9-2

 ジューンは暇さえあれば手紙を読み返した。

 その様子を見て、ミセス・マイヤーは「ジョンだね?」と言ってニヤリとし、マイルズ家のメイドは「恋人なんですって? いいわね~!」と浮き立った声を上げた。

 二日後、マイルズ家のメイドがジューンに話し掛けた。

「恋人への返事は書けた? 今から郵便局に行くんだけど、出してきてあげようか?」

 ジューンは息が止まりそうになった。

 世間では、手紙をもらったら返事を出すものだということを、その瞬間まで完全に忘れていたのである。

「書けていません……わたし……書いていないんです……」

 愕然とするジューンを見て、マイルズ家のメイドは動揺したようだった。

「ど、どうしちゃったの? どうして書いていないの? 何かあったの?」

 すっかり忘れていたし、今から急いで書こうにも便箋を持っていない。そんな内容をジューンが慌てふためきながら話すと、マイルズ家のメイドは訳が分からないといった様子で、親切にも自分の便箋と封筒をジューンにわけてくれた。

 しかし、何を書けばよいのやら。

 地下にある、狭苦しい使用人の控え室で、ジューンはペンとインクと便箋を前にして途方に暮れた。

 往々にして、他の人には何でもないことが、ジューンには難関だったりする。ジューンはこれまでの人生で、仕事の手紙ならともかく、私信を書いたことは一度もないのだ。

『わたしも手紙は苦手です。つまらない文章を読ませてしまうことをお詫びします』

 ジョンの手紙を真似て、最初にそう書いた。これは個人的な手紙の書き出しとして一般的なのだろうか。

 日々繰り返し同じように、ケイトの身辺を世話しているだけのジューンには、ジョンに報告するに値するような出来事は何もなかった。

『……ケイトお嬢さまの付き添いとして、貸本屋に行きました。読書家のケイトさまにとっては特に目新しい本はなかったようです。けれど「せっかくだから」と仰って、バースを舞台にした小説をお借りになりました。次の日は、また付き添いとして婦人用品店に行きました。ケイトお嬢さまは扇子と帽子をご購入されました。ミス・マイルズはブローチとペンダントトップを、ミス・エリナーはブローチと髪飾りをご購入されました……』

 こんなの面白いのだろうか。男性相手に婦人用品の話題なんて、絶対に面白くない。最初のお詫びが全然足りていない。書き直したいけれど、便箋をもう一枚欲しいなんて、図々しすぎてとても言えない。ジューンは八方塞がりのような気持ちになり、情けなくて涙が出そうだった。

 次の日も、その次の日も、ジューンは返信の為にもがいていた。許可を取り、大急ぎで新しい便箋を買いに行った。何を書けば正解なのかが分からず、何を書くのも怖かった。

 心の中で、最初はとにかく手紙をもらったのだから返信しなければならないという気持ちが優勢だったのが、次第に、ジョンはジューンの手紙なんか待っていないだろうし、拙い手紙を読ませるのは却って迷惑だという気持ちの方が勝っていった。とうとうジューンは諦めた。仕事の合間に必死で取り組んだのに、月曜日の深夜になっても、返信を書き上げることが出来なかった。明日はコッツワースへ帰る日である。時間切れだった。

 ジューンは罪悪感と自己嫌悪に押し潰され、地べたを這いつくばるような気持ちで帰途についた。ミセス・マイヤーが体調を心配して声を掛けてくれた。ジューンは元気なふりさえ満足にできない自分が嫌になり、さらに落ち込んだ。


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