もう一つの過去。
「母さん…父さん…。」
眠っている筈の裕太が何やら寝言を言う。聞き逃してしまうくらいに小さな小さな声だが「母さん、父さん」と言っているみたいだ。どうやら死んでしまった両親の夢を見ているらしい。
裕太、一翔の両親は事故で命を落とした。逆走してきたワンボックスカーに追突されたせいで。
犯人は責任能力が無いとかで実質無罪放免になってしまった。
両親が亡くなった時、二人はまだ小学生。まだまだ両親に甘えたかっただろうに。
テストで良い点を取って「よく頑張ったね」ってもっと沢山褒めて貰いたかっただろうに。
もっともっと一緒に居たかっただろうに。
両親が死んでしまってから裕太、一翔はすっかり人が変わってしまった。
いつも素直で純真無垢な笑顔を浮かべていたのに、あの日以降、彼らから笑顔は消え失せてしまった。
あれから6年が経過した今でもいつも無表情で何を考えているのか分からない彼ら。
どれだけ辛かったのだろう?と思えばいつも胸が締め付けられた。
辛い思いをしたのは一翔、裕太だけでは無い。
季長も、義経も。辛い思いをたくさんしている。
わたしは4人の笑顔が好きだった。小さい頃はいつも一緒に遊んでさ笑い合っていた…のに…。
時代だから仕方ない、法律なのだから仕方ないと到底割り切れる筈もなく。
彼らから笑顔を奪っていった存在が、ただただ憎かった。
当事者じゃない、彼らの辛さなんて一ミリも理解していないわたしが憎むのは間違っている。
でも、憎まずには居られなかった。
「裕太殿も辛い思いを沢山してきたからな…。」
隣でふと義経が意味深に呟く。彼にも何かまだ隠している過去があるんじゃないかと思った。
「ねえ、よっちゃんって鞍馬寺にいた時に何かあったの?」
聞いてはいけないと分かりつつ、つい口から溢れ落ちた
今の言葉は取り消すべきだろうか?と考えているといがいにも彼から語り始めた。
今からもう5年以上も前のこと。彼がまだ鞍馬寺に預けられていた頃の話だ。
義経はその鞍馬寺で稚児をしていた。普段は学問に励んだりしている。
その結果、「ここまでの稚児はなかなか居ないだろう」と言わしめる程に学問にも秀でており、また母親譲りの眩いばかりのその美貌からなのか僧侶達から一目置かれる存在となっていた。
そこまでは良かったのだ。当時、僧侶達は女性と交わる事は罪だった。
だが、稚児は仏様の化身だから交わっても構わないと。恐らく僧侶達の性的欲求のはけ口のためなのだろうけれど…。
上流階級出身の上稚児は僧侶達の欲求のはけ口にはされず、義経のような中稚児や下稚児が主にはけ口に使われたのだ。
「遮那王…あんた、ほんに綺麗じゃのう…。」
突如耳元から囁くような声が聞こえる。その人はそれから元結にしてある長い黒髪を指で掬う。
「この緑の黒髪を剃るのが惜しいのう…。」
そう一言零した後、突然押し倒された。
華奢な体格の義経(遮那王)の力じゃどうしようもなくされるがまま。
そのまま着物を脱がされ、僧侶達の欲求のはけ口にされるのみである。
正直辛かったけれど我慢する他はない。
全てが終わった頃はとうに夜も明け、薄光が雲を照らし、空は紫色に染まっていた…。
それから程なくして彼自身が源氏出身である事が周囲にバレてしまったのか他の稚児達の態度が明らかに変わった。
以前は仲良くしていた子から無視される、仲間はずれにされるなど散々である。
「ねぇ…。」
遮那王は他の稚児に声をかけるが相手からの反応はなく、ただ汚いものを見るかのような視線でさっと一撫でするだけ。
当時は「平家にあらずんば人にあらず」と言われた時代。
周囲の稚児は殆どが平家出身か上流貴族の出身か。
源氏出身の遮那王など攻撃の対象でしかなかったのだ。
僧侶達はと言えば「源氏の子はいいのう」と言って遮那王を毎晩毎晩欲求のはけ口に使っている。
他の稚児からは相変わらず無視され、何をするにも仲間はずれでいつも一人ぼっち。
毎日が寂しかった、辛かった。
とある日の事、遮那王が落ち葉を箒ではいているとき。
突然背後から石が投げつけられ、それが頭を直撃する。
「…ッ!!」
反射的に頭を押さえると背後から聞こえてくる嘲笑。
「この人でなしっ!!」
誰かがそう言った。他の者もその一言に釣られたかのようにクスクスと笑う。
それからが地獄だったのだ…。
とある日、写経をしていると他の稚児がやってきて墨の入った硯をわざとひっくり返す。
びっしりと経が書かれた和紙は忽ち真っ黒になる。
遮那王はどうして良いのか分からずに戸惑っているのを見て周りに居た稚児達はまるで面白いものを見るかのように笑っていた。明らかに楽しんでいたのだ。
それからも仲間はずれは続き、何をするにも敵視され、苛まれる毎日。
そして遮那王は幼いながらも悟ってしまった。
自分は月にも花にも見捨てられた身なのだと…。
辛い目ばかりに遭っていたけれど楽しみが全く無かった訳ではない。
時々こっそりと遊びに来てくれる明日美が何時しか心の拠り所となっていたのだから。
しかしこの場所は本来なら女人禁制。バレたらどうなるのだろうか気が気じゃなかった。
この日も明日美が遊びに来ており、落ち葉を箒ではいている遮那王に彼女が話し掛ける。
「しゃなにい、あーそぼ!!」
何時ものように可愛らしい声で話しかけられつい応じてしまいそうになったが駄目だ…。
今日で明日美との関係を終わらせなくては。
「もうこれ以上我に構うでない!!」
口を次いで出たのは自分でも驚く程に残酷で乱暴な言葉だった。
当の明日美は面食らったような顔をしていたが程なくして綺麗な瞳に涙を溜めると
「もういいもん!!しゃなにいなんかだいきらいだもん!!」
と叫ぶと踵を返し、もと来た道を走り去って行った。
正直たった一人しか居ない気を許せる人とこんな形で別れるだなんて辛かった、苦しかった。
でもこうするしか無かったのだと自分に必死に言い聞かせる。
それからも周囲の稚児達からの仲間はずれや無視、攻撃が止むことはなかったし、毎晩毎晩僧侶達にされるがままの日々が続いたのだ。
全てを語り終えた義経は何処か遠い所を見つめている。
大体予想はついていたもののまさかこんなに辛い話だとは思わず、わたしは何て言えば良いのか分からない。
言葉に迷っていると彼が悲しそうな表情で口を開いた。
「だから…ずっと言えずに居た。我は…その…穢れておるから。」
「そんなことないよ。」
わたしは義経の言葉を真っ向から否定した。
「穢れてなんか居ない、穢れている訳がない…。だってわたしの事、守ってくれるし、いつも助けられてる。
だからそんな自分を卑下するような事言わないで。」
「明日美殿…!!!」
彼が震えるような声でわたしの名前を口にする。
その時、彼の目から一筋の涙が零れ落ちたのをわたしは見逃さなかった。
でも、あえて見なかったことにしておいたのだ。
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