第10話 治療前

早く。

 早く行かないと。


 私の心は正直焦っていた。

 おねぇの所まで運ばないと。

 私の力ではどうすることも出来ない。


 でも、でもおねぇならどうにかしてくれるかもしれない。

 私が出来ないことはおねぇが、おねぇが出来ないことは私ができる。

 2人いればどんな事でも出来るし、これまでだってなんだかんだ言って何とかなった。


 だから、今回も何とかなるはず。


 石畳と呼ぶべきなのか——

 地面には透明感のある水色の幾何学模様が施されている。

 魔法科学の賜物か。


 私はその床を蹴って、人通りの中を通り抜けていく。

 すり抜けていく。

 急がないと間に合わなくなるかもしれない。


 ドクン、ドクン、ドクン——

 心臓の鼓動が速く、大きく波打つ。


 平凡なホテルが目の前に見えた。

 あれだ。

「あとちょっとですよ。それまでもう少し我慢して下さいね」

 心の中の波が忙しく、激しく波打つ。

「う、うう……」

 でも、私は薬術師として冷静さを見失ってはいけない。

 たとえ、それがどんな状況でもだ。


 私はこんなお転婆な性格だから、慣れるまでにかなりの年月が掛かった。

 でも、おねぇと師匠のお陰で異常事態に遭っても冷静に対処する事が出来るようになった。


 道行く人々の視線が背中に突き刺さる。

 でも、恐れてはいけない。

 人の命が懸かっているのだ。

 羞恥心がどうのこうのとか言っている暇は無い。


 扉の前に立つと、自動的に扉が開く。

 ロビーにいる人やカウンターにいる人の視線が私に集まる。

 でも、それは一瞬の出来事だった。


 ロビーにいる人々は、直ぐに私から視線を逸らした。

 そりゃそうだ。


 誰も面倒事には関わりたくない。

 そりゃそうだ。

 この国の闇は深い。


 病院も高所得者からの入院しか認めない。

 所詮、彼らは金の亡者なのだ。

 自分のことしか考えていない、エゴの塊で出来ているような人間なのだ。


「くそっ」

 腸はらわたが煮えくり返りそうだ。

 それでも、心の中だけでグッとその気持ちを抑える。

 今、ここでキレたら意味が無い。


「お! フクシア!」

 かなり聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 おねぇだ。


「おねぇ!」

 この時の私の顔は太陽のように輝いていたと思う。

 声のする方向を向くと、金髪の男の子と一緒にソファに座るっているおねぇを見つけた。

 誰? あの男の子。


「な、何をやっているのおねぇ。ていうか、その男の子誰?」

「あ、ああ。この男の子の事? 彼、明日の医術師試験を受験するらしいから」

「それでなんで彼の勉強をおねぇが教えているのよ。おねぇも明日同じの受けるんでしょ」

「ま、まぁ、そうだけど。アタシは平気だし」

 ふん! とおねぇは不貞腐れてしまった。


「あ、あの。僕はエリックと言う者です。おねぇさんにお世話になっています」

「ふーん。お世話ねぇ」

 彼を観察する。


 金髪ストレートの髪に純粋そうな空色の瞳。

 彼の爽やかな雰囲気に合った水色のセーターに、水色のズボンを穿いていた。

 悪い人ではなさそうだけど——。


「で、フクシアの背中に背負っている人は何なの?」

 機嫌を直したおねぇが純粋な疑問を投げかけて来た。

 私は、1番にそれを聞いて欲しかったんだけどね。

 お陰でおねぇの用事を一瞬忘れちゃってたよ。


「この人、なんか調子が悪いみたいなの! おねぇ診てあげて!」

「ふむ」

 おねぇは、唇に手を当てる。


 おねぇが集中したり、考えたりする時の癖だ。


「そうね。ちょっと、診てみないと。部屋に戻るわよ」

 おねぇはそう言って、スタスタと自分の部屋へと歩き始める。

 私もおねぇの後を追う。


「ちょっと、待って」

 その時、エリックが私達に声を掛けてきた。

 私とおねぇは足取りを止める。

「僕も一緒について行っても良いかな?」

「なんで?」

 私は聞き返す。


 何だか、この男の子が気に食わないのだ。

 自分でも、なんで気に食わないのか分からないんだけれど。


「僕、ルーン魔術が使えるんです」

「ルーン魔術?」

「そう。ルーン魔術」


 本の中で幾らか読んだことがある。

 確か——

「ルーン魔術って確か、魔術文字を用いた魔法だっけ?」

 私の言葉を聞いた彼の顔がぱぁぁ、と明るく輝いた。

「そうですそうです! 魔術文字を使うんです。魔術文字はとても凡庸性の高い魔術なんですよ。火を使ったり、罠を仕掛けたり。応用すれば、魔剣とかも作れたり、オリジナルの技を編み出したり出来るんですよ」

「ふぅん。で、貴方は何か出来るの? この人に何かやってあげられるの?」


 彼は、首を横に振って、

「それは分かりません。実際に見てみないと」

 ど、どうすればいいのこれ。

 私が手をこまねいていると、おねぇが助け舟を出してくれた。

「いいじゃない。減るもんじゃ無し。ルーン魔術は【スティグマ】にも使われるんだから。いないよりいた方がいい」

「お、おねぇがそう言うなら……」

 断念するしかなかった。


 いつもなら、立場が逆なのに。

 基本は、私が自由放漫にやって、おねぇが厳格にルールに従ってビシビシやる感じなんだけど……


 なんだかなぁ、この男の子気に食わないんだよね。

 生理的に受け付けないって言うのかな。

 まぁ、良いや。

 そんなの気にしても仕方が無いもんね。


 私、おねぇ、エリックの3人は私とおねぇの部屋に向かった。

 足取りが妙に重い。


 私の心中で不安の渦が巻く。

 でも、その渦は消え去ることは無く、私の心の中に残り続けた。

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