12-1

親不孝の中で最も罪深いものは、子が親より先に死ぬことだろう。

ピッ、ピッ、ピッ、と一定のリズムを刻む音を聞きながら、雪彦は目の前の娘を眺めていた。

あの日から止まった時間を、どうやって動かしていいかわからずに、ただ面会時間が始まる頃にここに来て、終わるまでベッドサイドの丸椅子に座って、娘の寝顔を眺めている。

十五年ぶりに東京を襲った地震は、余震であるにも関わらず本震とさして変わらないマグニチュード7を記録し、相模湾を直撃。真上に浮かぶ天空島を支えている超音波集束装置に大打撃を与え、島を大きく揺らした。

幸い早朝だったこともあり、屋外を歩く人は少なく、重度軽度問わずけが人は出たものの、島外へ投げ出されたのは、凛一人だった。

本震の後に作られた大きな堤防のおかげで、津波による被害は最小限に済み、もともと液状化していた埋立地も立ち入り禁止で、人への被害はほとんどなかったと聞いている。

天空島は、全島避難となった。復旧の目処は今のところついていない。

もちろん天空島研究所も全員避難、今後については保留中だ。所員の中には、辞表を出して別の職に就いた者もいるらしい。プロジェクトの生みの親である五十嵐教授や、その他開発部の初期メンバーは、次の職を見つけようにもこの有様ではなかなか思うようにはいかないだろうが、若い所員は大企業からの転職と変わりない。おそらくすぐに行き先が見つかっただろう。技術者でなければなおさらだ。

自分だって本来なら職探しに奔走すべきなのだということはわかっている。凛が目覚めるまでの入院費や、理恵子や侑、両親が暮らすための金だって必要だ。

それでも雪彦は、自分のすべてであった天空島を眺めながら、眠ったままの娘に会いに、毎日病院に通っている。

窓の外には、海面まで下ろされた天空島が、三本の超音波集束装置に囲まれて、ぷかぷかと浮いているのが見える。

あの日凛は、その頃ちょうど装置の清掃の最中だった運営部の所員たちによって、すぐさま救助された。機転を利かせ、傾いた島ではなく茅ヶ崎の病院に運ぶと、緊急処置が施された。凛はなんとか一命を取り留めたものの、今もこうやって眠ったままでいる。医師は、あんな高い所から落ちて助かるなんて奇跡ですよ、と言った。

袋に入れて手渡されたすぶ濡れの衣類やカバン、陸を転がり落ちたときについたであろう腕や手の傷を見て、あの花畑で起きた事故が夢ではないのだと思い知らされる。

病室のドアの向こうから聞こえる、次々に怪我人が担ぎ込まれてくる喧騒の中、雪彦はまだ乾ききっていない娘の髪を撫でた。

横で静かに泣いている理恵子の、時々喉に詰まる泣き声や、どうしていいかわからずに病室の端に腰掛けたまま固まっている侑の存在を感じながら、あの日も今座っているこの丸椅子に、同じようにただ何時間も座っていた。

雪彦は、眠る凛の前髪をかき分け、額を撫でた。

天空島プロジェクトに関わることになり、残業や徹夜続きでほとんど家に帰れない状態になったのは、凛がまだ幼稚園に通い始めた頃だ。侑に至っては、やっと話し始めたかという時期で、今となってはその頃のことなど覚えていないだろう。いや、それは凛も同じかもしれない。

丸く、人より少し大きな額を撫でながら、あの頃とは頭の大きさも、肌の色も、髪の質感、生え際の産毛、整えた跡の残る眉、手のひらに触れるすべてが全く違うのだと実感する。それはつまり時の経過であり、こうなるまで親子の触れ合いが一切なかったことに改めて気付かされた。

「いつの間にこんなに大きくなったんだ、凛は……」

娘は、ささやかな呼吸や不随意運動でしか反応を返さない。

週に何度かは顔を合わせ、一つ二つ会話を交わしていたはずなのに、娘がどんな風にここまで大きくなったのか思い出せない。断片的な記憶はあるものの、十五年も経ったはずなのに、思い出の数がその時の長さに合わないせいで、あの頃がほんの二、三年前のように思えてしまう。

それなのに、目の前でしっとりと目をつぶり眠っている凛は、もう十七歳の少女なのだ。

春には、十八歳になり、高校を卒業する。もう選挙にだって行けるし、免許を取って車を運転したり、結婚をして子どもを産むこともできる。いつの間にか、凛は親にさえなれる歳になっていた。

こんなに長い間、一体何をしていたのだろう。

カタカタと窓を揺らす風を眺めながら、雪彦は、十七歳の凛の笑顔を全く思い出せないことに気がついた。

たまに早く家に帰ったとしても、玄関を開け、リビングから聞こえてくる子供たちの笑い声を聞きながら部屋に入ると、形式上発せられた「おかえり」という感情のない声とともに、子供たちが席を立つ。理恵子に夕飯をどうするか聞かれ答えているうちに、自室へ引っ込んでしまうのだ。

ひどい時には、私の帰宅する気配、たとえば車の音なんかでそれを察知して、自室へ逃げ込むこともあった。玄関を開けてすぐに耳に入ってくる階段を上る足音やドアを閉める音、残っているリビングの空気なんかで、つい数秒前まで子供たちがいたというのがわかるのは、なかなか堪えた。

しかしそれは、子供たちが私に触れたくないと思っている証拠で、日頃から顔を合わせれば「テレビを見ていないで自分の部屋に行って勉強をしなさい」だとか、「こんな時間まで起きていないで早く寝なさい」だとかを言ってきたせいに違いなかった。子供たちは、嫌なセリフを吐かれる前に行動したに過ぎない。

子供たちとじっくりと話をするのは、決まって学校の成績が返ってきたときで、毎度毎度こちらが思うような成績を取ってくれず、叱ってばかりいた。本当は褒めてやりたいのだが、怠けてばかりいるので仕方がない。

凛に至っては、成績を咎めると「でも国語は上がった」とか、「英語は上がった」などと反論をした。しかし、開発部に入るには、文系科目はそれほど重要でないのだからそんなのは意味がない。大切なのは理系科目なのだし、どちらにしたって学年で片手に数えられるような成績を取っていないといけないのだ。

それなのに凛は、下から数えたほうが早く、私をいつも困らせた。

勉強をするようにいくら諭しても、その場では涙を流して謝るだけで、結局次の試験でも似たような成績を取り、長期休みには補習に駆り出されることもあった。

しかし、こうなってみれば、少しは褒めてやればよかったと思ってしまう。一つ前の成績を覚えていないのだから、本当に上がっていたかはわからないが、実際に国語や英語が上がっていたのなら、一言褒めてやってもよかった。

例えば、凛が外交官になりたいと思っていたのなら、数学よりも英語が大切であったろうし、弁護士になりたいのなら、理科よりも国語や社会に興味を持つのは当然だ。

「お前は、どんな夢を持っていたんだ……」

そう雪彦が独り言のように凛に問いかけると、背後のドアが開き、理恵子と侑が入ってきた。

「パパ、ただいま」

いつの間にか大幅に私の背を追い抜いた侑が、大荷物を抱えて病室に入ってくる。理恵子も、その手伝いをしてか、両手にトートバッグやスポーツバッグを抱えていた。

「どうした、その荷物」

「今日、島が一時開放になったから、天高生はみんな荷物を取りに行ったんだよ」

床や丸椅子に荷物を置くと、ふぅとため息をついて肩を回した。

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