地獄とは他者の不在なり
八月も下旬に入り、"腕時計"の表示も000:056:09:42:28となった。
蝉が諦めがちにジリジリと鳴いている。西日が心なしか弱く感じるのは気のせいだろうか。
古典の補習が終わり、当時も蝉の鳴き声はミンミンと表記されていたのだろうかと思いを馳せていたりしたら授業が終わった。実に有意義な時間であった。教師が黒板の板書を消し、生徒が気だるげに筆記用具を筆箱に戻しているときにとあるクラスメイト――そういえば彼女と部活が一緒とかでよくつるんでる男――が教壇に上がって言った。
「なあそろそろ文化祭の話をしようぜ」
僕がいる学校では九月下旬に文化祭が行われる。全クラスが出し物を出すのが決まりとなっているこの学校では、大学受験が差し迫りだした三年生も文化祭に動員される。なので文化祭は、受験生のストレスのはけ口としても機能しており、結構な盛り上がりを見せている。周りに娯楽や商業施設が乏しいのももちろん理由になるのだろう。
「そろそろそんな時期か」と、黒板を消しながら古典の教員が呟いた。
「いいじゃんいいじゃん!隣のクラスも企画立て始めたとか言ってたしちょうどいいんじゃない?」
彼女が言った。彼女がそう返してくれることを男は期待していたようで嬉しそうに反応した。
「でしょ?企画書を文化祭実行委員に出すのも新学期始まってすぐだし、二学期始まってからは実力テストとか多くてみんなで話せないでしょ」
教室に散らばってたクラスメイトが、手に持っていたリュックサックやエナメルバックを机にまた置き、相談や談笑しながらグループとなった。教室が話し声で満たされていく。相変わらず人を指揮するのが上手い。
彼女と男が「食品扱うと許可取らないといけないからめんどっちいよね」「お化け屋敷はどうだ?」「あれ暗幕必要だから借りないと」とか壇上で話す声が聞こえる。話し合うほどの友人がいないしこのタイミングで教室を出るのは気まずい、頬杖ついてさっさと意見がまとまらないかなあとぼうっとする。
「いいの?」
不意に背後から声が聞こえた。あの人はたまに主語の無い最小限度の言葉でしゃべる癖があることに最近気づいた。
「文化祭の企画なんて別になんでもいいよ。僕がやりたいことなんて無いし」
「分かってるくせに」
にししと笑うみーちゃん。視線を傾ける物も無いのでとりあえず彼女達を二人で見つめる。前に立ってるのを視界に入ってしまっているだけだ。後ろに立ってくれてたら見なくて済むのだが。
「取られちゃうかもよ?」
「別に彼女は僕のものじゃないから」
「おっと?あたしは彼女の話なんてしてたっけ?」
「分かってるくせに」
みーちゃんが白々しく笑う声がするが、僕は目を合わせることなくいまだに彼女達を見ていた。
僕らが怠惰に雑談に興じている間に、企画立案についての話し合いはどんどん進んでいたようで、様々な筆跡で様々な色の文字で黒板が埋められていった。
メイド喫茶、おばけ屋敷、焼きそば、休憩所など様々な意見が出た。僕だけではなくクラス全体が、何がやりたいと躍起になっているわけではなく、他クラスと比べてあまり見劣りしなければ楽な方がいいという雰囲気が形成されていた。
他人とやりとりしつつ作業をするのは苦手なので、その雰囲気には僕も賛成だ。
「ねえ演劇やろうよ!」
そんなざわつきの中飛び込んできた彼女の声は、そんな暗黙の了解的な雰囲気などお構いなしだった。
「演劇か…」「私あまり人前に出たくないな…」「練習とか時間とられそうだな…」
案の定クラスは否定的なニュアンスを含みさんざめいた。隣にいた男が彼女に尋ねた。表情に出ないよう努力しているようだが焦っている様子が見て取れる。先ほどまでの彼女との会話では出てこなかったのだろう。
「脚本はどうすんの?」
「みーちゃんが書いてくれるよ」
「えっ全く聞いてないんだけど」
クラス中の視線が集まり、後ろから困惑の声が漏れる。僕も居心地が悪い。
「大丈夫だよね!みーちゃん!中学校の時小説書いてたもんね!」
「えぇ…なんで黒歴史を教室で発表されてるの…」
恥ずかしさが一周回ってしまったようで表情や仕草には現れなかった。
「あっでもみーちゃんは男同士のれんあ…」
「やりたいです!私脚本やりたいです!」
食い気味にみーちゃんが遮った。十分な致命傷、ご愁傷様である。策士のような顔で彼女が笑った。
「といってもあたし、お芝居とか書いたことないよ?どんな感じのお芝居やるの?それによって登場人物の数も変わってくるだろうし」
「大丈夫!みんなはじめは素人だよ!」
「なんの解決にもなってないじゃん」
みーちゃんは彼女に振り回されることに慣れたように笑った。
教室の角にいた大人しい女子たちが、自分勝手に話を進める二人に眉をひそめながら、何かつぶやきあっている。時折、それらの目が2人の間にいる僕を睨むので非常に居心地が悪い。関係者扱いしないでくれ。
「恋愛ものがいいんじゃない?男同士はちょっと色んなハードルが高いかもしれないけど」
「流石にもう書かないよ」
「私ヒロインね!」
「あーやっぱり。言うと思ったよ」
彼女の隣にいた男が、言葉の隙間を縫うようにして言った。
「あんまり女子人前に出たくなさそうだし、言い出しっぺとして仕方なく、仕方なく!責任を取ろうかと!」
