第四章 建築マニアとメイドの夢

 ジューンとジョンの休日が重なるのは、一週間に一度。土曜日または日曜日の午後半日だった。二人はその時間を、めいっぱい一緒に過ごした。

 最初の日曜の午後、待ち合わせた教会の広場に行くと、ジョンは村の子供たちと遊んでいた。

「ジューンも逃げて!」

 鬼ごっこである。ジョンはすでに人気者だった。

 子供たちと一緒に走り回っていると、ジューンは自分も子供になったような気がした。

 ジョンの鬼がジューンを狙った。きゃっと声を上げて逃げるジューンを、あっという間に追いついて捕らえる。ジョンの両手が、しっかりとジューンの両肩を掴んだ。

 ひとしきり遊んだ後、ジョンはネザーポート屋敷へ行こうと言って、教会の裏から自転車を引いてきた。

「これ、ジョンの?」

「そう。きみも自転車に乗っていたよね?」

「あれはコッツワース屋敷のものなのです。使用人みんなで乗るようにと、クリスマスにサー・ウォルターが三台もプレゼントしてくれたんですよ」

「それは便利そうだね。ネザーポート屋敷まで行くのに、きみも自転車の方がいいかもしれない」

「いえ、お屋敷の自転車は仕事用なので……」

「じゃあ、二人乗りの経験は?」

 その自転車はサドルの後ろに荷台がついていた。

「ないです」

 答えながら、ジューンはまさかとジョンの表情を窺った。

「やってみる?」

 いたずらっぽい微笑が、そこにあった。

 いつもの田舎道を、二人乗りの自転車がゆるゆる進んだ。ジューンはスカートをたぐり寄せて持ちながら、荷台に横座りしていた。危険だからとジョンに言われて、右手は彼の腰に回している。

 はじめは緊張して全身こわばった。慣れてくると、彼の背中と自分の身体との距離がもどかしく、その空間を埋めたい欲求にかられた。理性が押しとどめて、もちろん、そんなことはしない。胸がいっぱいで苦しいような、妙な気持ちになった。

 生垣が視界を流れ、その向こうには、広大な農場が果てしなく続いていた。

 牧草地や小さな森の緑が、濃淡の異なるカーペットのように、地平まで幾重にも敷かれた田園風景である。たぶん英国中のどこにでもある、平凡極まりない、見飽きた景色だ。

 それを今は美しいと思う。午後の陽光で草地は輝いているし、白い雲は絵筆で描いたみたいだし、それらが視界の果てに向かって吸い込まれて、青空と大地が重なり合うさまを見ていると、神の偉大さを感じずにはいられなかった。

 すべて満たされ、嬉しくて、何も考えていないのに、何でもできそうな気分だった。

 そう、これが幸福な気分というものなのだ。

 あらためて自覚すると、今度はそれを打ち消す感情が、胸の底から染み出てきた。浮き立った気持ちが、ふと冷静になる。日が陰ったのか、視界がさっきよりも曇った気がした。

 コッツワース村の教会からネザーポート屋敷まで、途中だらだら続く上り坂で苦戦しながらも、二人は協力して自転車を走らせた。石塀の先に現れた屋敷の門は開いていて、入ったすぐ右手に門番が住むためのロッジがあった。

 ジョンはそこに入って行き、家政婦長が提げているような鍵束を持って、すぐにまた出てきた。彼は普段はロンドンに住んでいて、工事の間だけホワイトストン男爵の許可をもらい、門番用のロッジに住まわせてもらっているとのことだった。

 再び自転車で馬車道を進んだ。林しか見えない数分間ののち、急カーブを曲がると突然視界が開けて、工事用の足場に取り囲まれた白亜の屋敷があらわれた。

 イタリア風のデザインで、緩やかな傾斜の寄せ棟屋根を、手すり壁が巡っている。屋根の中央には、薄べったい三角形の装飾用破風があり、シンプルな外観の特徴になっていた。馬車道が向かう正面玄関は、ギリシャ風のポーチが張り出している。

 ジョンは自転車を壁に立てかけると、慣れた手つきで正面玄関の鍵を開けた。

「心配しないで。一番下っ端だから、毎朝一番に来て鍵を開けるのが役目なんだ」

 扉を押して入ると、ジョンは振り返り、先に行くようにと合図した。

「部外者が入ってもいいのかしら?」

 ジューンは敷居の外から彼を見上げた。

「明日、現場監督に言って許可をもらうよ。大丈夫」

 ジョンは完全に自信があるようだった。ジューンはおずおずと足を踏み入れた。


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