第十四章 救出計画
犯罪者になったような気分は付きまとうものの、ジューンは計画通りネザーポート屋敷を抜け出した。最後はジョンとの思い出がある門番用ロッジを通り過ぎた。壁を背にして赤ら顔の老人が座っていた。ジューンが会釈をすると、老人は顔を背けながら、さっさと勝手に通って行けという手振りをした。ラングリー氏と来た時にも顔を合わせたこの老人には、汚らわしいもののように見られている気がする。
十月の真っ白な曇り空と、不穏に色あせた牧草地の中を歩くうちに、ジューンはどんどんと落ち込んでいった。ありとあらゆることに、罪悪感を覚えた。無断で帰ったことにも、泣いたことにも、プロポーズを断ったことにも。そして、自分のような人間が彼と出会ったこと自体が、申し訳なく思えた。
コッツワース屋敷に戻ってみれば、今度はすべてが夢だったような感覚がする。ベッドに入ってみようか。目覚めたらすべて元に戻っているかもしれない。ネザーポート屋敷は荒れた空き家に。ジューンは工事現場に行かず、誰とも出会わない。
午後五時すぎになり、ブルームフィールド家のご家族が昼食会から戻ってきた。ジューンは休日なのだが、ケイトお嬢さまの世話をすることにした。ジョンと出会う前は、休日に働いていることは珍しくなかった。それに今は何かをしていないと、気が狂ってしまいそうだったのだ。
「そうそう、あなたが気にしていたエドマンドが昼食会に来ていたわよ」
アフタヌーンドレスから自宅用のデイタイムドレスに着替えるさなか、ケイトが話し始めた。
「そうなんですね」
ジューンは鼓動が高まるのを感じながら、わざとそっけなく答えた。
「すごく面白い人だったわ。彼は相当な変人よ。わたしのお父さまも負けるかも」
ケイトはこの話をしたくてしょうがないという調子だった。
「どんな方だったのですか?」
ジューンは仕方なくそう尋ねた。エドマンドの話を人から聞くのは恐い。ジューンが見ている彼の姿は、偽りかもしれないのだから。
「建築が好きだからって、職人たちに交じってネザーポート屋敷の改装工事を手伝ったのですって! 驚くわよね」
ケイトは明るく言った。
「それはすごいですね」
ジューンは腰のリボンを結びながら答えた。それを昼食会で話したということが、ジューンにとっては驚きだった。
「お母さまはとても信じられないという顔をしていたわ。でもお父さまはずっと面白そうにニコニコして……、どうもそのことを前から知っていたみたいなの」
「たしかに、旦那さまの好きそうな話ではありますね……」
サー・ウォルターはいつから知っていたのだろう。それを考えると、スカートのドレープに隠れた留め紐を探す手がおぼつかなくなった。
「わたしはそれを聞いて、あなたの恋人のことを思い出したわ。あなたの恋人に訊いたら、果たして彼が役に立っていたのかどうか、分かるかもしれないわね」
ケイトが振り返り、微笑みかけた。ジューンは引きつりながら不自然な笑みを返した。
その恋人というのはエドマンドなのですと、今言うべきではないかという考えがよぎった。
しかし、一瞬の勇気のなさが、判断の遅れが、機会を逃した。
「お父さまは彼のことを気に入っているみたい。お母さまは、……下品だと思ったかもしれないわね。わたしはいいと思うのだけど……」
「えっ!」
ジューンは思わず声を上げた。身体が熱くなっている。姿見の中のケイトが眼を丸くしたが、身体がなぜそんな反応をするのか、ジューン自身にも分からなかった。
「どうして驚くの?」
「いえ、あの…………お嬢さまが男性のことをいいとおっしゃるのは珍しいような……」
とっさに取り繕うと、ケイトは少しはにかんだ顔をした。
「いやだ、深い意味じゃないわ。大工仕事ができるのは素敵だけど、エドマンドにはもう婚約者がいるらしいのよ」
ジューンの手が完全に止まった。
「本人が『近々発表しますよ』と言っていたわ。ホワイトストン卿はなんだかニヤニヤして意味ありげな感じだったけど、なにかしらね? お相手は有名人なのかしら? わからないけど、近いうちに新聞に出るかもしれないわね」
ジューンはドレスのたっぷりとしたスカートを前に、膝立ちのまま息もできないような心地だった。
着替えを終えて退出したあとも、ジューンの頭の中はエドマンドと婚約者のことで一杯だった。彼がケイトに話した婚約者というのは、いったい誰のことなのか。
二時間ほどが過ぎ、今度はケイトを晩餐用のイブニングドレスへ着替えさせた。彼女がまったく別の話をしたために、ジューンはやはり、大工のジョンがエドマンドなのだと言えなかった。ケイトは誤解しているのだから、訂正しなければいけないのに。「騙されているのよ」と、同情されることが恐いのだ。自分で思う以上に、そのことを恐れているのだ。
今夜にも、晩餐の席でサー・ウォルターが話すかもしれない。どんなふうに? それを聞いて、ケイトさまはなんと言うだろう。
晩餐が終わり、就寝の準備のためにケイトの寝室へ上がったときには身体が震えた。ぎこちないジューンの様子にケイトは不思議そうな顔をしたが、何も言うことはなかった。
日曜日になった。
教会にエドマンドは現れない。ネザーポート屋敷とは教区が違うので、当然ではある。彼が家族とともに礼拝するとすれば教区の教会だろうし、昨日のうちにロンドンに戻ったのかもしれない。
安息日で業者が訪れることもなく、その後もネザーポート屋敷の様子は何もわからなかった。普段通りの、日曜の午後。ジューン以外の誰もホワイトストン家のことなど気にしていない。
考えれば考えるほど、昨日起こったことが何だったのか分からなくなる。こうしてジューンが悩んでいる間に、ネザーポート屋敷では家族団欒で、エドマンドとレディ・フローラの結婚式の日取りを話し合っているかもしれないのに。
午後三時過ぎになり、牧師館のメイドがジューンを訪ねてきた。
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