「本当は自分がやりたいだけのくせに」
「いやいやそんなことは無いよ」
男の声など聞こえなかったかのように話を進める二人を見て男はあからさまに傷ついた顔をした。そんな公開処刑手前の行為に、胸がすくような思いよりも先に、こちらまでいたたまれなくなった。
「ちなみにヒロインやりたい人いるー?」
周囲に確認するようにみーちゃんは一応周りを見渡した。クラスでわざわざ彼女を出し置いてまでヒロインをやりたいだなんて剛の者はいないだろう。
「それでお姫様はご希望の王子様でもいらっしゃるんですか?」
冗談めいてみーちゃんが彼女に問うと男が、他に立候補しそうな動きをする奴がいないか一瞬確認して手を上げようとした。
まあお似合いのカップルだ、誰も止めはしないだろう。
彼女はそんな男を視界から外して、いきなり僕の元へ歩み寄ってきて、両肩に手を置いて言った。
「私はこの人に王子様になって欲しいな!」
正直全く予測してない展開というではなかった。でも、ざわつく教室と動きを止めた男と笑いを噛み殺すみーちゃんと、どよめきを漏らすクラスメイトからどう逃げられるかなんて考えられようもなかった。
僕の渇いたため息がざわめきの中に飲み込まれていった。
それから数日間クラスメイトに質問攻めにあった。今まで僕を空気のように扱ってきた奴らがクラスメイト面して、仲良し面してまで質問してきてうんざりした。僕に訊かないで彼女に訊いてくれよ。
演劇の役割分担だが、主役の二人が決まってしまったので、脇役、衣装係、小道具大道具と他の係は決まっていった。
脇役とか主役とかと言ってもまだ脚本が出来ていないので、役が出来たときの優先順位といった感じだが。あの男は脇役の中でも優先順位は1位となった。クラス全体から祭り上げられるように半強制的にやらされていたが、まんざらでもない感情を抑えきれない笑顔をこぼしている。ホントなんで僕が主役やってるんだろうって気分になる。
主役格二人と脚本大先生、3人が昼に集まるのはなんとなく大義名分が僕らの中で出来た気がして、昇降口のベンチから空き教室に昼休みの集合場所がグレードが上がった。終礼のチャイムが鳴り彼女達と連れ立ってそそくさと毎日教室を出ていく僕は好奇の視線に晒されたが、気にしないフリをしていた。
空き教室と言っても、文化部が放課後にしか使わない人気の無い文化棟ではなく、僕らが普段授業を受けている教室棟の教室だ。
もちろん目の前の廊下を生徒が通るし、なんならうちのクラスメイトも通る。それでも殺人的な太陽光を浴びるよりかは、多少は前の時間まで稼働していた冷房のおこぼれに預かれた方がマシというものだ。
好奇心に満ちたクラスメイト、その全てがみーちゃんか彼女の友人であった。僕には友人と言えるものがいなかったし、いたとしてもこの教室で長時間この二人と対峙できるほど豪胆なやつではないだろう。
そういうわけで、鍵はかけずとも「入るな」と言わんばかりに扉をきっちり閉められたこの教室に入ってくるのは女子ばかりであった。その全てがその好奇心を僅かでも隠そうとせずに、僕に値踏みするような視線を向けるものだからむしろ感動すら覚えた。このような人たちは、自分が他者を値踏みをしていることにすら無意識なのだろう。
空き教室では、大体彼女が入り口が見える様に座り、時計回りにみーちゃん、僕、と座る。みーちゃんと彼女は机に腰かけ、僕だけ椅子に座るもんだから、事情を知らない人が見たら、恐喝でも受けているように見えるだろう。
実際正義感に満ちた教師が一度血相を変えて教室に入ってきて小さく騒ぎになった。2,3日はその座り方を変えたが、人の記憶の脆弱性というか慣れとは恐ろしいもので、いつの間にかその座り方に戻っていた。
消しかすが残った机を手でパラパラと払いのけた。
「そんで脚本どうするの?毎日集まってるけど全然その話、しないじゃん」
みーちゃんがいちごミルクの紙パックで音をぺこぺこと鳴らしながら訊いた。
「やっぱりここは王道!ロミオとジュリエットでしょ!」炭酸のペットボトルを片手に足を組みながら彼女はビシッと指を伸ばして決めポーズをした。
「ロミジュリか…ストーリー全て把握してるわけじゃないからね…」
みーちゃんが左上に視線を向かわせながら呟いた。
「ロミオが仮死状態となって周囲に死んだと見せかけて後でジュリエットと合流しようと思ったら、ジュリエットがロミオは死んだと勘違いして悲観して自殺して、それを知ったロミオも後追い自殺するって話でしょ?」
「わーわかりやすい説明ありがとうロミオ君」
「過分なお言葉頂き望外の極みでございますジュリエット様」
お茶のペットボトルの蓋を外して僕は一口飲む。
「ちなみに今更で申し訳ないんですが、恋愛もの以外は視野にないんですかね?」
「ないよー」
彼女はあっけらかんと言った。みーちゃんも肩をすくめていた。
「だってさ、寿命があと2か月もない私達が、死んでしまう悲劇を演じるなんて皮肉めいていていいじゃない?」
「そういう他人事みたいに捉えるの僕はキライじゃないよ」
ペットボトルが汗をかいて、つうっと流れて机に垂れていった。
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