先客

(えっ?誰、誰がいるの?)

 隣の部屋からは相変わらず誰かの声が聞こえている。

 その声は誰かのうめき声に聞こえなくもない。


 まさか…ヤツらが…?ゾンビがこんな所に?

 ヤツらがあんな重い扉を開けて入ってくるだなんて到底有り得ないだろう。


 いや…ひょっとしたら有り得るのかもしれない、世の中には想定外というものが存在するのだから。


「ねえ、さっきから誰かの声がしない?」

 わたしが床に座り込んで刀の手入れをしている4人に話しかけた。

「確かにな、さっきからうめき声が聞こえてるような…。」

 裕太がそう言ったのが合図だったかのようにうめき声は段々とこちらへ近づいて来る。

 それにベタベタと誰かが歩く音まで聞こえる。

 ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙……

 そしてわたし達の居る部屋の扉の前で足音が止まった。

 そしてうめき声は明らかに扉の前から聞こえている。


 バンバンバンバン…

 今度は何者かが扉を手加減無しに叩く。この扉を叩く者はあのうめき声の主なのだろうか?


 まさか…まさか…。

 恐怖が頂点に達したわたしは隣に居る裕太に反射的に抱きついてしまった。


「お…おい!!」

 何故か茹でダコのように顔を赤くさせた裕太が思わず大声を出してしまう。


 その声に反応したのかドアを叩く手は一旦収まる。


(ふう…良かった…)

 しかし安心しているのも束の間、ヤツが先程の倍の強さでドアを叩き始めたのだ。


 バンバンバンバンバンバン…。

 それに一人じゃない。何人もの人が扉を全力で叩いていた。


 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンーー!!


 その振動が部屋中に響き渡り、窓ガラスがピリピリと震える。


「ど…どうしよう…。」

 わたしが慌てていると一翔が一言。

「もうやるしかないね。」

 4人は立ち上がりいつものように刀を腰に差す。

「明日美ちゃんは机の下に隠れてて!!」

 一翔がわたしに叫んだ。わたしは彼の言った通り机の下に隠れる。

 そして義経が扉の前まで行き、扉を思い切り開け放った。


 扉を開け放った瞬間にぞろぞろと出てくるヤツら。

 やはりゾンビだったのか…。でもなんでこんな所に…。


 ここのゾンビは今までで見た以上に状態が酷かった。

 恐らく生前はごく普通の女性だったのだろう、艶を失った長い髪を振り乱し、髪の間から覗く顔は腐敗が進み、鼻は崩れ落ち落ち、穴が二つあるのみで、まるで髑髏に紙を貼り付けたかのようだ。


 また一体のサラリーマンらしきゾンビは腐敗ガスのせいで全身が風船のように膨らみ、腹が裂けて腐った内臓が溢れ出ており、思わず吐き気を催す程の悍ましさである。

 その溢れ出た内臓をズルリズルリと引きづりながら歩いていた。


 それに白い蛆虫を零しながら歩くヤツらもいる上に、身体中からドス黒い体液が溢れ出ている者もいる。

 確か人は死んで腐敗が始まると体液が滲み出てくるのだと、だからこのゾンビが全身から体液を滴らせているのもきっと腐敗のせいだろう。


 出来れば大鎌を手に参戦したい所だけれどもこんな所で大鎌を振るったらヤツらどころか4人まで傷つけてしまいかねないから、大人しく机の下に居よう。


 わたしは机の下で4人とヤツらの様子を伺う事にした。


 サラリーマンらしきゾンビは裕太に襲いかかるがあっという間に首を撥ねられ、その動きを停止する。


 そして2体ほどのゾンビが一翔に噛み付こうと腐り落ちて歯茎が露出した口を開けて襲いかかるが忽ち両腕を切り落とされる。

 両腕を失ったヤツらは行動を大幅に制限され襲いかかることも出来ない。

 ただ、死んでいる為、痛みを感じないヤツは両腕を切り落とされた事に気が付いていないようで先程と同じ行動を繰り返すのみ。


 両腕を失っては余程の事が無い限り相手に噛み付くことは不可能だろう。

 それなのに必死に襲いかかろうとする姿は知能を持たないヤツらしかった。


 一翔はそんなゾンビ2体の首を跳ねる。首は忽ちボトリと鈍い音を立てて床に転がる。


 義経と季長に至っては襲いかかろうとする隙すら与えずにヤツらの首を素早く跳ねていく。


 4人を前にゾンビ達はただの死体も同然。それくらい圧倒的な強さを見せつけていた。


 部屋は忽ち腐った生首でいっぱいになる。するとその時、切り落とされたヤツの首がわたしの元に転がってきた。


 腐敗が進んで変色した肌、白く濁った目と目が合った気がして思わず「ひっ」と小さな悲鳴を漏らしてしまう。


 それがいけなかったのだろう。ヤツはわたしが発した声を聞き逃さなかったらしくこちらに向かってくる。


 そして3体ほどのヤツらが机の下を覗く。見えているのかどうか分からない濁った瞳でわたしを見つめながら。

 心を持たないヤツらは必死に腕を伸ばしてわたしを掴もうとする。

 狭い机の下じゃ上手く動くことも出来ない。

 遂にヤツらがわたしの足首を捉えたらしく、足首にヌメっとしたようなひんやりとしたような感触が伝わってくる。


 これが、腐敗した肉の感触…。なんとも言えないような気持ち悪さが全身に伝わり、あまりの恐怖と気持ち悪さで声が出ない。

 何とか振りほどこうとするが物凄い力で引っ張られて身体がヤツらの方へと近づいていく。


 凄い力…。とてもとっくに命を失った者とは思えない程…。


 わたし、このまま此処で死んでしまうのだろうか?

(まだ生きていたいよ…)


「生きたい…」その気持ちを糧にして必死にヤツらの手を振りほどこうとするが依然と力は強く、やはり無駄な抵抗だ。


「た…すけ…て。」

 声を振り絞るがまるで蚊の泣くような弱々しい声で、これじゃ自分以外には聞こえないだろう。

 でも、あの人達ならちゃんと聞いてくれるのかもしれない…。


 4人ならきっと…助けてくれるだろうから。


「明日美!!」

「明日美ちゃん!!」

「「明日美殿!!」」

 ふと聞きなれた声がわたしの鼓膜に届く。

 良かった…わたしの声がちゃんと届いたんだね…。

 彼らの声が聞こえた瞬間安心感が全身を包み込む。もう怖くないのだなと。

 それからわたしの手首を掴んでいた力も嘘のように無くなっている。

 足元を見るとヤツの手がだらりと床に投げ出されていた。

 そして転がっているヤツらの生首。


「大丈夫?」

 一翔は机の下にあるわたしを覗き込んで声を掛けてくる。わたしは机の下から自力で這い出した。


「もう此処には居られねえな。」

 裕太が生首でいっぱいになったオフィスを見つめながら言う。


「うん、そうだね。」

 わたし達は生首を跨いで何とか廊下に出てくる。

「うっ…」

 すると季長が突然うめき声を上げて地面に片膝を着く。

 見ると怪我した左腕を抑えており、着物に血が滲んでいた。

 傷が開いたのだろう。ずっと無理して戦っていたから。

 一翔は痛みで動くこともままならない彼を背負う。

「一翔殿、かたじけない…。」

 季長が申し訳なさそうな表情で口にする。


 次は何処に逃げれば良いのだろう?此処に居座っててもヤツらが居るかもしれないから危険だ。






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