5-3
「今日から研修だったろう。どうだった?」
家に着いて遅めの夕食を取っていると、ソファでガジェットをいじっている雪彦が声をかけてきた。ローテーブルには、理恵子が作った漬物と缶ビールが置いてある。珍しく早く帰って来られたのが嬉しいのか、上機嫌でイライラする。そのせいで、凛の夕飯を狙う愛犬のしなもんにさえキツく当たってしまうのを止められない。
「……別に。普通だったよ」
白米を掻き込みながら言う。今日のメニューは、マカロニサラダとスープと生姜焼きと野菜炒め。昨日の残りのきんぴらごぼうも置いてある。うちの献立はいつもおかずが多い。
「普通ってことはないだろ」
初めてやったことに対して何を答えろというのか。他の人になら今日あった楽しい出来事や驚いたことなんかを話したくて勝手に口が動くのに、雪彦に対してとなるとその意欲が一切湧いて来ない。
「将来、研究所で働くんだから。いろいろと学んでこなくちゃ、研修の意味がない」
「……わかってるし」
「なんだその口の利き方は!」
「何も言ってない」
ママがせっかく作ってくれたごはんがまずくなるから黙って欲しい。仕事をするなら自分の部屋ですればいいのに。
「もう高三の夏なんだから、しっかり勉強しなさい」
日頃娘がどれだけ多くの時間勉強しているかを知らないくせに、ペラペラとわかりきったことを繰り返す。凛の胸にある黒い塊が、またずしりと重さを増した。
早々に食事を済ませると、「宿題あるの忘れてた!」と聞こえるように独り言ちてから、さっさと自室へ戻った。もちろん宿題なんてない。
机に向かうと、日課である日記帳を一番上の引き出しから取り出す。ここなら鍵がかかるから、日記は必ずここに仕舞って、鍵も必ず持ち歩いている。
凛は、物心ついた頃から日記を書いていた。覚えている限り、一日足りとも飛ばしたことはなく、どんなに短くても必ず書くようにしているのだ。
小さい頃はほとんど絵日記や落書き帳みたいなものだったが、成長するにつれて、日記帳は何でも話せる親友になった。うれしかったことも、悲しかったことも、辛かったことも何でも書いた。雪彦に理不尽に怒鳴られて、「死ね」とページが真っ黒になるまで書き連ね、それでは足りずにビリビリに破いたこともある。日記帳は、返事こそしてくれないが、止められない衝動さえもすべて受け入れてくれる、どこまでも優しい存在だ。
何を書こうか。
やはり今日は研修のことだろう。
目を瞑ると、昼間に見た景色が蘇ってくる。研究所を貫くように建てられた巨大なエレベーターや、佐竹さんの冗談、男子たちの作業着姿、みんなで見た天空島の最下層からの景色、ドローンのコックピット。明日からあれを運転して空を飛ぶ。できるかな。少なからず不安もある。それに、帰り道に話した田井くんと森川くん。今になってあんな風に話せるようになるなんて、思いもよらなかった。しかもチームを組むなんて。すべてすべて、初めての経験だ。わくわくしてる。久しぶりに幹恵に会えたのもすごく嬉しかった。
うん、悪くない、いや良い一日だった。家に着くまでなら、これ以上ないってくらい充実してた。
しなもんに似ているから、という理由で買ったキャラクターのシャーペンを日記帳のページの上で滑らせる。今、目の前に浮かんだ景色を、順を追って並べていく。
楽しい一週間になればいいな。
日記帳を引き出しにしまって、ベッドに沈んだ。
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