9-1

嫌な予感がして、その日は島に残った。栄には一度帰るように言われたけれど、悠真がこんなことになっているのに、帰れるわけがない。仮に帰ったとしても気が気じゃなくて、結局島に戻ってくるに決まってる。理恵子に送ったメッセージは、すぐに返事がこなかった。

大事にするのもどうかと思い、倉橋と寮長には連日体調が悪いので悠真は実家に帰ったと知らせた。これで消灯の確認は逃れられる。

ふたりは、食堂に置いた荷物もそのままに、昼休みの時間いっぱい校内を探した。ふたりで授業をサボれば、きっと大事になるだろう。事情が事情なだけに、大騒ぎになるのは避けたい。今のところ、石原も金城もおとなしくしているようだったし、大人たちに知られて詮索されたくない。

帰りのホームルームが終わってすぐ、ふたりは教室を飛び出した。学校の敷地内、エアポート、中心街……。自分から外出するタイプではないので、悠真の行く宛なんて見当がつかない。たぶん行きつけの場所なんてないだろう。

凛は、中心街のカフェで軽く食事を済ませ、栄を待った。頼んだサンドイッチも逸る気持ちで喉を通らない。悠真が店の前を通るのではないかと、外をキョロキョロ見渡すことしかできなかった。

天空島にいなかったらどうしよう。幹恵には、悠真が通ったら連絡してほしいと伝えたが、悠真はエアポートをほとんど利用しないからから二人には面識がない。幹恵が悠真に気付かなかったとしてもおかしくはないし、その前に島を出た可能性だってある。

それでも凛は、悠真は天空島にいると確信していた。根拠はない。ただ、そんな気がしたのだ。

「いらっしゃいませー」

入り口に置かれた案内用ロボットが愛嬌のある機械音を上げた。

「お待たせ、お待たせ」

「大丈夫だった?」

「オッケー。とりあえず消灯したから。これ、服。鷺口に借りてきた」

制服で夜中に出歩くのはまずいので誰か女子に服を借りてきてほしいとお願いしたのだ。二十五センチも背の高い栄の服では大き過ぎる。カバンは市販の黒いリュック、靴は体育用のスニーカーに履き替えてきた。

「ありがとう、着替えてくるね。あ、サンドイッチ食べていいよ」

残した二切れを指差して言うと、栄は一口で二切れとも食べてしまった。添えてある野菜も口に運ぶ。

トイレに籠って着替えをした。見立たないリクエストしてくれたのか、手提げに入っていたのは黒いTシャツと黒いハーフパンツだった。ありがたい。サイズもほとんど同じだ。

「結夏ちゃんに何て言ったの?」

会計を済ませてレストランを出る。栄が律儀に食べた分らしい百円をくれた。

「野暮用で使うからって。俺が行ったから、もしかしたらまた付き合ってるとか思われたかも、ごめん」

「しかも目立たない服貸して、だもんね。仕方ないよ」

結夏とさくらは今頃連絡を取り合っているだろう。同じグループの友だちが何やら訳ありなのだ。ましてや、クラスでも目立つタイプの栄とだ。栄が部屋を訪ねてきたときの結夏の心の高まりからの落差を思うと、二人が勘ぐって嫌な想像を話していたとしてもおかしくない。

でも、なんか違うんだよな、ふたりは。

ガジェットを開いて天空島の地図を見ている栄の真剣な横顔は、確かに逞しくて男らしい。いつもの笑顔は太陽みたいに明るいし、弱音を吐いて助けを求める栄だって可愛げがあって好きだ。だから、クラスの女子が栄をいいと言うのも、誰かが栄を好きになるのも、当然だと思う。

でも、凛にとっては、愛だの恋だのという、そんなものとはもっと違うレベルの好きに思えた。もっとそれを超えてしまうような、大切なもの。この友情は、今まで自分がそうだと思ってきた友情とはきっと全然違う。これは、一生大切にしなきゃいけない友情なのだ。

「とりあえず、西の方行く? 東ってまだ何もないらしいし」

「そうだね。行こう」

中心街を抜けると工業・農業地帯までは基本的には島民の住宅が並ぶ。クラスでは、偉春、さくら、衿上が島民であるが、三人とも悠真の行方は知らないと言うし、そもそも悠真がふたりを飛び越えて彼らを頼るというのも考えにくい。

中心街の端にあるクリーニング屋の角を曲がると、途端に真っ白な正方形が道の両脇に整然と並んでいた。建売住宅どころではない、コピー&ペーストしたように酷似したそれらは、ここが短期間で造られた人工の島だということを改めて思い出させた。

「うわ、なんか迷子になりそうだな……」

初めて足を踏み入れた住宅街をそろそろと歩く。同じ天空島で暮らす人間同士とはいえ、やはり知らない人々の家が並ぶ道というのはどことなく居心地が悪い。

よくよく見比べてみると、連なる家々は玄関前の花壇でわずかな個性を出していた。溢れんばかりにガーデニングを施している家や、逆に何も手がつけられず土が丸裸で横たわっている家もある。耳を澄ませればしっかりと住む人間の息遣いが聞こえてくる。平屋の住宅に配された大きな窓から漏れる明かりや、走り回る子どもの声、それを制する親の声、夕飯の匂い、玄関先に置いてある自転車、取り込み忘れた洗濯物。そこにはあたたかな生活が漂っていた。

凛はふぅと息を吐いた。

改めて、悠真はここにはいないと確信する。もし、石原や金城の言葉から逃げるように飛び出したのならば、こんなにところに逃げ込むはずがない。ここにはあまりにも家族というものがありすぎる。あんな風に他人の温もりを諦めている悠真が、ここに隠れることは考えられなかった。

「あ、ここ偉春ん家だ」

栄が指差す表札には「NEMOTO」と彫られている。

「一回来たことあるんだよね。夜だからわからなかった」

昼と夜では風景が違って見える。

「ほんとだ。一応聞いてみる? 栄、仲いいし、内緒にしてくれるでしょ?」

「その辺は大丈夫だと思うけど……」

栄が、電気の点いた居間らしき部屋を見る。

「でも、大人たちにここにいるのバレるとまずいからなぁ。一回電話してみよう」

栄が偉春にかけると、僅かな呼び鈴のあと、何かを口に含んだようなくぐもった声と繋がった。栄が両親にバレないように場所の移動を指示してから、深くは語らずに悠真の居場所を知らないか聞く。

「森川? いや、まだ何も。学校でも聞いたよな。なんかあった?」

「あ、いや、大丈夫。ちょっと用があって部屋行ったらいなかったから。飲み物でも買いに行ったのかも。その辺見てくるわ。ありがとな」

「やっぱだめか」

悠真と偉春の関係を考えれば至極当然の結果ではあるが、隅っこで落胆する。

「ここにはいないかもな」

ガジェットを仕舞って、栄が言う。家からは、母親が偉春を呼ぶ声が聞こえた。

「東の方行ってみる?」

「だな。行こう」

ふたりは自然と足早になった。東部を目指すことを口実に、脚を走らせる。

本当は、この住宅街にいるのが息苦しかった。家々からにじみ出る幸せな家族のイメージで窒息してしまいそうだ。ここの家族にだってきっと同じように苦しみはある。それでも、目の前の幸福でキラキラと輝く青い芝生が、ふたりの喉から酸素を奪っていった。

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