日々は短し歩けよ乙女
「なかなかいいアドリブでしたねぇロミオ君」
みーちゃんがばしばし肩を叩いてくる。痛い。言い訳をしたいが、突発にキスしたくなったという言い訳じゃ、明らかに火にガソリンを注いでいるようなものだ。他のクラスメイトも冷やかしてくるが、以前ほど不快に感じなくなった。慣れというものは恐ろしいと改めて思う。
彼女は彼女で、柄にもなく、唇を親指で触りながらもじもじしてる。
そして彼女は、みーちゃん経由で僕に耳打ちしてきた。
「あー見えてあの子、『初めて』だったんだってよ」
そのみーちゃんの言葉が聞こえた右耳が熱を帯びていくのが自分でもわかり、みーちゃんも仕方ないと言わんばかりに苦笑いしていた。
失礼ながら、そういうの慣れてるもんだと思ってた。なんというか、性格的にも容貌的にも。
そうやってみーちゃんやクラスメイトからの冷やかしをテキトーにあしらっていると、あの男とたまたま目が合った。胸倉でも掴まれるんだろうなとある種諦めていたが、男は肩をすくめただけだった。そうやって手をひらひらと振って何も言わずに他の友人と教室を出ていった。
その男が閉めた引き戸の音は、なぜか雑踏にかき消されることなくしっかりと聞こえた。
軽く顔の血糊をウエットティッシュでふき取った後、僕ら3人はふらりふらりと出店を回った。
ジャージに着替えたせいか、僕と彼女が一緒に出歩いていても誰も冷やかす者はいなかった。意外と衣装を脱いだら分からないものかもしれない。
僕と彼女はみーちゃんを挟んで歩こうとしたが、「何をいまさら」と嘆息を漏らされ、彼女の奥へ回った。
彼女は僕と顔を合わせようとせず、Tシャツの裾を指で弄んでいた。
僕はそんな彼女にかける言葉が見つからなかった。
僕と彼女の間に流れる不自然な空気を感じたらしく、みーちゃんは二者を伺うように何度も何度もその表情を垣間見た。みーちゃんはため息をついた。
「アンタがコイツを王子様に推薦したから、てっきりそういうものだと思ってたよ」
「誤解させちゃったね」と、彼女は下を向いて自重めいて笑った。そして失言に気づいたかのようにこちらを向いて続けた。
「いや、誤解じゃないんだけどさ……なんていうかさ、そういう感情を抱いたことは無かったんだ」
「ごめんね、コイツそういう奴なの。まるで恋愛経験豊富みたいなツラしてるけど全然で、周囲を勘違いさせちゃうの」
と、みーちゃんは
彼女の短い髪をぐしゃぐしゃにかき回し、彼女もなされるがままとなっていた。なんとなく察してしまっていただけに、申し訳なさそうな顔が余計に辛い。
謝ろうと口を開こうとするのをみーちゃんは制した。
「そういや、友達のクラスで焼きそば作ってんだよね。あたし買ってくるからちょっと待ってて」
そうみーちゃんは独白を残して、僕らが制止する間もなく雑踏の中に紛れていった。
「置いてかれちゃったねえ」とぽつりと彼女は笑った。
彼女が話の糸口を作ってくれて安堵した。
それでも僕と彼女の間にある、友達にしては広すぎる微妙な空間は依然として埋まることはこれからもなかった。
僕らのその空虚は文化祭の雑踏が補完的に埋め尽くした。
「なんで僕だったの?」
目も合わせずぽつりと僕が訊いた。
聞き流してくれたのならそれでよかった。
でも雑踏はそれを踏み消してはくれなかった。
「似てたから。昔の自分に」
「どこが似てるっていうの」
「『まるでこの世には素晴らしいことが一つも無く、また自分はそんな世界に居る価値すら感じない』みたいなスタンスが」
「……やはり『終末はどちらでお過ごしですか?』を読んだんだね」
その本のタイトルを高校生になった今、聞くとは思わなかった。謎が解けたような気がした。
「久しぶりにそのタイトル聞いたよ。何年ぶりだろうなぁ?」
「中学の時、確か二年生の時だったな。二年前かあ。良くも悪くも多感な時期に読んだのがまずかった」
「私もあの本が初めての邦訳本だったな」
