ピンチは突然に

 何とか廃ビルから脱出し、わたし達は舗装道路の上を歩いていた。


 これからどうしよう…?廃ビルに入ったとしてもまたヤツらに襲われるかもしれない。

 そして何よりも今は重症を負っている季長を休ませる場所を探す必要がある。


 一翔の背中に背負われた彼は時折痛みに顔を歪めていた。


 彼がわたしを庇ったから。あの時わたしを庇わなければ、あの時わたしが勝手な行動を取っていなければ彼は怪我なんかしなかった筈だ。


 きっとわたしのせいなのだろう…。季長はわたしのせいじゃないと言ってくれたけれど、どう考えても悪いのはわたし。

 それから歩いて暫く経ち、ビルの裏路地にひとまずやって来た。

 ここならヤツらは居ないだろうから。ここで10分くらい休むとしよう。


 一翔はとりあえず季長を下ろして座らせる。


 わたしは彼の着物の袖を捲り、布を新しいのに替える。

 彼の肌には固まった血液がベッタリとこびれ着いており、白い肌を赤黒く汚していた。おまけに開いた傷口からは赤い血が滲んでいる。


「とりあえず休もう?これ以上無理したらあなたが…死んじゃう…。」

 絶対に死んで欲しくなんかない。出来ればずっと一緒に居たいと思うから、だから何があってもお別れなんて嫌。


「休む訳にはいかん…。」

 彼は痛そうに顔を歪めながらそう言った。

「お願いだから休んで下さい!!」

 一翔が必死な表情で季長に言う、でも季長はそれを否定。

「それだと…足でまといではないか…?足でまといになるくらいなら…この場で死ぬ…。」

「駄目だよ!!お願いだからそんな事言わないで!!

 わたしも裕太もかず兄もよっちゃんもすえ君の事が必要だから…ッ!」

 思わずそう叫ぶわたし。季長は驚いたような感じでこっちを見ている。


 それから程なくして一翔、裕太、義経が一言。

「明日美ちゃんの言う通りです。」

「俺達が支えるから大丈夫だ。」

「今の我らには季長殿が必要だ。」


 彼らの言葉に対して季長は頭を深々と下げて

「誠にかたじけない…。」

 と言った。彼の瞳が心做しか潤んでいるように見えたのは気の所為だろうか?


 それから何とか傷口の止血を終えて、少し落ち着いてきた頃のこと。


 突然背後から聞き覚えのある呻き声が聞こえてくる。それと同時に何かが腐ったかのような強烈な腐敗臭。

 間違いない、ヤツらがこっちにやってきているのだ。

 ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙…。まるで喉から絞り出すかのような、苦しそうな呻き声。

 でもヤツらは死んでいるから苦しみを感じるはずは無いだろう。でも何故かそう感じてしまうのはきっとゾンビ化してしまった人に対してわたしが少なからず同情の念を抱いているからであろう。


 夕菜やリュウがこのような実験などしなければ、ゾンビ化してしまった人達は今も元気で居るのにと。


 人間って本当に勝手だな。自分達の望みのために多くの罪もない人を巻き込んでゆく。


 夕菜やリュウがこんな事さえしなければ、奈央に里沙、両親、義経の家臣もここに居る筈なのに。4人の心の傷を深くする事もなかったのにと夕菜やリュウに対するやり場の無い怒りが沸々と湧いてくる。


 そして近づいてくる呻き声と何とも言い難い腐敗臭。

 艶を失った長い髪に腐敗の過程で体液が滲み出て変色したワンピース。

 ワンピースの裾からは腐って変色した脚が伸びている。

 長い髪にワンピースという出で立ち、恐らく20代〜30代くらいのまだ若い女性なのだろう。


 ヤツはわたし達に狙いを定め、こちらに手を伸ばしてくる。

 その時、ヤツの爪にチラリとマネキュアがしてあるのが見えた。

 ショッキングピンクのマネキュアは半分程剥がれてはいたものの、その鮮やかなまでの色合いは眩しいくらいだ。


 きっと生前はとてもオシャレで綺麗な女性だったに違いない。腐敗して肉が崩れ落ちかけた顔もよく見れば造形はそれなりに整っており、生前であれば男女問わず美しく映ったのであろう。


 その女性のゾンビはわたしに狙いを定めて覚束無い足取りで一歩、二歩と近づいてくる。


 ベタリ…グチャリ…

 裸足でアスファルトの地面を踏む度にグジュグジュに腐った肉が湿っぽい音を立てた。


「明日美ちゃん!!」

 途端に一翔の声がわたしの鼓膜を揺さぶる、気がついた時にはヤツの首が切断され、舗装された地面に力なく転がっているのみ。


(助かった……。)

 そう胸を撫で下ろしたのも束の間、四方八方からヤツらがこちらに向かってやって来る。

 ざっと20体くらいは居るだろうか?

