君は無邪気な昼の女王

 次の日はタイミング悪く、学校主催の夏期講習で登校日となっていた。彼女が昨日のことを吹聴してたら面倒だなと思いながら教室へ入ると、みーちゃんは彼女と机に腰かけながらおしゃべりしてた。僕を視界に入れると、少し不服そうな顔をしながら小さく「おはよ」とだけ言った。

 どうやら昨日の出来事をそこまでは根には持っていないらしいし、教室を見渡してもいつも通り僕を気にする人もおらず、吹聴していないようで安心した。

 僕も彼女とどっこいどっこいの音量で「おはよう」と返した。

 その様子を見て彼女は苦笑いした。

 午前の分の講習がひとまず終わり、昼休みとなった。昨日の帰り道に買った総菜パンと朝自販機で買ったペットボトルの紅茶を取り出す。流石に時間が経ってるため冷たくはないが、冷房が効いているので全然問題ない。

 眠気を帯びながらパンを食いちぎる。硬いパンを噛んでいても目は冴えてこない。まあ昼休みだしいいか。そんなことを微睡みながら考えていた。

 そう、みーちゃんが僕を呼ぶまでは。

「ねえ外のベンチ行かない?」

 隣の彼女は今まで通り笑っていた。


 先ほどの教室の冷房が蜃気楼だったかのように、うだるような暑さが僕の身体を醒まさせる。

「ごめんねー寿命の話、教室じゃ話せないでしょ?人気のあまり無さそうなところじゃないと」

 昇降口横の茶色のベンチは雨除けの恩恵に預かっておらず、強い西日と雨風によるダメージが蓄積していた。少し力を入れると小さな木片がパラパラと崩れた。

 本当にここに座るのかと目で問うたが、誰一人として目をあわせてくれなかった。ああそうかい。

 そこに、彼女を真ん中にしてみーちゃんと僕が座る。

「そういえば…えーと…」

 僕が淀む。

「ん?」「どした?」

「……みーちゃんさんって苗字なんでしたっけ?」

「マジかよコイツ」「今更だね…」

「人の名前覚えるの苦手なんだって…」

 2人は苦笑いをしていた。以前たしかに苗字を聞いて、意外と珍しい苗字だと思ったのは覚えていたが、今となってはその苗字も忘れてしまった。

 クラスの名簿みたいなものも、友達を呼ぶことの無い僕には必要ないものだと思って、配られた日にはゴミ箱に捨てていた。

 おかげで今となっては名前を知る術が無かったのだ。

「どうせ教室とかであたしの名前呼ぶこともないし、ここの3人だけの会話だったら『みーちゃん』って呼んでくれていいや」

「おっ珍しい!みーちゃん呼びしてるの私だけだったのに」

 紙パックのイチゴミルクを掴みながら彼女が茶々を入れる。

「苗字がアレだから声に出したくなるせいか、名前で呼ばれること少ないんだよね」

 それは名前で呼び合うのが気恥ずかしいからでは?と思ったが、それもわかるわーと頷く彼女のために言わないでおいた。

「んで……みーちゃんはさ、」

「まさか君に『みーちゃん』って呼ばれると思わなかったな」

 あなたが言ってきたのに今更何を。

「ねえ、恥じらいながらいうのなんかやめてよ」

 彼女までやいのやいの言い出してきた。

「ヤキモチか?」

 肘でうりうりとつつくみーちゃん。ちょっと眉を吊り上げて彼女が僕の方を向く。

「じゃあ私も名前で呼んでよ」

 女子を名前で呼び慣れていないのになんでこうなった。でもここで引き下がると「なんで私は…」と続くのは火を見るより明らかであった。延焼を防ぐためなら家屋だって破壊しなければいけないのだ。

「――さん」

 ここで僕は彼女の名前を初めて呼んだ。本人は気づいていないだろうが。

「あーダメだこれ、言われると意外と照れるね」

「なーにを今更カマトトぶりおって」

 いちゃつく女子高生2人、眼福だなあと心の中だけで呟く。

「それで用件ってなんですか」

「用件が無いとご飯も一緒に食べてくれないのかコイツは」

「まあまあ…確かに特に用件は無いよ。でも寿命について口を滑らせると大変なのは他でも無い君なんだよ?恋人でもないのに、なんでこんな容姿端麗な私と同じ短い寿命なのか問いただされるのは君なんだよ」

 少しだけ胸がギリッと痛んだが、その理由については分からないフリをした。

「容姿端麗とか自分で言うか」

 ストローを噛んで苦笑いするみーちゃん。続けて、

「寿命の話を昼食のおかずに出来るのはそんな長期間じゃないと思うけどな。そんな広げられないでしょこんな話題」

「でも私達にはそんな時間すら残されてないでしょ?」

 そういって彼女は流し目で僕の方を見た。

 彼女が僕と彼女を「私達」とひとくくりにしてくれたことに、どうしてだか不適当な共感を覚えた。

「いちゃつくのは2人きりのときにしてよまったく…」

「あとさ、私のことを日記に書いたり、写真に撮ったり…はわからないけどさ、そういうことするのは構わないけど、私の本名だけはどこにも書き残さないで。私の名前が私ではない誰かによってこの世のどこかに残ってしまうのがいやなの」