「大人には読み慣れた内容だったかもしれないけど、世の中を醒めた目で見るという主人公が僕らにとっては新鮮だった」
「『夜中の散歩は好きだ。安全な暗闇が作る静けさを自らの足音で踏み荒らしていくのが』っていうのが好きで」
「ひたすら夜出歩いたよね」
「そうそう」
昨日のことを思い出したかのように笑って、彼女は細めた目のむこうの瞳で僕を見た。
「中学生の私には──この身長だったから傍から見れば中学生には見えなかっただろうけど――女の子が夜中に出歩くのは親から心配されるから、シャー芯買いに行くとか、勉強の気晴らしにコンビニとか、テキトーな理由でっちあげてた。どれだけシャー芯切らすんだよって」
「僕はランニングと嘯いて出ていたけど、走りもせずずっとひたひた歩いていたから肌寒くなってくる時よく風邪を引いてたよ」
「生きるの下手だねえ」
「おあいにく様で」
懐かしいねえ……と彼女が呟いて、2人とも黙った。
会話の糸口みたいなものは何個か思いついたが、それらから会話を広げられる自信が無かった。
少しばかり俯いて歩く彼女の横顔は、髪が枝垂(しだ)よく窺えなかった。
「だからかな、四月に教室で君の顔を見た時『私みたいだな』って思ったんだ」
「知らなかった」
彼女はその容貌や性格からクラス内でも目立っていたから僕は知っていたが、彼女が僕をその頃から知っていたなんて。
「自分の人生の不幸な理由を他人や社会に押し付けて、自己憐憫のぬるま湯につかっているような顔で、」
「酷い言われようだな」
彼女もそこは自覚してたようで、ごめんねと断ってから続けた。
「あー仲良くなれないだろうなって思ったの」
「そんな奴じゃ好きにならないだろうね」
「うーん違うんだよね……なんていうのかな、同族嫌悪って言うのかな?」
どっちにしろ嫌いなんじゃないか、と笑いながら、彼女の口から似ているという言葉が出てきたことに狭窄的に嬉しくなった。彼女もその表現が僕にもたらす作用について十分理解していたようで、ほっとしている表情を隠すことは無かった。
「だからごめんね」
「謝られる筋合いではないよ」
その時の僕は平静を装えていたのだろうか。分からなかったけど、二人して何も気付かなかったふりをする暗黙の了解が出来上がっていた。
思えば、こうやって沈黙をもって答えとすることが僕らは多かった。
僕はこれを信頼の証としていたけど、彼女のなかでは異なっていたのだろう。ビートルズのハロー・グッバイみたいだ。あーあ。しくじってしまった。
「あータピオカ売ってなかったよ」
そう言いながらみーちゃんが帰ってきた。さりげない気づかいに胸が痛んだ。
みーちゃんを挟んで三人で歩くことに関してまた歩き出したことに誰も何も言わなかった。
そうやって日々が過ぎていった。
打ち上げと称しクラスでは、焼肉食べ放題に行った。文化祭から日が経っていたこともあり、ほぼ貸し切りにすることが出来た。
もちろん打ち上げの采配を取ったのは彼女であることは言うまでもない。
座席は6人掛けテーブル五個に分かれた。こういう集まりでも、意外と人数集まるもんなんだな。
僕とみーちゃんは同じテーブルになれたが、彼女はバスケ部のメンバーが集まるテーブルに行った。目が合った時、一瞬みーちゃんと僕に片手で謝罪してきたので、とりあえず笑って指でオッケーをした。
寿命騒動や演劇の準備でなかなか会えなかったバスケ部のメンバーとも話したいだろうし、なにより僕が彼女との間に流れる微妙な違和感が怖かった。
同じテーブルに座っていたのは、みーちゃんの他に、衣装を作ってて楽しいと言っていた奴と、ビラのデザインをしていた女子と、ソフト部の女子だ。
「毎年そうなんだけど、ソフトが大会前だったからなかなか手伝いは出来なかったけど、クラスがまとまってなにかするイベントだったんだから打ち上げには出たいなと思って」
と、トングで肉をひっくり返しながら彼女は言った。
