11-4
ジューンはこれまでになく、一歩踏み込んでみたいという欲求に駆られた。
彼の方から話したのだから、隠していないのだから、訊いてもいいのかもしれない。
けれど、それを知ることは、ジューンにとって覚悟が要った。
大工とメイドだから、今の関係が許されるのだ。
はっきりと言われてしまったら、「知らなかったので」と言い訳はできなくなる。
もし、身分が違うのだと知ってしまったら……! もう今までのような友達付き合いをすることは、許されないのではないか?
「あの……ジョンは大卒だったんですね。ちょっと意外なんですけど……」
ジューンは全力で何気ない風を装ってそう尋ねた。声は微妙に震え、右手は完全に震えて、緊張するあまり身体は熱を帯びた。
「ああ、言ってなかったかな? 今年出たところだよ」
ジョンはちらりとジューンを見たが、また正面の庭園に視線を戻した。
「大工だと思っていたものですから」
ジューンは震えを止めようと、膝の上で右手に左手を重ねて押さえ込んだ。
「そうか、ごめん。大工見習いは、この現場だけにするつもりなんだ。就職が決まらなかったら続けるかもしれないけど、はやく建築家の道を歩みたいからね」
ジョンは庭を眺めたまま答えた。
「あの……ジョンの大学って……オックスフォードとかケンブリッジとかなんでしょうか?」
ジョンがこちらを見ないことが幸いだった。ジューンは押さえた左手ごと右手を震わせながら、ジョンの横顔を見上げた。ついに、核心に触れる質問をしてしまった。
大学がそのどちらかであれば、ジョンは貴族か大地主、少なくとも上層中流階級ということになる。厳密には奨学金制度があるため、下層中流や労働者階級から入学する者もいないわけではない。しかし、それは極めて稀な存在だった。
「いや、ぼくはUCLだよ。建築の専門講座があるんだ」
ジョンはジューンを見て、どこか誇らしげにそう言った。ジューンが息を呑むと、彼は説明した。
「ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン。さては、大学といえばオックスブリッジしかないと思っているな?」
「いえ、そんなことは……」
ジューンは一気に脱力し、頭が真っ白だった。ジョンは、図星を刺されて恥ずかしがっているジューンの様子が面白いとでもいうように、少し笑った。
まだ知りたいことはあったけれど、勇気と気力を使い果たし、今日はもう何もできないという気分だった。ぶしつけな質問をされたジョンが、どう思ったのかも気になった。
この話題はそれきりで終わってしまった。ジョンはあえて多くを語らないようにしているかに見えた。
それからも、ジューンは仕事の休みが重なるたびにジョンと会った。ジューンの方が休みでないときも、ジョンは休憩時間を見計らって使用人ホールに現れた。日曜礼拝にも、彼は必ずやって来た。
土曜日の午前は、ジョンは大工見習いの仕事である。半日休みだったジューンは、ルームメイトのアミーリアとともに、庭師頭のジャクソンの家を訪ねた。
ジャクソン家は二十代後半の夫婦と、一歳になる息子の三人家族で、コッツワース屋敷の敷地内にあるコテージに住んでいた。ジャクソン夫人はコッツワース屋敷のメイドたちと仲が良く、たびたびコテージに招いてはお茶をふるまってくれる。
ジャクソン家のこじんまりした居間は、素朴だが手入れの行き届いた家具が配置され、ジャクソン夫人の手によるキルトや刺繍の色彩に彩られていた。高級ではないのに村の小作人の家よりずっと瀟洒で、当世風でありつつ温もりに満ちている。ジューンもアミーリアも、そんなジャクソン家のコテージが大好きだった。
二人はソファーに腰掛け、アミーリアの膝には一歳になったばかりのロナウド坊やが収まっている。丸テーブルには紅茶とスコーンが用意され、坊やが蹴り飛ばさないよう、離れた場所に置かれていた。
つい先ほど、ジャクソン夫人は花壇の植え替え作業で忙しい夫を手伝うために出掛けて行った。ジューンたちは、その間の子守りを買って出たのである。
「ロンちゃん、ボール遊びをしましょう。はい!」
アミーリアがロナウド坊やをソファーに下ろし、ジューンがそこへ布のボールを転がした。ロナウド坊やは、きゃっきゃっと興奮しながらボールを投げ返す。とても可愛らしい。
二人で奪い合うように交替で抱っこをして、一時間ほども遊んでいると、ご機嫌だったロナウド坊やの表情が不穏になってきた。鼻の上にしわが寄ったかと思うと、とろんと瞼が降りた。
「ロンちゃん寝ちゃいそうだよ」
ジューンの腕の中で、仰向けにもたれかかっている坊やを見て、アミーリアがささやいた。
「そうね、どうしよう。今寝たら、午後にお昼寝しなくなってジャクソン夫人が困るかな?」
「でも、起こしたら泣いちゃうよ」
ジューンは居間の隅にあるベビーベッドにロナウド坊やをそっと下ろし、キルトを掛けた。天使のような寝顔を見ていると、知らず笑みが漏れる。
「ジャクソン夫人は理想だよね。ロンちゃん可愛いし、おうちは素敵だし、ジャクソンさんはあれで妻には優しいし……」
振り返ると、アミーリアがソファーにだらりと座り、スコーンを頬張っていた。
「そうね、ジャクソン夫人はとても幸せそうだわ」
ジューンも冷めた紅茶を手にして、隣に腰を下ろした。
「わたしも職人と結婚しようかな。ノーサンプトンの靴職人とか、いいと思わない?」
「そうね。じゃあ、まずは靴を買いに行かないとね」
「あらやだ、いきなり足が太いのがばれちゃうわ!」
アミーリアは笑いながら自分の足を覗き込んだ。ジューンもくすくすと笑った。
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