵がいてね、その伯爵が『娘のうちの一人をやってもいい』と言ったらしくて、その娘と結婚させるつもりだったんだ」
レディ・フローラ! 稲妻のように、ジューンの脳裏にその名が閃いた。エドマンドは身体ごとジューンに向き直り、ジューンが何か考えるより先に、こう言った。
「でも、断ったんだ! その伯爵に直接会って、はっきりとね。そのためにヨークシャーまで行った」
ジューンは隣を見上げたまま、頭も身体もしびれて動けなかった。
「あ……、わ、わかりました」
そう言ったとたん、眼球の周囲が熱く潤んだ。ジューンはあわてて前を向き、呼吸を整え、涙を悟られまいとした。エドマンドがまた塀にもたれ掛かる気配がした。彼の話は続いた。
「ところが、父に無断だったものだから、後で大騒ぎになった。父はそういう目的とは知らなくて、ぼくがヨークシャーに行ったのは、伯爵の娘に会ってみる気になったのだと思って喜んでいたんだ。そしたら伯爵から手紙が来て……父は大激怒。久しぶりに怒鳴り合いの大喧嘩をしたよ」
ジューンはぎょっとして、おそるおそる隣を見上げた。エドマンドは笑っていた。
「ああ、心配しないで。もう仲直りしたから」
「あ……なんて言っていいのか……、驚きました」
上品なはずの貴族が、家族で怒鳴り合うなんて。ジューンにとっては衝撃的だった。エドマンドはにこやかに話し続けた。
「父はきみとの結婚に反対だったわけだけど、大喧嘩の末、最後には『勝手にしろ!』と言って、認めてくれたんだ」
「……えっ?」
思わず聞き返すと、彼はにこっと笑った。
「いつものことなんだよ。父とはよく衝突するけれど、徹底的に話し合って、最後にはいつも、ぼくのやりたいようにさせてくれる。『勝手にしろ!』というのは、父の決まり文句なんだ。『そういうことなら、納得したよ』とか『その条件を守るなら、お前の邪魔はしない』とか言えばいいのに、そうとは言えない人なんだ。それで、全部の意味をひっくるめて『勝手にしろ!』とくる。でも、始めは怒っていても、いつも結局は、ぼくのすることを応援してくれるようになるんだ」
どこか誇らしげに、にこにこしているエドマンドは、やはり自分とは別の世界の人間なのだと思った。なぜそんな風に、良い方に受け取れるのだろう。普通の親子は、みなこうなのだろうか。困惑気味に頷くジューンに、エドマンドは話し続けた。
「昨日の昼食会は最初だけ出るつもりだったんだけど、直前になって、父はぼくに言ってきたんだ。『ちょうどいい機会だから、お前の婚約者を地元の名士の方々に紹介してやる』ってね。ぼくは、『実はまだプロポーズしていない』とは言い出せなくて、『急に言われても無理だ』と言ったんだけど、父は『コッツワース屋敷なら近いのだから、誰か迎えをやって連れて来たらいい』と言って笑ってるんだ」
「それでラングリーさんが?」
エドマンドは頷いた。
「こういうのが、父の性格の底意地が悪いところなんだ。父はね、要するに、『結婚相手が労働者では、表舞台に立てないだろ?』と思い知らせたいんだよ。ぼくが断ったら『それ見たことか』で、きみを連れて来たら来たで、きみに気後れさせて結婚を思いとどまらせようとしているんだ。でもぼくは……腹が立ったということもあって、逆にチャンスだと思うことにした。プロポーズしないわけにはいかない状況になって、自分を追い込むことが出来るし、昼食会に来ていた教区の牧師に紹介してしまえば、父ももう後には引けなくなる。ぼくは急いできみに手紙を書き、母にドレスを借りた。……というわけなんだけど、自分勝手だったよ。きみを巻き込んで、嫌な思いをさせてしまった。……ごめん、反省してる」
エドマンドはなぜそんなことをしてしまったのか分からないとでもいうように、やるせなげに首を振った。ジューンは自分まで悲しく胸が痛む思いで、無理に微笑んで見せた。
「いいえ、わたしは大丈夫です。わたしの方こそ、昨日は失礼なことをたくさん言ったと思います」
エドマンドは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「昨日のこと、許してくれるかな?」
「もちろんです」
ジューンは明るく答えた。エドマンドは微笑み、そこで二人は顔を見合わせて笑った。
すると、エドマンドは急に思い出したように尋ねた。
「ところで今日は…………アダムスさんの前でミス・メイのこと、『ぼくの妹』とか言って迷惑だったかな?」
「いいえ、構いません」
ジューンは反射的に答えた。
エドマンドの表情がぱっと華やいで、みるみる溶けるように柔らかな微笑みになった。ジューンはしまったと思った。先ほどの答えはジューンにとって特に意味はない。相手に迷惑を主張するなど、よほどのことでない限り、ジューンにはあり得ないのだから。
エドマンドは大きく息を吸い込むと、さっとひざまずいて、ジューンの手を握った。濃褐色の瞳がジューンを映し、感極まったように震えていた。
「思い上がりかもしれないけど、ぼくのことが嫌で断ったわけじゃないって思ってる。ミス・メイのことも、そのほかのことも、きみが安心して暮らせるように、ぼくはこれからも全力を尽くすよ。だから……無理だなんて決めつけないで欲しい。返事を急ぐ必要はないんだ。ゆっくりでいいから、結婚のこと、考えてくれるかな?」
ジューンは身体が燃え上がるような心地がした。
「はい」
頭のてっぺんまで熱に浮かされて、何も考えられなかった。エドマンドは破顔し、ジューンの手にそっと口づけた。
「行こうか」
彼は立ち上がり、ジューンの手を握ったまま言った。
「ええ」
二人は手を繋いだままコッツワース屋敷まで歩いた。見上げると、彼のさも嬉しそうな紅潮した顔は子供みたいだ。そしてジューンもきっと同じような顔をしている。
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