 中には腐敗が進んで、性別が分からないものや、死んでそれ程経っておらず腐敗があまり進んで居ないものが居た。


「クソ…。囲まれたか…。」

 裕太が日本刀を抜き放ちながら悔しそうに呟く。


 それからヤツの存在に気がついた一翔や義経も刀を抜くとヤツらに向かって構える。

 季長もヨロヨロと立ち上がると刀を抜いてヤツらに構える。


「怪我してるんだから無理しちゃダメだよ!!」

 わたしが彼にそう言うと彼は首を横に振りながら

「怪我なら…もう大丈夫だ…。」

 と言った。その苦しそうな表情を見る限りとても大丈夫そうには見えない。

「でも、やっぱり無理しちゃダメだよ…。」

 わたしは何とか彼を説得して休ませようとするが季長はそれを否定するのみ。

「これ以上…皆に迷惑など…掛けとうない…。」


 これ以上誰にも迷惑を掛けたくない…。そんな彼の強い思い。これ以上休むように言っても絶対に聞きはしないだろう。


 季長は痛む身体に鞭打って、裕太や一翔、義経の元へと行ってしまった。


 ヤツらはすぐさま4人に標的を変えて襲いかかってくる。死んで思考力の無くなった彼らは感情の無い動く屍。

 感情がないからこそ残忍でなんの躊躇いもなく人の命を奪ってゆく。例えそれが生前大切だった人相手であっても同じ。

 ゾンビ化してしまえば大切な人もただの餌同然である。


 4人はそんなヤツらの首を次々に切り落としてゆく。

 忽ち地面に転がる腐った生首。あっという間に倒されていくゾンビ達。

 季長はと言えば、重症を負っているとはとても思えないような動きでヤツらを倒していく。

 そして、ヤツらは完全に倒し尽くされた。


 すると何やら紙切れが1枚地面に落ちているのが目に入り、ふと気になったわたしはそれをそっと拾い上げる。

 何なのだろう?と思い見てみると、それは1枚の写真だった。

 綺麗なワンピースを着た美しい顔立ちの若い女性が男性と一緒に幸せそうな様子で写り込んでいる。


 このワンピース…間違いない、最初にわたし達を襲ったゾンビだ。

 わたしは一体何を思ったのだろうか?特に訳もなく写真を裏返す。その写真の裏面には震えるような文字で小さく「ごめんね、愛してる。」と書かれてあった。


 きっとこの女性がゾンビになってしまう前に書いたものに違いない。

 震えるような文字には愛する人と生きられない辛さと計り知れないような愛情に溢れているような気がした。


 この女性はゾンビになる直前まで愛する人のことを思い続けていたに違いない。

 ヤツに噛まれ、これ以上愛する人の傍に居ることはできないのだと分かった時、彼女はどんなに悲しかっただろうか、悔しかっただろうかと彼女の胸中を思えば居た堪れなくなる。


 わたしはそっとその写真を彼女の亡骸の傍に置くと静かに手を合わせたのだ。


 それから新しい居場所を探す為にわたし達は再び歩き出す。


 100メートルくらい歩いた時だっただろうか?

 突然バタリとすぐ近くで何か重いものが倒れるような音がして振り返ってみる。


 わたしのすぐ後ろで4人が…倒れていた。


 そんな…嘘…。

「裕太!!かず兄!!すえ君!!よっちゃん!!」

 わたしはつい我も忘れて4人の名前を叫びながら駆け寄る。

 ずっと無理してたからだ。食料も何も無いのにずっと動き回っていたから、ずっと戦ったから。

 それに心做しか以前よりも4人の頬の肉が削げているように見える。


 ただでさえ細いのに、無理するから…。


 裕太と一翔、季長は何とか意識はあるけれど、義経のほうは意識を失っていた。

 見た所、外傷もないからきっと無理し過ぎたのだろう。


 どうしよう…4人を抱えるだなんて女であるわたしには出来っこない。

 4人共、倒れた際に頭を打っていなかった事だけが救いだった。


 このままもしも意識が回復しなければ確実に義経は命を落としてしまうだろう。

 それに、裕太も一翔も季長も意識が朦朧としている為このままじゃ危ない。


 どうしよう…。わたしがしっかりしていないせいで…。

 わたしがしっかりしていればこんな事にはならなかった筈だ。


(死んでしまったらどうしよう…)

 ふと最悪の結果が頭を過ぎる。


 嫌…そんなの嫌だ…こんなお別れなんて絶対に嫌だ…。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る