誰がために幕が上がる
照明に照らされて浮かび上がった彼女が、セリフを読み上げる。
淀みなくセリフを言いながら、凛と立つ彼女は上品だった。いつも見ている天真爛漫な彼女ではなかった。内乱に疲弊する貴族の娘ジュリエットだった。
セリフが読み終わり、暗転した舞台の上を僕のいる上手側に歩いてきた。
すれ違いざまに、交代とばかりに軽く手をぶつけ合った。
「照明熱いよ」
と彼女は聞き取れるギリギリの音量で囁いた。
「もっと言うことあるでしょ」
俯きがちで歩く僕の足元が暗闇から照明で明るくなっていく。
ロミオがジュリエットの屋敷に忍び込む際に、たまたま空を眺めていたジュリエットを見つけるシーンだ。
「おい、それじゃこの屋敷に忍び込むとするか…なんだお前、ビビってんのか?ほら、行くぞ!」
植木の陰から手で進入仲間を呼び込む身振りをする。中腰なので、足の震えがごまかしきれてない気がする。
そもそもロミオが快活なリーダーのキャラクターで作られていてめちゃくちゃオーバーリアクションをしなきゃいけないので、手足の震えが気になってしまう。
僕自身がどんな顔をしているのかが怖くて観客の顔が上手く見れない。どうにかこうにかどもることも無くワンシーンが終わった。
暗転した舞台を逃げるようにしてはけていく。おおロミオ、どうして僕がロミオなのだろう?
上手に移動している彼女は、なにか言いたげににやにや笑っていた。
「確かに照明熱かったね」
そう澄まして言った僕の言葉に、彼女は笑った。
「もっと言うことあるでしょ?」
「まだ文字通り序盤なんだよな…」
誰かが握って僕の心臓のポンプ機能を代行しているように心臓が鈍く拍動している。
暗闇が舞台を支配するなか、小道具かなにかを持っている黒子係が、気配や置くときの音を殺しながらすいすいと作業を進めていく。
今度はジュリエットの父キャピュレットが、ジュリエットにロミオとの結婚を反対するシーンだ。
キャピュレット役は開演直前に「なぜおまえがロミオ役なんだ」と問いかけてきた男だ。つくづく皮肉な人選だ。まったく。
キャピュレットは、最初は言葉少なにジュリエットに交際を反対していたが、それでもジュリエットが交際を認めるように説得を粘り続けるとともに、口角泡を飛ばしながら激昂し始めた。
交際が認められなかったジュリエット役の彼女が憔悴していく様はなんだか胸が痛む。
舞台の上のジュリエットが交際を認められなかった、という理由だけじゃないのは明らかだった。
出番が無い時は舞台袖で、次のセリフを必死におさらいしつつ舞台上のクラスメイト達を脇目で見ていた。
最初は乗り気でなかったクラスメイト達も舞台上では喜怒哀楽を存分に表現していた。
段ボールで作った剣の殺陣、衣装班が夜通しで作った衣装がひらひらと翻る舞踏会、ひいき目なしにしても1年生にしては素晴らしいクオリティだと思う。他人事ながら、そう思った。
ジュリエットが仮死の薬を飲むシーンへとなった。ロミオと結ばれるために、ほとぼりが冷めるまで死んだように見せかけるジュリエット。
思いつめたような顔をして、薬を飲み込み寝台へ横になった彼女は寝息をかすかに立てたまま暗転した闇の中に溶けていった。
暗転された舞台の中をロミオが歩いていく。月明かりのような僅かな照明が点く。
寝台の上の彼女の腕を取るが、生気を失ったようにだらりと垂れる。もちろん演技なので体熱を感じる。だが。
疑似的にジュリエットの死という出来事が僕に襲い掛かってきた。とっさに言葉が出なくなった。練習の時とは比にならない位、なんというか、死体めいていたのだ。
そんな仮想的な死ですら、物心ついてから身近な人の死を手に取って感じたことの無い僕にとっては、一番死に近かった。
リハーサルよりも沈黙が続いてしまった僕に気づいた彼女は、観客席から見えない方の目だけを器用に開いてアイコンタクトを送ってきた。死んだ彼女の目が開いたことに一瞬肩が跳ねたが、セリフは飛ばずにすんでくれたので、彼女の死を悲しむセリフを滔々と吐いた。少し早口になってしまったが、速い拍動をいまだに続ける心臓に免じて許してほしい。
ここで、ここでそのまま悲嘆に暮れた僕が短剣を喉元に突き刺すシーンに進むはずだった。
しかし、物足りない気がした。
最愛の人の死を目にして慟哭するだけで済むだろうか。もちろん劇中のロミオは誰かに見せるために慟哭しているのではなく、ただ悼むという感情から涙を流しているのだから過剰も過小も無いだろう。
しかしなぜだろう、さっきは疑似的な死にすら慄いていたのに、身体が勝手に動いた。
横たわる彼女の頭を、高価な美術品を取り扱う鑑定士のように優しく持ち上げると、軽く押し付けるように唇を合わせた。そんなアドリブをされた彼女は、まるで本当の死体のように眉根1つ動かさなかった。この世にお別れが済んだと言わんばかりに、ロミオは腰に据えていた短剣を鞘から引き抜いた。そして、無言のまま、その切っ先を自分の喉仏に突きつけ、腕を引き寄せるとともに舞台は暗転した。
照明が点き、ジュリエットは目が覚めるとともに傍らに転がっているロミオを発見する。暗い間に血糊を短刀と喉元に塗りたくったロミオは、不自然な程赤く染まっていた。衣装に血が全くついていないのはご愛敬だ。
なぜロミオが、ロミオの死体が転がっているのか、現状を把握できるわけもないが、ロミオが死んだという一番単純な確認可能な事実だけをジュリエットは悟りだしていった。
彼女はまるで、泣いていることを誰にも知られてたくないように、必死にハンカチに口を埋めて押し殺した声を漏らした。様々なものへ向けた怨嗟を、ゆっくりゆっくりと吐き出しているように。
そうやってきちんと冷静になってしまったジュリエットは、僕の近くに転がっている短剣を拾うと、先ほどの僕へのお返しと言わんばかりに僕に唇を重ねてきた。
先ほどより時間が長く感じたのは気のせいだろうか。
そうやって唇を離したあと、彼女の血を僕に浴びせでもするかのように膝枕をした状態で、彼女が短剣を喉元に突き刺す刹那、舞台は暗転した。全てのシーンが終わり、幕が下りた。
拍手が観客席や裏方、四方から鳴り続ける中、僕と彼女は喉元が真っ赤になった奇妙なペアルックでカーテンコールに応じた。他にも、いがみ合ってた設定の両家の演者が肩を組んでピースしながら登場したりして、笑いや拍手はしばらくの間続いていた。
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