2.ララミス・フォン・ハウスホーファーと落ちた神童(2)

 ランチのトレイを持って席を立ちかけたそのときだった。


「なんだ、ララミス。性懲りもなく魔術の講義に出るつもりなのか?」


 寄ってきたのは数人の男子生徒だった。その顔には見下すような笑みを貼りつけていたり、不愉快そうであったり、様々だ。共通しているのは、すべて負の感情という点だろう。


(またこの手の連中か……)


 僕は内心でため息を吐いた。


「僕はこの学院の生徒だ。学ぶ自由はあると思うが?」


 立場によっては、自由や権利どころか義務ですらある。

 他国からきた生徒は国費留学生が多い。才能を見出され、貴族や教会の推薦を得て入学した生徒もいる。そういう生徒は、学び、知識を持ち帰ることが義務だ。


「無駄なことはやめろって忠告してやってるんだよ」


 ここにきたときから不機嫌顔だった生徒が、不快感も露わに言う。


 僕は素早く全員の顔を確認した。

 見知った顔はすべて魔術科の生徒だ。初めて見る生徒は、おそらく戦技科だろう。将来は市民を守ったり、教会に所属するような高潔な騎士になるのかもしれないが、今はまだただの粗野な一生徒でしかないようだ。


 先ほどシェスターが言った通り、魔術の才能は人間の価値を決めるものではない。だが、ここは学校だ。できないものをバカにし、見下すような行いは往々にしてある。


「ありがたい忠告痛み入るけど……まぁ、そう言わないでくれよ。無駄かどうかはやってみないとわからないだろ?」


 なお、この場合『ありがたい』とは単なる枕詞であって、さほどありがたくはない。むしろよけいなお世話ですらある。


「はン。才能を失くしたやつが必死になって。哀れなことだな」


 リーダー格らしき生徒が鼻で笑うと、それを合図にほかの生徒たちも笑う。


 果たして、才能を失くした人間と、それをわざわざ笑いにくる人間。どちらが本当に哀れなのだろうな。


 僕は目だけを動かして、食堂内の様子を窺った。


 みんな大なり小なり注目していて、「またか」といった顔がほとんどだ。何せ、こんなふうにからまれるのは今にはじまったことではない。案外、積極的に参加しないだけで、彼らと同じように思っている生徒も多いかもしれない。


「同情してくれなくてもけっこうだよ。研究はきらいじゃない。……さぁ、気がすんだのならどいてくれないか? 人並みは人並みで人一倍真面目に講義を受けないといけないんだ」


 これ以上つき合ってやるのもバカらしいので、僕は席を立とうとした。だが、それを制するようにリーダーの生徒が立ち塞がる。そうしてまるで親切心から言っているかのように告げた。


「なぁ、約束してくれよ。午後の講義には出ないってさ。見てられないんだよな、あまりにも情けない姿でさ」

「お前みたいなやつがいると目障りなんだよ!」


 不機嫌全開の生徒が後に続く。


「神童だか何だか知らないが、力を失くしたんなら日陰で大人しくしてるのがお似合いなんだよ」


 きっとこいつはそもそも神童ともてはやされていたころの僕が目障りで仕方なかったのだろう。そして、魔術の素養を失った今、ここぞとばかりに追い落としたいのに、未だに往生際悪くあがく僕が鬱陶しいのだ。


「こいつもこう言ってることだしな」


 と、再びリーダーの男。しかし、その顔はニヤニヤと笑っている。


 不意に、視界の隅でひとりの女子生徒が立ち上がるのが見えた。妖精エルフの如き美貌の少女だ。


(まずいな……)


 僕は秘かに面倒なことになりそうな予感を覚える。


 と、そのときだった。


「ゼスト伯爵にギュンター子爵、アイヒベルガー子爵。それに、ヘス騎爵……」


 口を開いたのはシェスターだ。


「俺が次男だからかな。貴族社会のことには興味がなくてね。間違っていたら謝ろう。……君たちのお父上は元気かな?」


 シェスターの言葉に、連中は一様に黙り込んだ。明らかに怯んでいる。


 どうやら先に並べ上げた貴族の名前は、やつらの父親たちのようだ。シェスターは確かに貴族社会に興味のない男だが、頭脳は明晰で記憶力もいい。連中の様子からして、その名前に間違いはないのだろう。


