守るべきもの
消しきれずにほんのりとチョークの粉が残った黒板、規則正しく並んだ机。
わたしは、いつもと変わらない学校の教室に立っていた。
3年5組という立て札が廊下の天井から吊るされている。
3ヶ月と少し前まではいつものように此処に来て、机に向かって勉強をしていたはずの場所だ。
少し開いた窓からほんのりと暖かみを感じる初春の風が流れ込んできて、わたしの髪を優しく撫でていく。
間違いない、これは…夢の中だ…。
何故か直感的にこれは現実ではなく夢なんだということが分かった。
これが明晰夢というものなのだろうか?
わたしは、生まれてはじめて味わう感覚に少し戸惑いを感じていた。
すると、窓から紅梅と白梅の花びらが数枚、入り込んでくる。
ふわりと梅特有の甘い芳香が教室を優しく包み込んだ。
「「明日美ちゃん…」」
ふと少女の声が聞こえてくる。その声が聞こえてきた方向に顔を向けると、わたしと同い年くらいの少女が二人、セーラー服姿で立っていた。
「奈央…!?それに…里沙…!?」
驚くのも無理はない。そこには、半月ほど前から行方知れずになっていた奈央と里沙が立っていたから。
「明日美ちゃん、元気そうで良かった。」
里沙が優しく微笑みながらわたしの手を握る。
柔らかくて、温かい。如何にも女の子らしい手だった。
「美晴ちゃんは無事。だから安心して…。
それに、山崎くん達が付いているからきっと明日美ちゃんは生き延びられる。」
奈央がそう言いながらわたしの方へ歩み寄ってくる。
「なっちゃん、りっちゃん、今どこにいるの?」
わたしは思わず二人の袖を掴んでいた。やっと会えたと思ったのに、それが夢の中だったなんて…。
「分からない……。自分が生きているのか、死んでいるのかも。」
里沙が悲しそうな表情で呟く。彼女の一言を最後にわたしは夢から目覚めた。
「奈央…?…里沙…?」
目が覚めて辺りを見渡してみるが、里沙と奈央の姿はもちろん無い。
それに、なんだか夢から目覚めさせられたみたいだ。
「生きているのか死んでいるのか分からない」
里沙の一言が妙に引っ掛る。彼女の言葉が本当だとしたら、二人はまだ生きているかもしれない。
二人が生きていれば…どれだけ嬉しいだろうか?
「会いたいよ……。」
わたしは思わず言葉を漏らしていた。目の前の景色が溶けるようにぼやけていく。
気が付けば一筋の涙が、わたしの頬をつたっていた。
季長くんが裕太くん達のところに戻ったのを見届けてから、あたしは再び荒廃した街の景色を眺めていた。
本当に見れば見るほど無惨な有様だ。この時代の都市は結構発達していたと聞いたが、今では地獄同然の世界。
例え、この騒ぎが収束したとしても、街が復興するまでには数年以上掛かるだろう。
これ以上、この有様を憂いてもしょうがない。
そう思ってあたしは街の景色に背を向けて、裕太くん達のところへと向かった。
「俺、約束守れないかもしれない…」
聞こえてきたのは裕太くんの今にも消え入りそうな弱々しい声。
「あいつと花見をしながら皆と一緒に弁当を食べるって約束したのに…。
このまま、あいつを残して死ぬなんて絶対に嫌だ…。」
「僕もだよ。あの子を残して死にたくはない。それに裕太を残して死ぬわけにもいけないからね。」
一翔くんが今にも泣き出してしまいそうな表情で語る裕太くんに優しく寄り添う。
いつもと変わらない冷静な口調だったが、何処か優しさに満ち溢れていた。
「我も…必ずや明日美殿を、季長殿を、裕太を、一翔を…それに友里亜殿も…必ず守って見せる。」
義経くんがはっきりとした口調で言った。その横顔には、強い意志が宿っているかのように感じられた。
友里亜…その名前を聞いた途端、あたしは胸が熱くなるのを感じた。
始めは彼ら彼女らをリュウや夕菜に対する復讐の道具だとしか思っていなかった。
でも、彼ら彼女らはあたしのことをちゃんと仲間だって思ってくれている。
その気持ちを裏切ってはならない。あたしも、彼ら彼女らを守ってあげなくては…。
「某も…これ以上は誰も死なせはせん。」
季長くんが独り言のように呟く。その表情は何処か悲しみを含んでいるかのように思えた。
必ず守り抜く…。裕太くん達の意志は強い。
例えこの先、夕菜とリュウがどんなことをしようとも、彼らの思いを曲げることは出来ないだろう。
明日美ちゃん…あなたはなんて幸せ者なのかしら?
