彼女はたぶん舞台を使う
9月上旬、授業が始まったが夏期講習があったせいで、あまり夏休みが終わってしまったという実感が沸かない。
そうか、あれが人生最後の夏休みだったのか。
こうやってあと50日近く「最後の」を指折り数えながら重ねながら生きていくんだろう。人生で何度も経験してきてそんな記憶に残るようなものじゃなかったのに、「最後の」という形容が付くだけで突然価値があったかのように思えてくる。現金な性格だ。
みーちゃんはもう脚本を書き終えたらしい。「宿題とかは大丈夫だったの?」と訊くと、絞り出したように笑った。推して知るべし、とはこのことだろう。
脚本が早々と完成したおかげで小道具大道具などの係も動き出し、教室の後ろには材料やら完成品やらで占拠され始めた。
僕や彼女は衣装づくりのために採寸された。裁縫の得意な男子がいて、そいつが嬉々としてデザインもしていた。
「裁縫とかで作ってもなかなか人にあげられるモノじゃないからね。こんなに自由に作りたいモノが作れて嬉しいよ」
と、僕に後で教えてくれた。お礼を言うなら彼女達に言いなよ、とだけ伝えた。
後ろの黒板には小道具係や衣装係が買ってきたものを経費で落とせるよう、名前の書かれたレシートが透明なファイルに入れられてマグネットで綴じられている。
清掃の班が怠惰なせいか、テープの残骸や包装のビニールが床にちらほら散乱していて、弱まる気配の無い西日に照らされ反射している。
「脚本すごい展開だったね」
僕はいつもの空き教室でみーちゃんに言った。脚本という言葉を聞いただけでげんなりしたらしく、炭酸の缶を一気に呷って飲みだした。
「いや、コイツのせいだから」プハッという声と共にみーちゃんは彼女を指さした。
「ちょちょっとアレンジを加えた無難なやつなら2,3日くらいで書き上げたのにコイツが『なんか展開が弱くて面白くないね…』とか言い出したせいで、」
炭酸が上がってきたらしく、みーちゃんは一回言葉を止めて顔を背けた。
「一週間かかったんだよ!?出してはボツ出してはボツ!」
「やっぱり妥協はしちゃあダメだよ表現者として」
みーちゃんを目の前にして、胸をはってこんなこと言えるのだからやはり彼女は恐ろしい。
「おいそのペットボトル寄越せ全部飲み干してやる」
「駄目だよ~お腹壊しちゃうよ?」
「道連れも覚悟の上だ」
「もう…せっかく書いてくれたんだから口出しはダメだよ」
とりあえず仲裁に入る。とりあえず。
「みーちゃんが早く書いてくれたおかげで僕らの衣装も早く作れた訳だし」
「あんだけ口出ししてもきちんと書いてくれるみーちゃんを私は信頼してるんだよ」
芝居めいた動きで、彼女がみーちゃんを見つめる。
「どうだかねぇー?」
みーちゃんは心底信じてなさそうな顔。
「信じてないでしょっ!」
その言葉とともに彼女はみーちゃんの懐に飛び込む。
「季節を考えろ!暑い!わかったわかった!暑い!」
この暑いのにいちゃいちゃとじゃれあっていて眼福だなあとパンを頬張りながら第三者的に傍観。
「暑い…この暑いのに君はパンなんてよく食べられるね…」
「身体が資本だからね」
知った顔でうんうんと頷く。
「よく言うよ!コイツとじゃれてなかっただけだろ!」
「ほらほら、体温上がっちゃうよ落ち着いて落ち着いて」
彼女が猫だったら、髪の毛が逆立っていただろう、そんな剣幕だった。
「ほら、みーちゃん、後で宿題手伝ってあげるから…どうどう…」
「アンタの成績じゃ、見てもらったところでどうにもならんでしょ」
「ああ…!残酷な真実を突き付けた…!」
「あー傷ついた!もう宿題手伝わない!さっそく演技練習すんぞ!みーちゃん演出ね!」
「えぇ…昼食は食べさせて…」
とっさにみーちゃんが弁当を抱きかかえるが、彼女が正面から覆いかぶさるようにして弁当を強奪しようとする。
「ねえ!手伝って!」「おい!コイツ引きはがして!」
二人の声が同時にしたので、僕は迷わず席を立って二人が弁当の攻防をしているところへ歩み寄り、
みーちゃんから弁当を奪い取った。
「よーし!よくやったね!」
両手を上げて喜ぶ彼女とハイタッチをして喜びを分かち合った。
「裏切り者め…食べ物の恨みは恐ろしいんだかんな…!」
弁当を奪い取られて体力が消耗したのかみーちゃんは、諦めて彼女と僕の演技指導を予鈴が鳴るまで続けた。
あいかわらず彼女は律儀な人だなあと思った。
"腕時計"が000:042:09:38:48を示し、昼休みには自販機のボタンが全て売り切れと光る程暑い日だった。
僕ら2人だけで演じるシーンは度重なる個人練習のおかげで粗方覚えてしまい、放課後の練習にはその他のクラスメイトを交えた練習も始めていた。
教室とはいっても、授業後には冷房が切られあまつさえ演劇で動き回るものだから、演者も裏方も額に汗を浮かべてはハンカチや袖先で拭っていた。
男子が上半身裸で清涼シートで体を拭いて休憩を取っていた時、クラスメイトの女子が教室のドアを開けて入ってきた。だが、その男子が視界に入って慌てて閉めて、言いたいことがあるのを思い出したのか少し開けた。
「演者の衣装が出来たよ!」
「早いね!」「見せて見せて!」
男達もすぐさまその女子に駆け寄ろうとしたが、「服着ろ!」という外からの声に引き止められ慌てて服を被るように着ていた。
