10-2
いつの間に寝てしまったのか、次に目が覚めた時には辺りはすっかり朝を迎えていた。
街の方角から、近づいてくる人の気配に意識が引き戻されて、徐々に覚醒していく。パキッとか、ザクッザクッとか、そんな足音が、近づいてくる人間の無神経さを物語っていて、とてつもなく嫌な感じがした。草花の命など気にも止めていない、そういう人間の足音だ。
重たい瞼をゆっくり開いて上体を起こすと、そこには研修で対峙したあの姿があった。
「凛の、お父さん」
「お前ら、何をやっているんだ!」
辺りがまとう朝靄を切り裂くように、怒りに震えた乱暴な声が響く。その声に、びくりと体が震えて、凛や栄も目を開けた。次の瞬間、雪彦が凛の髪の束を根から掴んで起き上がらせていた。
「い、たい……やめて!」
「お前はなんでこんなところにいる!」
髪を掴んだまま凛を揺する。抵抗する凛の指が、雪彦の手に食い込んだ。凛の目からは涙が流れている。
「痛いっ!」
雪彦が凛を投げ捨てると、まだ幼さの残る凛の顔が土に打ち付けられた。頬に土が付いて、その下にうっすらと血が滲む。
考えるよりも先に俺と栄は、凛に駆け寄った。一歩遅れて、まだ覚醒しきっていない脳が咄嗟に凛を守るように警鐘を鳴らす。腕の中に抱いた凛は、ガタガタと震え、俺のTシャツの裾を力一杯握りしめた。
「お前は! なんでパパに断りもなく、こんなところにいる? 理由を言え!」
おし黙る凛に耐えかねて、雪彦がふたりの顔を睨み上げた。
「お前たちは、なんなんだ! うちの凛をどうするつもりだ!」
雪彦は、自分より二十センチ以上大きな栄の体を突き飛ばし、叫んだ。
「どうするって、ちょっと問題が発生して……凛ちゃんが協力してくれたんです」
「問題? どういうつもりだ! お前が何かやらかしたのか!」
雪彦の表情がますます怒りで満ちた。
「お前は田井栄だろ。陽光中卒業で、凛より成績が悪い。これだから片親は困る。そっちは森川悠真。成績はまぁまぁだが、所詮研究部止まり。ましてや、同性愛者でいじめられていたんだろう。うちの娘に何をするつもりだ、一体」
「ちょっと待って、何のつもり?」
凛の声に色はない。
「ふたりのこと調べたの?」
「当たり前だろう。子どもにとって価値のある友だちかを見極めるのは、親の務めだ」
「は? その価値って、何? 誰がどうやって決めたの? 成績? 家柄? パパが認める友だちって何?」
凛が俺と栄が作った腕の檻から乗り出して叫ぶ。
「質のいい友だちと一緒にいれば、お前だって成績が伸びる。そうでない友だちと一緒にいる時間に何の意味がある? 今だってそうだ。こんなくだらない連中と付き合って、何の価値がある? こいつらがお前の将来の面倒を見てくれるのか?」
「面倒? パパは何の話をしてるの? 友だちって、そんなことで選ぶものじゃないでしょ」
握りしめる手に爪が刺さって痛そうのに、力を抜くことができずに赤く染まっている。怒りでいっぱいになった凛の顔に、恐怖すら覚えた。全く別人に見える。
「だから、パパには友だちがいないんだよ」
その言葉を聞いて、雪彦は理性を失った鬼のように赤い顔で、凛に殴りかかった。
それは現実味のない光景だった。まるで悪夢でも見ているようだ。
愛する我が子を蹴っては殴る。
我が家では起こったことのない事象に、意識が付いていけない。
「痛い! やめて!」
凛の目から涙が流れる。
「おじさん、ちょっと待ってください!」
栄が雪彦の腕を掴んで止める。
盾になった栄の背後から凛が駆け出していくのが見える。うっすらと広がる朝靄の中、ずらりと並ぶ赤い花をかき分けて凛が島の端へ向かって走っていく。その姿もなんだかスローモーションに見えた。
栄は、まるで部活でボールを守るような素早さで凛を追いかける。
「凛、待て!」
雪彦はその粗末な体格で栄を押しのけて凛を追う。
その向こうで凛がよたよたと逃げる。
悠真が追いかけようと立ち上がるとほぼ同時に凛が花畑の端っこで転んだのが見えた。
あ、と思った時には遅かった。
凛が転んだのは足が縺れたからではなく、島が傾いたからだと気付いた頃には、凛の姿はそこにはなかった。
辺りには警報が鳴り響き、
天空島は、大きく傾いていた。
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