 彼らにしてみれば、リンツ候フォン・ケーニヒスベルグ家の次男が自分たちのことを知っているとは思わなかったのだろう。特に最後の騎爵――騎士が大功を立てて騎士爵を得て、一代貴族になった家のことまで頭に入っているとは考えもしなかったにちがいない。


 当然、シェスターが自分たちのことを知っているということは、父親であるケーニヒスベルグ侯爵に言いつける恐れがあるということで――それは自分たちの家の評判に返ってくるという意味でもある。……シェスターがそんなことをするような男かどうかは兎も角として。


「な、なんだよ、シェスター。こんなやつの味方をするのか」


 それでも喰い下がったあたり、無駄な矜持や根性があったということだろうか。


「では聞くが、お前たちは自分の友人をバカにされて黙っていられるのか?」

「ぐ……」


 シェスターが下から睨み上げ――連中は再び言葉に詰まる。


「わかったのなら俺の前でくだらないことをするな。……行こうか、ララミス」

「ああ」


 彼に促され、僕はトレイを持って立ち上がった。


 食器返却口に向かう僕たちの背中に声が投げかけられる。


「シェスター、もっとつき合う相手を考えるんだな」


 それが捨て台詞だったようだ。乱暴な足音が遠ざかっていき、程なくして食堂の中に喧騒が戻ってきた。


「くだらないことをしているのは俺も一緒か」


 貴族社会に興味のない男は、実に面白くなさそうにそう言った。


「でも、助かったよ、シェスター」

「ああいうやつらは上位の貴族に弱い」


 と、バカにしたように、シェスター。


「その点でいけば、お前にだってあんな態度を取らないはずなんだがな」


 確かに僕の養父、ハウスホーファー侯爵は首都ヴィエナを治める大貴族だ。ならば、僕にだって媚び諂いそうなものではある。……想像したらぞっとしない光景で、心底ご免被りたいが。


「そうしないのは僕が平民の生まれだからだろうさ」


 貴族は階級社会だ。それこそ上位の貴族には弱い。だが、それと同時に平民を見下す。


 確かに僕はヴィエナ候フォン・ハウスホーファー家の長男ではあるが、平民の生まれで養子に迎えられた身だ。そこは隠していないので、周知の事実である。それに貴族の家では、才能ある子を分家などから招くのはよくあることだ。


 僕が未だ魔術の素養を待ち続けていれば、またちがっていたのだろう。だが、知っての通り、その力は失われつつある。ハウスホーファー家はこのまま凋落すると見る向きが大方のようだ。


「我ながら味方が少ない」

「安心しろ。その少ない味方でも、いざとなれば学院の生徒全員を敵に回せるだけの力はある」


 そんなものだろうか――と僕は、無条件に僕に味方をしてくれそうな面々を思い浮かべた。……確かにそうかもしれない。単純に武の力から権力、財力まで、なかなかのものだ。


「例えば、ベルゲングリューン伯爵のご令嬢とか、な」

「アラシャか」


 アラシャ――アラシャ・ベルゲングリューンは、僕がたった今思い浮かべた顔のひとりだ。ただし、すぐに保留にしたが。


 アラシャは、魔術科の生徒会長も務める実力の持ち主だが、あいにくと僕とはあまり相性がよくない。だが、何を隠そう、先ほど僕が因縁をつけられているときに席から立ち上がりかけた美貌の少女こそ、彼女だった。


 それはさておき、


(やっぱり気づいていたか。さすがだな、シェスター)


 僕は秘かに感心した。

 おそらくシェスターがあのタイミングで口をはさんできたのは、僕と同じくアラシャが立ち上がる姿を認めたからだろう。


 アラシャが介入してくるとややこしいことになる。何せ、彼女の行動理念は正義である。先ほどの連中にように感情で動くやつらと、彼女の正論は水と油だ。ぶつかれば互いに折れることなく、ひたすら反発するだけだろう。


 食器返却口にトレイを置く。


 そうして体の向きを変えた際、さり気なく横目でアラシャの様子を窺えば――彼女もまた、僕を見ていた。

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