生憎僕は清涼シートを使う人間ではなかったため、そんな男子たちを差し置いて悠々と先に出ることが出来た。流石に僕だって舞台に出るときに着る衣装くらいは気になる。外には彼女もいた。
「一緒に見ようと思ってね」
その彼女の言葉にクラスメイトの女子達がにやりと笑って何か言いたそうな口をしていたが、何も気づかない彼女を前に黙殺した。
女子が段ボールに詰めた衣装を取り出した。
プリーツがある赤いロングのワンピースで、赤い八重のスカートの裾からグラデーションのように暖色の生地が覗いている。
パッと彼女が着ているのを想像してみたが、長身の彼女がこの女性らしいワンピースを着ているのは、正直言って想像つかなかった。
「君のはこれじゃない?」
そんな彼女が段ボールの中を指差す先を見ると、青い生地が見えた。
僕がそれを引っ張り出してみると、チェスターコートのようにカラーの大きな青いスーツだった。
彼女の赤と僕の青、対となっているイメージがすぐに浮かぶが、お互いに似合うのだろうか?と不安になった。いくら僕らが本腰入れられてないとはいえ、部活やバイトで忙しいなか作ってもらったものがイマイチになってしまうのは申し訳がない。
思わず彼女の顔を見たが、彼女は自分に作ってもらったものに対して喜びを隠しきれずにニヤニヤが止まらず目が綺麗に輝いていた。まるで、というか実際に、似合うかどうかとか考えてなかったんだろうな。そういうとこが彼女が好かれる所以なんだろうなと思いながら、冷えた手汗とともに青い衣装を握りしめた。
その次の日、実際に着て演技練習をすることになった。精密な採寸の成果か、肩を回してみても膝を曲げてみても違和感は無かった。羽織るようにして着るからというのももちろんあるのだろうが、一介の高校生がここまでクオリティの高いものが作れるのか。たぶん僕なんかと違う時間の使い方をしてきたのだろう。
「おっすおっす!着心地どうなの?」
みーちゃん監督が僕の衣装の似合い具合を確認してきてくれた。
「最初衣装見たとき似合うか不安だったけど、意外と似合っててよかったね!」
「それ本人目の前にして言っちゃうんだ…」
「あっ愛しのヒロイン様も、もう着替え済んでたよ」
「他人の事言えたクチじゃないけど彼女も不安だよ…」
「まったく、見てから言いなさいね」
そう言ってみーちゃんがいつも使ってる空き教室まで先導する。
制服の女子高生に引っ張られる王子様という絵面は面白いなーと思い笑いながら左手を引っ張られる。実際上級生や同級生に指を指されるのが視界に流れていった。人に注目にされることに慣れてしまった自分にも笑いがこみ上げる。とんだ王子様だな。
「ほーらお待ちの王子様だぞ!」
更衣室代わりに使っていたので、扉の窓ガラスは段ボールで埋められていた。
がらがらと音をたてて開ける。
「ノックくらいしてよ」
その声の主は、あの赤いワンピースを着ていた。長躯の彼女に鮮やかな赤がよく映えた。極彩色と言うのだろうか。そのワンピースは天真爛漫な彼女に女性らしい印象を与え、見慣れた容貌ではない彼女は新鮮だった。
目が離せなかったという表現がぴったり当てはまったのはこれが最初で最後だったなと今になって思う。綺麗なものというのはいつまでたっても心に残ってしまうものなのだ。
「ね…似合ってるかな?」
「ほらほら王子様?訊いてるよ?」
「似合ってるよ」
「嘘くさいなあ…」
「この子はほんと他人を信じないなあ」
「似合ってるのにねえ」
出来るだけ自然にそう言うと、二人は言葉を盗まれたように黙った。
「…そういうこと言えるんだね」
みーちゃんは驚いていた。失礼な話だ。
「そんな無理したリップサービスはいいよ…」
彼女の言葉は少し寂し気だった。
「似合ってるって言われたら素直に喜べばいいのにねえ」
「そういう言葉…言われ慣れてないから…ごめん」
「…大丈夫だよ。僕が何度も言うから」
そう言った後慌てて「舞台上でね」と付け加えた。
「もうちょっと言い方ってもんはないの?王子様は」
どうにか雰囲気を戻そうと無理に明るいみーちゃんの声。
「なかなかこう見えても自己肯定感が低いんだよね、私」
ふーんという声が二人分重なった。
「自己肯定感の低い人はヒロインに立候補しないだろ」
「そうそう、テキトーに屋台でもやってた方が楽だったでしょ」
「なんていうんだろ、たぶん私を褒めてくれる人たちは、周りの人が私を褒めるから『この人は褒めるべき対象なんだな』って認識を歪めているんじゃないかと思って」
「サブリミナル効果ってこと?」
「んー何とも言えないけど。だからショック療法?荒療治?演技でも言われ続けたらよくなるかなあって」
「ん?じゃアタシ達上手いように使われてたってこと?」
「そういうわけじゃないけど…いや、そういうことになるかな」
「あーいやいや、どうせ使われるなんて慣れてますし?気にしてないでしょ?ねえ王子様?」
「そうだね。僕は別に構わないよ。ただし僕の言葉は演技で言ってるわけじゃないけどね」
「おっなんか言った?」
「何でもないよ」
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