13-2

 彼はコッツワース屋敷で待っていろと言った。

 今頃、ネザーポート屋敷では昼食会が始まっているだろうか。

 まだ改装途中だった邸内に想いを馳せた。結局、完成してからは一度も建物の中には入っていない。

「ジューン、あなたにお客さまよ。裏庭で待っているわ」

 ミセス・ウィンスレットの声だった。ジューンの意識は使用人ホールに引き戻された。

 心臓が暴れ始めたけれど、もしジョンならミセス・ウィンスレットはそう言うだろう。どうにか自分を落ち着かせながら使用人の通用口を出ると、そこで待っていたのはラングリー氏だった。

 彼はトップハットを持ち上げて会釈すると、唇の片端を引き上げ、皮肉っぽく微笑んだ。

「まずはこれをお渡ししなければなりません。大工のジョンから、あなたへ手紙です。ここで読んでもらえますか?」

 ジューンは息も止まるような思いで、封筒から便箋を抜き出し、眼を通した。初めは文章の意味が全く頭に入ってこなかった。何度か読むうちに、筆跡が乱れているのだということに気がついた。ジューンは一つ深呼吸をし、集中をして、あらためて手紙を読んだ。

『親愛なるジューンへ。

 この三週間、連絡を怠ってごめん。実はまだ就職が決まっておらず、きみに良い知らせをすることが出来ません。さらに今日は抜けられない用事があり、コッツワース屋敷へ迎えに行くことが出来ません。重ねてごめんなさい。代わりにこの手紙をラングリー氏に託します。

 ラングリー氏はネザーポート屋敷の買い手であるホワイトストン男爵の従者です。以前、きみが屋敷の鍵を持って来てくれた時に、彼と会ったことを覚えているかもしれません。

 ぼくは今、ネザーポート屋敷にいます。そしてきみにも、ここに来て欲しいのです。

 詳細は会ったときに説明しますが、きみの助けが必要なのです。ラングリー氏と一緒に、すぐにネザーポート屋敷に来てください。

 突然のお願いで失礼は承知ですが、どうかお許しを。

   すぐに会いましょう ジョン・スミス』

 文字は読み取れたし、意味も分かった。なのに、それはバースで受け取ったジョンの手紙とは、まるで違う感じがした。彼の言葉の一つ一つが、ジューンの中に全然入ってこなかった。まるでチラシの広告文でも見ているように、全てが白々しく思える。

 ジョンの手紙を、こんな風に感じるなんて……。

 ジューンは呆然としながら、ラングリー氏を見上げた。

「これはなんでしょうか。あなたと一緒にネザーポート屋敷に来るようにと書いてありますが……」

「知っています」

「わたしの助けが必要って、どういうことでしょうか?」

 尋ねると、ラングリー氏は訝しげに眉根を寄せた。

「失礼」

 彼はさっとジューンの隣に回り込んで、手紙を覗き見た。

「これはおそらく、このように書けばあなたが急いで来ると思ったのではないでしょうか」

「けれど、ホワイトストンさまが、なぜわたしをお屋敷に呼ぶのか見当もつきません」

 ジューンはラングリー氏なら何か知っているのではないかと思い、隣を見上げた。

「それは……」

 ラングリー氏は返答に詰まり、困ったように首を横に振った。

「貴族のすることは我々には思い及びません。わたしは急に呼ばれて、あなたに手紙を渡し、連れて来いと命令されただけなのです。従僕たちはみな昼食会で手一杯で、たまたまわたしが空いていたものですから」

「その昼食会に、彼は出ていないのですか?」

「もちろん出ています」

 ますます分からなくなった。それならジューンに会う暇などないはずだ。

 ジューンが困惑していると、ラングリー氏が遠慮がちに再び口を開いた。

「……あなたはお忘れなのかもしれないが、エドマンドさまはあなたに身分を知られたことを知りません。ですから彼の誘いは特別なものではなくて、単に今までと同じ関係を迫るということなのでは?」

 その意味を、ジューンが理解するのには少し時間がかかった。ラングリー氏は話が通じたものとして、こう続けた。

「けれど、それはあなたの本意ではないはずだ。このまま彼に従っていたら、ずるずると愛人になってしまいますよ」

 ラングリー氏は警告するように、最後は語気を強くした。ジューンはぎょっとして答えた。

「そんな……! 愛人だなんてとんでもない!」

 ラングリー氏はにっこりとした。

「そうでしょうとも。では、わたしは一人で戻るといたしましょう」

「えっ!」

 ジューンは断るという選択肢があるのだということに初めて気が付いた。

「一緒に行くつもりですか?」

 ラングリー氏は意外そうだった。

「だ、だって、そういう命令だったのでしょう?」

 命令通りにしないなんて、ジューンの感覚ではあり得ない話だった。

「それはそうですが……」

 ラングリー氏は、愕然とするジューンを不思議なものを見るような眼で見つめた。

「ホワイトストンさまからすると、わたしが断る理由はないはずなのです。わたしが行かなかったら不審がるだろうし、あなたはうまく弁解できないのではないですか?」

「そんなこと、留守だったとでも言いますよ」

「ああ……それはダメなんです。今日はホワイトストンさまが会いに来てくださることになっていて、わたしが居なかったというのは、嘘だとバレてしまいます」

「……もしかして、あなたはわたしの心配をしているのですか?」

 呆れたというように、ラングリー氏は少し笑った。ジューンは気恥ずかしくなった。

「ええと、それもあるのですが……。先日は言いそびれてしまったのですが、実のところホワイトストンさまとわたしは、あなたが考えているような間柄ではないのです。ただの友達なのです、本当に。ですから、ご心配には及びませんし、ホワイトストンさまはわたしを裏切ったわけでも、何か酷いことをしたわけでもないのです。ただ、身分を隠していたというだけで、何も悪いことはしていないのです」

 ラングリー氏は怪訝そうな顔をした。

「と、とにかく、そういうわけなので、わたしは平気です。あなたと一緒にネザーポート屋敷に行きますよ」

 騙されているのかもしれない。

 けれどやはり、ジューンは「助けて欲しい」との一文が引っ掛かっていた。もし本当に彼が助けを求めているのだとしたら、ジューンは助けたかった。


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