第18話 VS使い魔

 目の前には強靭な肉体を持つ獣人の使い魔。

 私に残された選択肢は一つだけ。


 薬術を駆使して勝つ!

 これしかない!


 彼は仰向けに倒れている私に向かって語りかける。

「どうした? 立て。小娘。今夜は一緒に遊んでやろう」

 白銀色の犬歯を剥き出しにして嗤う使い魔。


 瞬間、足を私の顎にぶつける。


 衝撃——。

 貫くような激痛が走る。

 視界が揺れる。 


 ガッ!


 続けて、頭を掴まれた。

 彼の大きな手の感触。

 ――手の肌が鉄のように硬い。


 かなり鍛えられているのだろう。


 悪魔のように長く、鋭い爪が皮膚に突き刺さり、くい込んでいく。

 このままでは、頭蓋骨を握りつぶされてしまう。

 なんという握力。


「くっ…………」


 指の間から垣間見る鬼畜な表情。


 ――――歪んだ目。

 ――――見開かれた黒色の瞳に醜く開かれた口。

「お前はもう終わりだ。人が獣人に接近戦で勝てるわけない。これは明らかだ。貴様が接近戦を得意とする戦い方をするというのであれば、その時点で貴様の敗北は必須だったのだ。安心しろ。今夜の食事になるだけだ」


 抜け出せない。

 この圧倒的なまでの力——――実力差。

 私はこの時悟った。

 この男には勝てないと。


 彼は、言葉を続ける。

「でも、このまま死んでもらっては面白みがないからな。俺様と遊んで貰わなくては。ガハハ!!」

 彼は、チロチロと真っ赤な舌を蛇のようにチロチロと動かす。


「く……」

 このまま私は朽ち果てるのか。


 この使い魔にされたくない事をされて私の人生は終わるのか。


 ――――そんなわけが無い。

 人に生まれてきたからには自分の意思で生きていきたい。

 自分の人生は私のものだ。

 それを誰にも邪魔などさせない。

 いや、させるものか!!


 ドスッ……


 私は、彼の右腕に注射を刺した。

 ピストンを押す。

 注射器に入っている緑色の液体が使い魔の体の中へと挿入されていく。


「き、貴様……。一体何を……。体が、痺れ……」

「なに。そんなに心配しなくていいわ。ただ、ちょっと強力な睡眠薬を打っただけよ。幸せな夢を見なさい。狼男さん」

「く、そ……。この、小娘……が」

 彼の腕の力は段々弱まっていき、パタリと上向けに寝てしまった。


 かなり強力な薬だから、1日中寝ていることだろう。

 まぁ、その頃にはこの試験は終わっている。

 もう、この使い魔は私たちの敵ではないという事だ。


「残念ね。あなたが肉弾戦でしか戦うことが出来ないこと、獣人の使い魔であること。この二つの条件を満たしている時点で既に決まっていたのよ」

 さようなら、誰も見ていない森の中で、手を振って別れを告げた。


 さてと、早くおねぇの所に行かなくちゃ。

 おねぇはまだ魔術師と戦っているはず。


 私は、おねぇの所に向かって走り出した。

 森の中で爆発音のような音が聞こえる。

 恐らくそこだろう。


 早く行かないと。


「行けると、そう思ったのか。小娘さんよぉ」

「え?」

 背筋に電撃が走る。


 後ろから熱い吐息、そして、首元にはナイフよりも切れるのではないかと思われる爪が当てられている。

 額に汗が伝い、顎から地面へと落ちる。


 嘘……。

 だって、だってさっき……。

「だってさっき睡眠薬を注射したはずなのに。か? ぎゃはははは!! 笑わせるぜ! この俺様がそこいらの使い魔と同じだと思うか? 否! 断じて否だ!」

 首筋に当てられた爪が鎌のように見える。


 こいつは、狼男なんかではない。

 死神だ。


「俺様はな。そこいらの獣人とはちっと違うんだ。肉体の構造がな! 薬の耐性、毒の耐性、麻痺毒の耐性等々様々な耐性が俺様にはついているんだ。残念だったな。薬が切り札だったらしいが、それは儚く終わったな。どうだ? 窮地に立たさた気分は? 絶望する味わいは? 最高だろう?」

 冷たい汗が頬を伝う。

 手に汗が滲にじむ。


 このままでは、どうすることも出来ない。

 どうすれば。

 私はどうすれば……。


 いや、一旦落ち着け。

 状況を整理しろ。


 最後まで諦めるな。

 希望を捨てるな。


 こいつには薬や毒は効かない。

 肉弾戦では私には勝てない。

 剛術では奴には勝てない。


 なら、柔術に持ち込むしか手はない!!