「今日は任せて」と言っていたので、ちょうど網の前の位置ということもあり、肉を焼く係は任せることになった。
「別に気にしなくていいのに」とビラを描いた女子が言った。
「まあそれで気が済むなら」と、みーちゃんが焼かれた肉をひょいと食べた。
「レモンだれとって」と裁縫男子。
「うーい」と手渡す。
「それにしても主役お疲れ様、いきなり主役押し付けられて災難だったねえ」
「災難っていうほ」
「ほんとほんと!! いきなり脚本押し付けられて大変だった」
思わぬ方向からの賛同にその男子は苦笑した。
「あなたのことじゃないですよ多分」
この頃には流石にみーちゃんの苗字も覚えてはいたが、なんだかいまさら苗字で呼ぶのもむしろ気恥ずかしいので呼び方に困っている。
「そういう君は案外主役嫌じゃなかったんじゃないの?」
会話の中心が僕に移り、ヒヤリとする。
「そうなんですか?その…なんと言えばいいのか難しいんですけど、目立つのが嫌いな人だと思ってたんで……」とおずおずとビラの女子が言った。
「たしかに人前に立つのは嫌いだったよ。目立つと陰で何言われてるか分からないし、ただでさえそういう陰口に怯えてたからね」
「じゃあなんで引き受けたの?」とソフト部。
「臆病だったんだよ。わざわざ指名してくれてるのにそれを断るとは何様のつもりだ、って言われたくなかったからね」
「それはまた臆病とは違う気もしますけどね」とビラ女子が言ったら周りの人もうんうんと頷いていた。
「意外と話してみると面白いよ、コイツ」
「第一印象最悪だった癖に」とみーちゃんに返すと、
「人間そんなもんだよ。一回ちろっと話しただけじゃ細かいことなんて何も分からない」
注文する?とみーちゃんが言ったので、またカルビとロースを注文することになった。
お手洗いのついでに周りのテーブルを見てみると、一人前が少ないなと野球部の奴が言ってカルビを十人前頼んでそのテーブルのメンバーから「カルビしか食べれないじゃん!」と怒られていたり、余っていたサンチェを寄越してとバスケ部の女子が言ったり、ずっと声や音が絶えなかった。
こういうイベントごとは昔は断っていて初めてだったので、ちょっと不安だったが楽しい。
食べ放題の時間があと30分過ぎた時くらいだっただろうか、あまりにテンションが上がったサッカー部の奴が、「もっかいロミオとジュリエットのキスシーンが見たいな~!」と叫んだ。ふざけんな今一番踏んではいけない地雷両足でしっかり踏み込んでんじゃねぇ。
咄嗟に反応が出来なかった僕と彼女はアイコンタクトすらできなかった。
しかも、彼女のテーブルのバスケ部も色めき立っている。他人事だと人は残酷だ。こういった場面において、周りの雰囲気をしらけさせない程度にやんわり断ることなんて出来るのだろうか。
「はいすいませーん!! 事務所NGですー!」
みーちゃんが立ち上がって颯爽と言った。吞みこむ暇も無かったせいか、言葉が少しもぐついている。
「ダメだよー! キミ先月も週刊誌にスッパ抜かれてたじゃないか!マネージャーの私の仕事を増やさないでくれたまえ!」
おいおい当事者同士の問題だろー! と野次が飛んだ。
その声は「なぜお前なんだ?」と訊いてきた男だった。僕と彼女の現状を知ってるか否かは分からないが、この状況を楽しんでいることだけは事実だ。
彼女はここにきて咄嗟に頰に手を添えてくねくねし始めた。
正直彼女の気持ちがもう分からない。
好きでもない人に対して、そんな意味深な演技が出来るものなのだろうか?ある程度他人から好意を持たれた経験のある人間は、そういう技術を身につけていくものなのだろうか。
その間、僕は呆然と事が進んでいくのを見ていることしか出来なかった。
僕だけ登場人物に取り残された群像劇を見せられているような気分であった。
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