こんなことにさえならなければ、リュウと夕菜があんなことさえしなければ、この子たちは今頃平凡な日常を過ごせているというのに…。
あたしは夕菜とリュウを許さない。明日美ちゃん達と出会ってから許せない理由がまた一つ増えた。
「やっぱりここに居た…。」
ふと背後から少女の声がする。振り返るとそこには夕菜がサイドロングの茶髪を揺らしながら立っていた。
「安心して。アタシはただ偵察に来ただけ。
兵は一人も連れていないから。」
夕菜がこの場にそぐわない明るい笑みを浮かべながら言う。
「アタシは出来ればアンタ達を殺したくない。だからこちらの条件を呑めば命だけは助けてあげるわよ。」
そしてより一層不気味な笑みを浮かべて一言。
「アンタ達、アタシの仲間にならない?」
夕菜がそう言いながらこちらに手を差し出してくる。
「特にアタシはアンタらと暫くクラスメートだったからね。
だから色々と聞いているのよ。明日美、裕太、一翔、義経、季長、アンタ達、色々と酷い事をされたんだってね。」
夕菜の一言に明日美ちゃん達の瞳が僅かに揺らぐ。
「だからアタシらの仲間にならないかしら?アタシらの仲間になれば殺戮の限りを尽くしても何も咎められることはないわよ?
だからアンタ達に酷いことをした奴らを好きなだけ痛めつけられる。」
夕菜は両手を広げて狂気に満ちた笑顔をうかべた。
その姿はとてもこの世のものとは思えない程に酷く悍ましかった。
「憎い奴らが苦痛に泣き叫ぶ姿。苦しみ、のたうち回りながら死んでいく姿を見たくないかしら?」
夕菜はまるで遊びに夢中な幼子みたいな笑い声を上げている。
夕菜は何の罪悪感もなく命を尽く奪っているに違いない。
無邪気な幼子が、虫を潰していくかのような感覚で。
「そんなの絶対に嫌…!」
明日美ちゃんが夕菜に対してはっきりとした口調で言い放った。
裕太くん達4人は刀を抜くとその刃先を夕菜へと向ける。
「誰がおめえみたいな奴に従うんだよ。」
「残念ながら僕達はあなた達に従うつもりなんてない。」
「我らは貴様みたいな奴らには従う気などない。分かったら消え失せろ下衆。」
「某は貴様のような者の臣下などにはならん。」
裕太くん、一翔くん、義経くん、季長くんが夕菜に対して言い放つ。
淡々とした口調の中に激しい怒りと殺気が込められていた。
「そんなに怒らないでよ。せっかくの整った顔が台無しになるじゃない。」
夕菜は特に怖がることもなく、寧ろそれを楽しんでいたのだ。
「こちらの条件を呑む気はないのね…分かった。」
そして夕菜は裕太くん達4人の顔をまじまじと見ながら冷ややかな笑みを浮かべた。
「なんて綺麗な顔…殺すのが惜しい。」
その一言を口にして夕菜の身体はまるで煙であるかのように空気中に溶け込んでいく。
「必ず殺してあげる。原型が分からなくなるくらいにグチャグチャにしてあげる。
どんなに綺麗な姿形をしていても無惨な死に方をすれば醜くなるってことをこのアタシが教えてあげる。」
夕菜の身体が完全に煙になり、消え失せてもなお、声だけが辺りに木霊していた。
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