 私の首に爪を当てている手は右手。

 これなら……。


 左手で右腕の前腕の内側を掴み、同時に右手で肩峰けんぼう(肩の近く)を掴む。

 そして、右足を右後ろに移動をさせて、体を右回転させる。


「ぐぬっ!」

 彼の体は一瞬宙に浮き、前に倒れる。

 続けて、彼の右手を掴んだまま外側へ捻り、彼の上に乗っかる。


 これで動けないはずだ。

「観念したか。使い魔」

「く、くふふふ。この程度でこの俺様を制圧した気でいるとは浅はかだなぁ!」


 彼は、「ぬぉぉぉぉ!!」と、雄叫びを上げる。

 まさか、ここから力尽くで抜け出そうとしているわけ!?

 そんな、無茶な……!!


 森の鳥達が危険を察知したのか、逃げ回る。


 彼の上半身が浮き上がる。

「う、嘘でしょ!! なんて馬鹿力なの!?」

 体を振り払う使い魔。


 固め技は解かれてしまった。

 こんな馬鹿力だなんて。


 これはダメだ。

 私は咄嗟に彼から距離をとる。


 右の拳の一突き。

 それを右手で捌さばく。


 続けて左手のジョブが彼の腕から放たれる。

 それも左の掌で捌く。


 さらに、右手のジョブが顔面を襲う。

 私は上半身を後ろに反らせてぎりぎり避ける。

 風邪切り音と風圧——。


 当たったら一溜りもない。

「避けてばかり、捌いてばかりではどうにもならんぞ! 小娘! 消耗戦に持ち込もうという腹だろうが、体力なら獣人であるこの俺様が圧倒的に高い。このままでは貴様に勝機はないぞ!!」

 この使い魔の言う通りだ。

 守りだけでは彼には倒せない。


 どこかで隙を探さなくては。

 隙を見つけなければ。


 獣人は攻め続ける。

 私の顔を横切る時、風圧を感じるほどの突き。


 対する私は、避けるか、手で捌くかの防御姿勢。


 このままでは決着がつかない。

 かと言って、下手に動く訳にもいかない。

 どうすれば・・・・。


 その時、緋色の空に何かが飛び、狼の目の前を過ぎる。

 その「何か」は、キラキラと緋色の光に照らされて美しかった。


 様々な色の宝石が空を舞う。

 ——青、紫、赤、黄。

 それらの宝石には金色に同じ模様が刻まれていた。


「燃えよ」

 誰かの声が聞こえたと思うと、宝石達はそれぞれの光を放ち、一つの火へと変化した。

 獣人の体は業火に包まれる。


「な、なんだこれはぁぁぁ!!」

 獣毛に覆われた彼の体は燃えやすい。

 彼がいかに薬や毒の耐性があるからと言って、火への耐性は流石にないであろう。


 でも、一体誰が――。

 その答えは、直ぐに分かった。

「やぁ。昨日ぶりですね」

「エリックくん!?」

「はは、エリックで良いですよ!」

 後を振り向くと、エリックが立っていた。


「な、なんでここにいるの?」

「そりゃ、あなたがピンチだったからですよ。まぁ、他の用事もありますが」

「ほかの用事?」

「ええ。まぁ、それは後にするとして」

 彼は炎の中に包まれている使い魔を見つめる。


 猛火の中で苦しみ、藻掻もがく使い魔。

 最早それは地獄のようであった。

 毛は燃え尽き、灰とかし、皮1枚と化しつつある狼男。


「こいつを先に倒さなくちゃですよ」

 ほれ、と彼は何かを燃え盛る炎の中へと入れる。

 すると、炎の勢いは増し、一層熱を上げ、勢いを増した。


 巨人。

 それは、炎の巨人とも言える大火へと化した。

「な、何を入れたの?」

「なに、『強化』のルーンを刻んだ枝を放り投げただけだよ。これで彼は燃え尽きた。さあ。次は君の姉を助けに行こう。彼女もかなり苦戦していると思うからね」

 なぜ、そんなことが分かるのだろう。


「き、貴様ァァァァァァァ!!」

 呪いのような声は誰にも届かず。


 灰になり、風でどこかへ飛んで行った。


 パチン、と指を鳴らすと、炎が一瞬にして消えた。

 凄い。

 魔法みたい。

「これが、ルーン魔術なんですよ」

 涼しそうな表情で彼は言った。


「助けるんでしょう? おねぇさんを」

「はい」

「それなら、早く行きましょう。森の中で響く音聞こえますよね。この音を頼りにしていけば良いはずです。そこから魔力を感じますから」


「分かったわ」

 再開した私とエリック君は、おねぇを援護するために森の中を疾走した。

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