11-2

 ジューンは訳が分からないまま、ジョンの後について使用人通用口から裏庭に出た。そこは出入り業者が荷下ろしをしたり、使用人が休憩時間に雑談や、軽い運動をしたりする場所だが、今は誰もいなかった。赤レンガ壁を背にして、ジョンが四本脚の丸椅子を並べた。腰を下ろすと、ジョンは改まった様子でジューンの方に向き直り、こう言った。

「ぼくは、妹さんの件について、きみには何の責任もないと思う」

 ジョンは体格に合わない小さな椅子で居心地が悪そうに見えた。

「ええ、そう思うだろうと思います。あなたは詳しい事情を知らないので……。けれど、実を言うと、実際のところは…………すべてわたしのせいなんです」

 言った途端、ジューンは奇妙な感覚がした。

 今まで辛くて避けてきた思いのはずなのに、認めたらすっきりとした。メイの怪我も、メイがライト家にいて、自分はいないということも、メイのあの警戒心に満ちた瞳も、すべてわたしのせいなのだ。ずっと心の中で言い訳していたことが恥ずかしい。この結論は、なんとたやすく腑に落ちるのだろう。

「それは違う」

 断固とした声だった。ジューンは我に返り、ジョンを見上げた。

「ジューン、ぼくたちはこの地球上のすべての悲劇の責任を負うことはできないよ」

 ジョンは部外者らしく、この問題には不似合いな快活さでそう言った。

「は、はい…………えっ?」

「つまりぼくたちは、理想とするほど多くのことに責任を持つことはできないし、できると思うことは傲慢だとも言える。なんでもコントロールできるって思っていることになるからね」

 ジューンはジョンの澄んだ瞳を見上げながら、自分の中途半端な説明のせいで、きっと話が噛み合っていないだろうことを申し訳なく思った。

「そ、そうでしょうか? でも妹のことは、わたしは何かできるはずなのに、実際には何もしてこなかったのです」

 ジューンは実家の問題を隠したままで、話を合わせようとした。

「『すべてわたしのせい』だなんて言えるほど、きみに影響力はないよ。客観的に考えてごらん」

 幼い子供に教えるように、ジョンは優しく言った。

「わたしが能無しだから、何もできないということですか?」

 自嘲の笑みを漏らすと、ジョンは首を横に振った。

「ジューン、みんなそうだし、当たり前なんだよ。ぼくたちは理想とするほど多くのことは出来ないものなんだ。だからみんな、自分のことを無能だって思う。けれど、違うんだよ。理想が高すぎるだけなんだ。きみは能無しではないし、何もできないわけじゃない。けれど、何もかもできるわけでもない。ただそれだけのことなんだよ」

 ジューンの眼に、じんわりと涙が滲んできた。わたしは許されようとしているのか。けれど、この人は全てを知るわけじゃない。

「ねえ、ジューン、ぼくの願いはね、きみにもう苦しんで欲しくないということなんだ。きみは妹さんを引き取ろうとして、お金を貯めている。アミーリアから聞いたんだよ。ジューンはみんなでサウスブルックスに買い物に行っても、自分のものは何も買わない。お給料はほとんどぜんぶ貯金しているんだって。……それでもう十分なんじゃないかな?」

「な、何が十分なものですか。まったく違います。そんなものはただの自己満足です」

 憤りが込み上げるのと同時に、涙が溢れた。ジューンは懸命に、震える声を吐き出した。

「外の人間がいくら心配しようが、お金を貯めようが、そんなのはメイには関係がないことなのです。現に助けてくれなかったら、意味がないんですよ……」

 次から次へと出てくる涙で何も見えなかった。もはや体裁もなにもない。ジューンは顔を歪ませ、ぐちゃぐちゃになって泣いた。

「ああそうだね……、たしかにその通りだ……」

 ジョンの声はやさしく、少し苦しげだった。

「それでも、ぼくはきみにもう苦しんで欲しくないと思うよ。きみを見ているとそう思うんだよ、……もう解放されて欲しい。ぼくの願いは、無理なことなのだろうか?」

 ジューンは何も答えられないまま、うつむいた。嗚咽をこらえて歯を食いしばると、身体ががたがたと震えた。固く閉じた瞼の隙間から涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。

 早く泣き止んで、何か前向きなことを言わなければ。一心にそう努めているのに、震えを止めることすら出来なかった。

 ジョンの大きな手が、頭に触れる感触がした。

 転んで泣いてしまった子供をなだめる時のように、撫でてくれるのだなと思った。すると、彼の身体が近づく気配がして、胸に抱きしめられた。

 えも言われぬ心地よい感覚がして、ジューンの身体から力が抜けていった。普通の子供というものは、このようにして母親に慰められるものなのだろうか。柔らかな温もりを感じるうちに、嘘のように気持ちが落ち着いて、ただ涙だけが静かに流れ続けた。

 ジョンに対する感謝と尊敬で一杯になりながら、ジューンはメイのことを考えていた。

 あの時、わたしもこうしてあげれば良かったのかもしれない。メイを抱きしめ、大好きだよと伝えることが出来れば良かったのに……。

 ジョンはジューンが泣き止むまで、一言もせかさずに、背中をさすって慰めてくれた。

「明日の日曜日が休みでよかった。このまま一週間会えなかったら心配だから」

 落ち着きを取り戻したジューンに、彼はそう言って笑った。

 明日また会う約束をして、裏庭でジョンと別れた。メイの状況が何か変わったわけでもないのに、気分がすっきりとしている。ジューンはそんな自分に驚き、罪悪感を覚えながら仕事に戻った。


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