11-5

 ジャクソン家に来るたびに、アミーリアは結婚への憧れを口にする。「わたしも結婚したら、こんな家に住みたいな」などと言う。赤レンガ壁に蔓バラが這い、暖炉には東洋柄のタイルがはまる、洒落たコテージ……。彼女は結婚を夢見て、将来はジャクソン夫人のように幸せになることを、当然のこととして信じていた。

 一方、ジューンはというと、結婚と聞いても、どうせ夫に殴られたり、姑にいびられたりして辛い思いをするだけだと思ってしまう。

 コッツワース屋敷の使用人は、実にその半数ほどが、サー・ウォルターが運営する孤児院の出身者か、ジューンのような訳あって家族と暮らせない者なのである。アミーリアは孤児院出身で、それも赤ん坊の時に孤児院の門前に捨てられていたという、生粋の孤児だった。

 ジューンと同じ。温かい家庭なんか経験がないはずなのに、どうして自分が知りもしないものを、自分が築くと思うのだろう。

「それでさ、ジューンはどうなのよ? ジョンのプロポーズはまだなわけ?」

 アミーリアが期待を抑えられないというように、黒い瞳をきらめかせ、隣から見つめていた。

「だから、ジョンとはそういう関係じゃないの」

 ジューンが答えると、アミーリアはわざと思い切り顔をしかめた。

「もう、まだそんなことを言ってるの? もはや彼氏がいないわたしに対する嫌味としか聞こえないわ! 毎週休みごとに、うきうきと出掛けて行くのはジョンと順調ってことじゃないの?」

「順調というか……友達として仲良くさせてもらっているだけなのよ。あなたが想像するようなことは何もないの」

 ジューンはうろたえながら答えた。わたしはそんなに表立って「うきうき」としてしまっていたのか。

「じゃあ二人で何をしているわけ? わたしが思わず想像しちゃうような、いやらしいことをしていないって言うのなら!」

 アミーリアは自分の身体を抱きしめ、色っぽくくねらせて見せた。ジューンは恥ずかしくて顔が熱くなってきた。

「散歩したり料理したりして……、あとはずっと喋っていたり」

「何の話をするの?」

 アミーリアは疑わし気に眼を細めている。

「建築の話よ。建築コストを下げるためにはどういう工法を採ればいいか、とか、我が国における建築様式の変遷とか」

 アミーリアがぽかんとした。

「と、とにかく、『いやらしいこと』はしていないわ!」

 ジューンはあわてて結論を伝えた。

「ふうん、それが本当だったら、ジョンはずいぶんと慎重ね。今度会ったら何か言ってやろうかしら……」

 アミーリアは不満そうに唇を尖らせた。

「やめて! お願い、絶対やめて!」

 ジューンは全力で頼み込むことになった。

 そんなお喋りをしているうちにティーポットのお茶がなくなり、アミーリアはお湯を取りにキッチンへ入って行った。

 本当は、ジューンはネザーポート屋敷の庭園でジョンと話して以来、結婚のことばかりを考えている。そして、そんな風に思い上がってしまう自分が嫌で嫌で仕方がない。なのに、打ち消しても打ち消しても、無意識に考えてしまうのだ。

 夫がジョンだったら、殴るなんてあり得ないし、姑にいびられても守ってくれそうな気がする。

 ジョンの大学、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンは中流階級以下の子弟が学ぶことを目的として創設された市民大学だ。それに、ジョンは無職であることを嫌がっていた。「無職」というのは労働者階級にとっては死活問題だが、上流階級にとっては本分であり、嫌がるようなことではない。上流階級にとっては「賃金労働」こそが、とてつもなく下品な行いなのである。

 一方で、祖父の財産の話が本当ならば、労働者階級であるとも言い難い。

 そして、ジューンのライト家は農場主で、土地という財産があり、何人もの使用人を雇っていた。ジューンがメイドをしているのはライト家特有の事情のせいなのだ。

 つまり、二人はともに多少の財産を持つ中流階級出身ということになり、身分が釣り合わないわけではないのである。

 大工見習いをしていたのは建築家になるための経験づくりで、名前が単純なのはただの偶然。やたら鬱蒼とした髭面は趣味の問題で、知識人の発音を使うのは……たぶん大学の教授たちから学んだのだ。

 ジョンは初めから何も嘘をついていなかったのかもしれない。だとしたら、「真剣な交際」だと言ったあの言葉も真実なのだろうか。

 ジューンはロナウド坊やの様子を見ようと立ち上がった。ベビーベッドを覗き込むと、赤ん坊は両手を上げた格好で、この世には苦しみも悲しみも存在しないような顔をして眠っていた。

 その寝顔が、メイの面影と重なる。……やはりだめだ。

 神さまは、ただ祈っているだけだったジューンの夢を叶えてくださった。これ以上多くを望むことなど、お許しになるはずがない。

 忘れよう。

 わたしの強欲ぶりに、神さまがお気づきになる前に。


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