6-1
隣の野本さくらの席を囲んで、その前の根元偉春と後ろの灰月雅也とくだらない話をしながら、カツサンドを齧る。寮の食堂で今朝買っておいた、限定十個のカツサンドは、厚さ二センチのカツに甘辛いソースがたっぷりと染みていて、二つ入りで三百円が信じられないほど本当にうまい。買ってから四時間も経ってすっかり冷めているというのに、こんなにうまいなんて、食堂のおばちゃんたちは天才カツサンド職人であることを誇りに思って良いと思う。
「カツサンドいいなぁ。半分俺のおにぎりと交換しない?」
女子の弁当のちょうど倍はあるだろうという大きな弁当箱を開いて偉春が言う。頭も良くて、几帳面な偉春は、毎朝律儀に弁当を作り、昼飯代としてもらったお金を貯金している。男子寮生の中では完全に珍種だ。そんな男子高校生聞いたことがない。
「え~。おにぎりの具、何だよ」
「今日はなんとスパムおにぎりだ! 目玉焼きも入ってて、うまいこと間違いなし!」
「お前スパムなんて高ぇのに、何買ってんだよ。節約のための弁当じゃねぇのか?」
カップラーメンとおにぎりという炭水化物の二大巨頭を手に、雅也が言う。サラダから先に食べるということだけは、いつも徹底しているが、そんなことでチャラになるわけがない。バレー部を引退したのに変わらないこの食生活では、先の体重が心配だ。
「俺だって、たまには贅沢したいじゃん。栄、交換しようよ~。絶対百五十円の価値あるから!」
まじで等価交換! と主張を緩めない偉春の手に握られた、ラップに包まれたスパムおにぎりは確かにその価値はありそうだ。
「ん~。まぁ一個食べたし、いいよ。貴重なカツサンド、食べたまえ!」
「やった~!」
とてもクラス一の秀才とは思えない、無邪気な笑顔で万歳をする偉春に、箱ごとカツサンドを渡す。交換したスパムおにぎりは、ずっしりと重く、食べ応えがありそうだ。
スパムおにぎりを齧っていると、凛がさくらや結夏が連れ立って帰ってきた。
研修ですっかり仲良くなったふたりに、俺は昼飯一緒に食おうと誘った。もちろん、偉春や雅也と食べるのは最高に楽しいけれど、クラス替えのないこの学校に入ってから、もう二年半近くも一緒に食べてきた。昼以外にも話す時間はあるわけだから、残りの半年は悠真や凛と食べたいと思ったのだ。
しかし、その提案は、凛によりあっさりと却下された。
凛曰く、「女子の世界は、〈出る杭は打たれる〉どころか、〈出そうな杭は打たれる〉」のだそうだ。要するに、女子がたった一人で男子と連もうもんなら、特に調子に乗ったり自慢したりしなくても、あっという間に村八分にされるということらしい。女子とは恐ろしい生き物だ。
ちらりと凛の方を見てみると、可もなく不可もなくと言った様子で、ガジェットを見ながら三人で話している。手元には、可愛らしい柄のバンダナの上に、同じようなサイズの弁当箱が置かれている。中身も渾身のカラフル弁当だ。
俺たち三人とは全然違う、秩序の中に平和がある、そんな正三角形が描かれている。女子とは繊細な生き物でもあるらしい。
さくらの席のちょうど向こう側を見ると、外を眺めながら悠真がパンを齧っている。いかにも栄養のなさそうなクリームパンを齧りながら、時々無糖の缶コーヒーをちまちま飲んでいる。
悠真が小柄なのは食生活のせいで間違いないな。運動部でもないし、大きくなるのから逃げているみたいに見える。悠真の半袖シャツから見える真っ白い腕は、筋肉がほとんど付いていないせいで、まるで子どもみたいだ。
窓の外を眺めている悠真の耳には、俺たちのくだらない会話は届かない。授業中以外ずっと差さっているイヤホンで遮断された悠真の耳には、J-POPしか知らない俺や凛には名前すら聞いたことがない外国のアーティストの音楽が聴こえている。
最近日課となっている、放課後のラウンジ勉強会でしつこく聞いたら、聴いているのはUKロックというところまでは教えてくれた。いや実際にはバンド名も教えてくれたのだけれど、長すぎて覚えられない俺たちに、悠真は「もう覚えなくて良い」と冷たく返した、というのが正解だ。悠真は本当に表面温度がめちゃくちゃ低い。
しかし、実のところ中身はほかほかな魔法瓶男だということを、俺は知っている。凛だって勘付いているはずだ。その証拠に、最近凛は悠真には少なからずわがままを言うようになった気がする。
もう残りわずかになってきたサッカー部の練習の後、悠真と凛が待つ寮のラウンジに向かう。食堂に併設されたラウンジには、色とりどりの小さな円柱のブースがいくつも並んでいて、寮生はその中で勉強したり、こそこそ内緒話をしたり、打ち合わせしたりなんかする。丸テーブルを囲う形で筒状の壁が付いているので、周りの音は全然聞こえないし、中の声も外にはほとんど漏れない。
中でも青いブースは俺たちの定位置だ。授業が終わるとまっすぐラウンジに向かう悠真がそこを拠点にしているので、自然とそうなった。悠真が真面目に勉強しているところに、俺と凛は思い思いの時間に合流する。
「これ、書いた?」
俺がブースに入ってカバンを下ろしていると、凛が机に一枚の紙を出した。一番上に「進路希望調査票」と書かれている。今朝、ホームルームで担任の倉橋から全員に配られたのだ。
「俺は書いたよ。特に迷ってないし」
