13-3

 ラングリー氏は乗ってきた軽馬車にジューンを乗せ、自ら手綱を取って出発した。

 ネザーポート屋敷の前庭は、昼食会の客たちの四輪馬車でいっぱいになっていた。主人を待つ御者たちの視線を受けながら、ラングリー氏の軽馬車は前庭を通り過ぎ、屋敷の別棟へと向かった。使用人の通用口が半地下にあり、ジューンはそこへ降りる階段のそばに降ろされた。

 ラングリー氏の背中を追いかけて、ジューンは屋敷へと入っていった。使用人エリアの光景はコッツワース屋敷と似たようなものだった。実用のみを重視した殺風景な廊下や階段があり、キッチンから漏れ出たらしい料理の匂いが充満していた。銀盆を手にした従僕たちとすれ違った。薄暗い裏階段を上がり、ジューンたちは二階に来たようだった。

 扉を抜けると、光景が一変した。

 吹き抜けの大空間が目の前に広がっていた。正面の大きな壁には絵画が並んでいる。手前には欄干があり、その下は一階の玄関ホールだった。吹き抜けの周囲をめぐる二階の廊下を歩いていくと、ラングリー氏は一つの扉で立ち止まり、ノックをしてそこに入った。

 淡い色調のインテリアが目に優しい、女主人の個人的な居間という感じの部屋だった。見渡した限りでは、誰もいないようだ。

「こちらでお座りになってお待ちください。エドマンドさまに報告して参ります」

 ラングリー氏はそう言うとお辞儀をし、出て行ってしまった。

 ジューンはたちまち心細くなった。こんなところに一人でいるところを誰かに見られて、不法侵入者と思われはしないだろうか。

 たしか、座って待てと指示された。ジューンは恐る恐るソファーに近づいた。

 小花柄の布地が張られた、猫脚のかわいらしいソファーである。二人掛けが一脚と、一人掛けが二脚、向かい合わせに置いてある。

 二人掛けの背もたれに、目の覚めるようなブルーのドレスが掛けてあった。

 ジューンは手を触れずに、ドレスをよく観察した。光沢のあるシルクサテンで、アフタヌーンドレスのようだった。身頃にはボーンが入り、スカートには内側にフープが付いて、はくとボリュームが出るようになっている。たっぷりとギャザーが寄ったオーバースカートの下は、シフォンのフリルと白のレース地を重ねたアンダースカートだった。

 ドレスを見つめながら、ジューンは一人掛けのソファーに、浅く、慎重に腰かけた。

 ピアノの音色と、人々の笑いさざめく声がかすかに聞こえてくる。

 ジューンは次第に怖くなり、脱出路を探しでもするかのように、周囲を見回した。

 淡いライトブルーの壁。カーテンはソファーとおそろいの小花柄だ。足元はふかふかした唐草模様の絨毯で、天井は真っ白い化粧漆喰細工である。トルコ風のタイルが貼られた暖炉と、バラが描かれたファイアースクリーン。木製のマントルピースには東洋の壺が飾られている。

 そのとき、突然にノックの音が響いた。ジューンは銛で突かれたみたいに立ち上がった。

 足早に入って来たのは、細身で背の高い中年女性だった。濃灰色のドレスにエプロンはなく、家政婦長か、奥様付き侍女という風情である。

 中年女性は、ジューンの姿を認めると、露骨に怪訝な顔をした。

「あなたがジューンさん?」

 女性はジューンを舐めるように見た。

「はい、そうです」

 ジューンは逃げ出したくなる衝動をどうにか抑えながら答えた。

 女性はブルーのドレスを手に取った。

「あなたに奥さまのドレスを着せるよう言われたけど、無理だって一目で分かるわ」

「はい、そうですね」

 ジューンは反射的に頷いた。女性はドレスをかざした。

「わたしの奥さまは小柄ではないの。あなたがこれを着たら悲劇が起こるでしょうね。袖がブラブラで、胸がガパガパして、スカートはズルズルで、ずっと両手で持ち上げていないと歩けないでしょう」

 女性はしかめっ面をして、ドレスとジューンを交互に見やった。

「裾を踏んで転んでしまうかも」

 ジューンは愛想笑いを浮かべながら、付け足した。女性はくすりと笑った。

「坊っちゃまに報告して参りますわ。では、失礼」

 女性はドレスを元に戻し、一つ肩をすくめて見せると、出て行ってしまった。

 ジューンは心臓が鳴る音を聞きながら、しばらく扉を凝視していた。もう誰も入ってこないことを確認すると、こわばったまま、またソファーに腰を下ろした。

 すると、廊下に人の気配がして、しばらくのちに、ごく控えめなノックがあった。

「ジューン? 入っていいかい?」

 ひどく懐かしく感じる、ジョンの声だった。

 ジューンは自分が恥ずかしかった。

 その声に、涙が出そうなほど喜びを感じている自分が恥ずかしかった。

 ついさっきまで抱いていた不信が、ただ本人の声というだけで、簡単に流れ去ってしまうなんて、まったく理屈に合わないのに……!

「はい!」

 ジューンは必死に己を戒めながら、わざと厳しい声で返事をした。立ち上がると、知らず、足が扉の方へ向かってゆく。

 そしてジューンの前に、礼服に身を包んだ、背の高い青年貴族が現れた。

 青年は黒のフロックコートに、シルクの白ベストと白のタイ、グレーのズボンという、上流階級にとってごく普通の正装をしていた。くせのある髪はすっきりと後ろへ撫でつけ、髭はきれいになくなっている。けれど、やさしげな眼や、たくましい体格は隠せない。間違いなく、ジューンが再会を夢見たその人だ。


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