「理由は…訊かない方がいいよね」

「そうだね、助かる」

「親友のあたしにだって教えてくれたことないんだよ薄情だよね」

「僕だけかと思った」

「違うよ私に親しく関係する人全員に言ってるの」

 自分でも認めていた通り容姿端麗な彼女は、僕たちの知らないところで、僕やみーちゃん以外の関わりが少ない人の日記には書かれているだろう。それはともかく親しい人にのみ伝えるということは、親しい人の言葉で持って表現されてしまうことを恐れているのだろうか。親しい人による飾らない等身大の言葉で。

 そこからは3人で、退屈な化学教師の悪口だったり、態度だけでかい体育教師の物真似など他愛のない話を予鈴が鳴るまでしていた。誰かと一緒にご飯を食べるのは中2以来かもしれなかった。

 楽しかったのはわざわざ書き記すまでも無い。


 それから数日たったある日、器用なクラスメイトが昼休みに入る前に、自分で作ってきた焼き菓子を披露し「一人一切れね!」と釘を刺しながら人を殺到させていた。

 そんな混雑を他人事のように見ながら、みーちゃんが席に着いたままの僕に訊いた。

「あんたも行けばいいのに」

「お菓子とかあまり興味無くて…自宅でも中々出してもらえなかったからさ」

「珍しい」

「あとこういう時にだけクラスメイト面したくない」

「分からんでもないな」

「そういう訳」

「さいですか…これは秘密なんだけどさ、」

 みーちゃんがもったいぶった口調で言う。

「言うなら早く言ってよ」

「アイツは甘いもの大好きなんだよ」

「そうなんだ…」

 僕らの小声の会話をかき消すように、彼女の「このお菓子美味しいね!好き!!」という言葉が教室全体に響くのを2人して見つめていた。表情には出ないように、忘れないよう頭に刻み込んだ。


 そこから数日、確か10日だったはずだ、夏期講習がまた再開し、その日もそれまで通り3人で外のベンチで昼食を摂っていた。

 その日は曇りで、日差しにうんざりすることは無かったが、湿度はいかんせん高い。今日はなぜか僕を真ん中にして座っていた。

「そういえばみーちゃんはあの店でバイトしないの?」

 そうみーちゃんに振ったつもりが、彼女が先に口を開いた。

「来たんだよ1回。店長はあんな感じだから君みたいに面接無しで通ったけど…」

「客があんなに来ないのに時給が入ってくる罪悪感に耐えられなくなったの」

 みーちゃんの言葉に僕は言葉を失った。そういう考え方もあるのか。

「びっくりでしょ?」

「言い方は悪いけど所詮バイトじゃないですか……?」

「君たち、良いことばかり享受すると後でそのツケが来るもんだよ」

「まあ私らにはツケが来るほどの時間が無いですけどねー」

「あはは」

 みーちゃんが僕の足だけを器用に蹴り飛ばしてきた。ベンチの真ん中に彼女を挟んだまま的確に脛を蹴ってきた。

 持ってたパンを落とさないようにしながら悶える僕を二人がけらけらと笑っていた。いや、こっちの方が罰当ばちあたりでしょ。

「そういえばみーちゃんは寿命いつに設定したんですか?」

「あたし?」

 そう言って躊躇いも無く彼女は自分の"腕時計"を僕に見せつけた。034:274:10:42:39の表示。

「35年、つまり50歳がリミットなんだね」

「短めなんだよね」

 そう僕らがいうとみーちゃんは明らかにムッとした顔になった。

「あんたらに言われたくないけどね」

「あはは」

 渇いた笑い。僕が足を避けると同時にみーちゃんの足が掠めていった。あっぶねえ。

「ちょっと暗い話でつまらない話なんだけどさ…」

 そう言ってみーちゃんは黙ったが、止めようとする人がいないことを確認して再開した。

「あたしのじいちゃんがさ、ちょっと認知症っぽくてさ」

 少し声が揺らいだが、悟られまいと明るく装うみーちゃんの声。

「あたしのじいちゃんが、じいちゃんじゃなくなっていくのがとても、悲しかった。あたしの名前も忘れ、時には大声であたしに罵声を浴びせたのが恐ろしかった。それだけじゃない。あたしにずっと優しく接してくれていたじいちゃんに対して、一言の罵声で、たった一言の罵声で恐怖や嫌悪感を抱いてしまった自分に吐き気がした」

 僕らと目を合わそうとせず、ベンチの足元に視線を釘付けている。

「だからあたしは、『あたし』じゃなくなる前に、きれいな『あたし』のままでこの世を去りたいの」

 どう返せばいいか逡巡していると、彼女が口を開いた。

「私も―――この様子じゃ多分この人も、じーちゃんばーちゃんがそんな症状になった経験が無いからよくわかんないけど、いいんじゃない?まあぶっ壊れてる私達にはちょうどいい友人だね」

「ちょっぴりマジメな話だったんだけどな…」

 そこまでは傷ついてはなさそうな顔してみーちゃんは笑う。

「あたし普通の人より寿命設定短いかもしれないけど、きちんと天国であんた達が死んだ後の世界について教えてあげるよ。きっちり後悔させてやる」

 どこかで聞いたようなセリフに僕と彼女は顔を見合わせた。

「ねっ?みーちゃんは自慢の親友なの」

 肝心のみーちゃんだけがよくわかってない顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る