悠真が教科書の下敷きになっていたクリアファイルから、すでに埋められた調査票を出す。「天空島研究所」にはっきりと丸がつけられ、第一希望の欄にはきれいな字で「開発部」と書かれている。第二希望は研究部、第三希望は運用だ。
「こんな感じかなぁとは思うけど、メンテナンスに興味ないから運用は微妙」
「そっかぁ」
ブレない悠真の返答を聞いて、凛がタブレットの画面にぐるぐると変な模様を描く。すでに解答欄が埋められた数学の宿題が、どんどんと黒く塗られていく。いくらでも戻れるからってお構い無しだ。
「凛は、広報じゃないの?」
「まぁそうなんだけど……そもそも親は悠真みたいな希望を出さないと許さないと思うし、そもそもわたし他にやりたいことあるし……」
凛が顔を両手で覆いながら言う。爪の際のささくれが絵の具で染まっている。右手の人差し指には赤が、中指と薬指の脇には青が付いているし、手の側面は鉛筆の跡が残って少しだけ黒い。左手も似たようなものだ。制服のスカートの裾には何日か前からパリパリの黄色の絵の具が付いているが、制服はなかなか洗えないから仕方がない。最近の凛の制服はいつもどこかしら汚れている。
凛のやりたいことというのは画家、だと思う。口には出さないが、一緒にいたらわかる。
大人たちがこぞって「夢みたいなことばかり言っていないで現実を見ろ」なんて言うだろうその夢は、凛の家では声に出すことさえ許されない。
俺は素人だから凛が画家になるに値する才能を持っているかなんてのはわからない。だけど、少なくとも俺は凛の絵が好きだ。毎日こんなに悶々として生きているのに、絵は爽やかで瑞々しくて自由でどこまでも広い。晴れた日の朝みたいな絵だ。見ていると胸がすぅーっとしてくる。
俺たちと仲良くなってから、凛は放課後に絵を描くようになった。一年の終わりに辞めさせられた美術部に親には内緒で入り直して、俺がサッカー部の練習をしている間、美術室で絵を描いている。ソラフェスの絵を手直ししてコンクールに出すらしい。完成したら俺たちふたりに一番に見せてくれる約束だ。
俺はそのコンクールで凛が何か結果を残したら、親の見る目も変わるんじゃないかと思っている。何の根拠もないけれど、親の方だって何の根拠もなく応援なんてできないだろう。少なくとも、俺がサッカー選手になりたいと言ったら母ちゃんは、インターハイでMVPでも取ってから言えというだろうから、きっと凛の親だって同じだ。目に見える結果というのは、説得材料として結構大きいんじゃないかと思う。
凛も悠真も、いろんな才能を持っている。
最初ふたりは、俺のことを住む世界の違う人だと言った。この言葉はあまり好きじゃないけれど、スクールカーストの中で、俺とふたりは全然違う世界に生きているらしい。
確かに、俺は学校という小さな世界の中では比較的目立つグループに属していることが多かったし、それがカーストが高いということならば、きっとそうなんだと思う。
だけどそれは、こんな小さな世界の中での話だ。ここから飛び出せばそんなものは価値のないものになるなんてこと、どこかでみんなだって気が付いているはずだ。だって、それは例えば顔がいいとか、スタイルが良いとか、おしゃれだとか、流行に敏感だとか、そういうことでしかない。それで勝者になったところで、ごはんは食べられない。それなのに、みんなそのことには目をつぶって、このカーストが士農工商ほどの効力を持っているかのように言う。多様性の21世紀に、時代錯誤もいいところだ。
仲良くなる前は、ただの同じ中学出身のクラスメイトというだけで、どんな人間かだなんて考えたこともなかった。でも、いざ話をしてみると、その口からは次々と「やりたいこと」が溢れてくる。
きっとそれこそが外界での金貨になる。なりたい大人になれるよう努力することこそが、本来高校三年生の俺たちが今やるべきことで、小さな世界の貴族になることじゃない。
そんなふたりを見ていると、自分はなんで営業になりたいなんて思い始める。改めて考えてみると別に理由なんて浮かんでこない。理系科目が好きじゃないし、父ちゃんが営業やってたからなんとなく、それだけだ。そもそも天空島に来たのだって、今時高卒で国家公務員になれる仕事なんて他にはそうないし、早く働いて女手一つで育ててくれている母ちゃんの助けになればと思っただけだ。ここで特別に何かやりたいことがあったわけではない。
そうなってくると、進路希望調査票を簡単には埋められない。もしかしたらここで選ぶ道が、この後の人生を大きく左右することになるかもしれないのだ。
「栄も書いてないじゃん」
名前しか書いてない俺の調査票を見て悠真が言う。
「栄は決まってるんじゃないの?」
「ふたり見てたら、これでいいのかわかんなくなってきたぁ」
机に突っ伏してみる。視界が真っ暗になって、まるで今の俺そっくりだ。未来が見えない。
つむじを凛の人差し指が押す。結構痛い。その小さな指が、筆を持って美しい空の絵を描いていくのを想像してみる。筆の跡がキラキラ輝いて、まるで魔法みたいだ。
「つむじを押すと腹を壊すだろうが!」
「それって迷信じゃん」
「本当かもしんないだろぉ」
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