第十一章 幸福の追求
その夜、コッツワース屋敷に戻ったジューンは、ほとんど眠れなかった。
あの時、あの瞬間、もっと他に出来ることはなかったのだろうか。
それとも、これでよかったのだろうか。
本当にメイの方は虐待されていないのだとしたら、その違いは、いったい何故なのだろう。
二日後の土曜日は、数週間ぶりに午前半日が完全休暇だった。
メイの一件以来、考え込んだり憤ったり。
今にも彼女が助けを求めて屋敷に来るのではないかと思い、正面玄関のベルが鳴れば耳をそばだて、使用人通用口が騒がしくなれば急いで駆けつけた。ライト夫人と会ったことが引き金になり、蓋が取れたみたいに虐待されていたころのことを思い出した。
よほど疲れた顔をしていたのか、上司たちは心配して、昼まで寝ていたらどうかと勧めてくれた。
言われるまま、ジューンは寝室のベッドに横たわった。ジョンがくれた小箱と手紙を胸に抱きしめると、気持ちが安らいだ。
午後になり、ご家族の昼食の後片付けをしたのち使用人ホールに戻ると、ジョンが待っていた。
「ジューン、どうしたの? 何があったんだい?」
ジョンは椅子を引き、病人を扱うように、かばいながら座らせてくれた。
「体調が悪そうだよ。寝てなくて大丈夫なの?」
ジューンは微笑んだ。安心させようとしたのではなく、ただ再会が嬉しかった。
「大丈夫ですよ。そんなにひどい顔をしていますか? 旅行の疲れかもしれません」
「旅行の疲れって……、それだけのようには見えないよ」
ジューンはジョンの困惑ぶりに驚いた。寝室から降りてくる前にちゃんと鏡を見ればよかった。精一杯笑って、話を変えることにした。
「そうだ、わたし、謝らなければなりません。お手紙をありがとうございました。返事を書こうとしたのですけど、手紙を書くのがすごく苦手で、時間がかかってしまって、帰る日までに書けなかったんです。あの……、本当に、本当に、申し訳ありません」
ジョンは困惑顔のまま、別のことを考えている様子で答えた。
「そんなことは構わないよ。ぼくの方こそ手紙を出すのが遅くてごめん。あれでは返事が書けないのはしょうがないよ」
「いいえ、違うんです。あなたは何も悪くないんです。他の人だったら十分間に合うのに、わたしがノロマだからいけないのです」
「そんなことはもういいよ。それより、本当に疲れているだけなの? 何かあったんじゃないのかい?」
ジョンはゆっくりと手を上げ、指の背でそっとジューンの額を触った。濃褐色の瞳が、心配そうにのぞき込んでいる。
「熱はないようだけど、何というか……辛そうな顔をしているよ」
彼は指を離すときに、ジューンの頭をやさしく撫でた。
ジューンは自分の中の必死の努力が、頑張りが、抵抗する間もなく溶けて無くなるのを感じた。眼の奥に涙が込み上げた。ジューンはすんでのところでそれを抑え込み、一つ息を吐くと、こう切り出した。
「実は、妹のことでちょっと……」
ジョンは神妙な面持ちで頷いた。
「妹が、コッツワース屋敷のメイドになるという就職話があったんです。それが先日……ちょっと事情があって、取り消しになってしまって……。そのことがショックで、落ち込んでいるだけなんです」
すべてを話すことなどとても出来ない。ジョンには、異常な家で育った人間なのだということを、決して知られたくなかった。
ジョンは真剣な眼差しでジューンを見つめ、何か考えているようだった。
「そのことだけど、少し、外で話をしていいかな?」
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