12-3
松上凛さんへ
はじめまして、僕は天財誠と言います。自分で言ってしまってはナンですが、美術をやっているなら、僕の名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね。
僕はあなたが応募した「高校生絵画コンクール」の審査員をしていました。審査員をしてくれと声をかけられたのは、一昨年の秋のことです。春から夏にかけて作品を募集するから、それを見てくれというのです。実のところ、それまでは僕の父がこのコンクールの審査員をしていたのですが、父も歳をとり、たくさんの絵を見るのがしんどくなってきたので、僕にお願いしたいとのことでした。
最初はとても億劫でしたが、その頃の僕はいわゆるスランプというものになっていて、気分転換になればとか、やる気がわくかもしれないなんて思いで、審査員を引き受けました。
最初のうちは、月に何回かある作品の審査日が面倒臭くて仕方ありませんでした。そりゃそうです。ある程度絞られた作品群だとしても、高校生が描いた絵ですから、すべてがすべて見ごたえのある作品というわけではありません。あぁ、早く終わらないかなぁと思っていた頃に、あなたの絵に出会いました。
濃紺からオレンジのグラデーションが美しい空と、朝日の並々ならぬ光の力を受けて輝く海は、薄い色を何度も何度も重ねて、少しずつ丁寧に描かれ、その色には濃淡だけでない深みが感じられました。空からの光は水面だけでなく、風景そのものを美しく輝かせ、散りばめられた光は雨上がりを思わせる。下に広がる花々は血のように瑞々しく、それはまるで自由な空へと手を伸ばしているようにさえ見え、僕は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想しました。
きっとあなたは何か苦しみを抱えてこの絵を描いたのでしょうね。何かから解き放たれたいという思いが滲み出ていました。それでいて、この美しい風景に感動している。夢中になって描いたのがわかりました。
僕はあなたの絵を見て、初めて弟子を取りたいと思いました。あなたを育ててみたい、と。
それなのに、あなたは授賞式に現れませんでしたね。とても残念に思い、コンクールの関係者に聞いて驚きました。あなたがこの前の地震の被害者だったなんて。今も眠っていると聞いて、ショックを受けています。
あなたに会いたい。あなたとお話がしたいのです。もし、この手紙をあなたが目覚めたときに読んでくれたなら、ぜひ僕に連絡をください。もし、あなたがその時も絵を描きたいと思っているようなら、僕に会いに来てください。きっとすばらしい画家になれると思います。
天財誠 拝
「天財誠さんから、学校宛に送られてきたんです。昨日、この絵と一緒に倉橋先生から渡されました。凛に渡してやれって」
「……そうか」
便箋にぎっしりと埋め尽くされた言葉には、天財誠という天才画家が、たった一人の高校生に可能性を感じたということが力いっぱい書いてあった。
嘘のようだ。信じられない。
私は幼い頃から、凛が絵を描いていれば勉強をしろと叱っていたのに、そんな娘に才能があるだなんて。
「凛さんは、才能あるんですよ。お父さんが求めていたものとは違うかもしれないけど、立派な画家になる可能性を秘めているんです」
いつの間にか、先ほどまで鋭いくらいの眼光で突き刺してきた少年は、目にいっぱいの涙を浮かべて声を震わせていた。
「凛が目覚めたとき、お父さんたちがこの手紙を見せるかどうかを僕たちは決められません。でも、これが送られてきたことを伝えることはできます。内容も、僕たちは知っています。だから、もしお父さんが伝えなかった場合は、僕たちから伝えるつもりです。僕たちは、凛に画家になってほしいから。少しでも可能性があるのなら、好きなことをして生きていってほしいから。だから、僕たちは伝えるつもりです」
目に溜まった涙が瞬きでぱらぱらと頬を落ちると、少年たちの瞳はこの絵の朝日のように澄んだ色をしていた。
「そんな……ひとの人生をなんだと思っているんだ。お前たちみたいなろくでもない連中に……」
まるで寝起きのように、握った拳に力が入らなかった。手の中で便箋がくしゃりと弱々しく折れる。
「ろくでもない、ですか。そうですね。僕は、あの地震がなかったら今頃学校でいじめられてるはずでしたし、ふたりとも開発部に行ける成績ではありません。でも、凛の話を聞いて、どんなときでも力になろうと思っていまし、きっと凛もそう思ってくれているはずです。友だちっていうのは、確かに将来の責任は取れないけど、一緒に励まし合って素晴らしい未来をつくることはできるんです。それって、否定ばかりしているよりよっぽど凛を幸せにできると思いませんか」
ひと息で言うと、悠真の肩はわずかに震えた。興奮のせいなのか、恐怖のせいなのか。栄はその肩にそっと手を置いた。気持ちは一緒だ。
「……思う。俺は思うよ」
「……侑」
「パパは、小さい頃からいつも俺やねぇちゃんに、勉強しろって、将来のために勉強しろって言い続けてきたよね。俺はずっと不思議だった。俺たちは何のために生まれてきたのかなぁって。だって、パパが思い描く未来って、すでにパパが実現してる未来だろ? たくさん勉強して、天空島の中学行って、高校行って、研究所入って……俺たちがもう一度、正しいルートで同じゴールを目指すのって何の意味があるのかなって」
静かに淡々と話す言葉は、責めるでもなく、悲しむでもなく、ただ純粋に長年の疑問をぶつけていた。
凛とは違って、素直に言うことを聞いてきた侑が、こんなことを考えていたこと自体が、雪彦には驚きだった。子どもにも考える力があることに、自分が気付いていなかったことを、今思い知らされたのだ。
「俺はね、それでも他にやりたいこともなかったから、天空島に行くのもいいかなと思ってた。どうせやるならトップ取ってやろうみたいなのもあったし。でもさ、結局あれじゃん。俺、どうしたらいいんだよ」
侑が窓の外を見る。そこには、静かな海に不時着している天空島があった。
「結局、パパの言うこと聞いてても、こんな風になるなら、好きなことやって生きたほうがいいんじゃないの」
侑は、力なく握られた手紙を雪彦の手から解いて、凛の胸の上、掛け布団の中に入れた。
「ねぇちゃんが目を覚ましたら、俺が責任持って渡します」
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