5-2

初日の研修はフロアの中をふらふらと飛びながら操縦の特訓をしてお開きとなった。とりあえず、平行移動に関しては問題はなさそうだ。室内ということもあり、まだそれほど大きくは動いていないが、垂直移動もなんとかなるだろう。

「君たちすごいな。こんなすぐ乗りこなすなんて……。まぁ、君たちにしたら自転車に乗るくらいのもんなのかな。ジェネレーションギャップ感じたわ……」

ここ十年で完全に普及しきった空中浮揚の技術が、十歳上の教官の胸をえぐる。「俺も年取ったわぁ」と、なんだか年寄りくさいことまでぼやき始めた。

「明日は、早速ドローンに乗って外に出ます。まずは一人ずつ俺と乗って、機械に慣れる。時間が許せば、清掃に入れたらいいなぁ。水曜日には完全に清掃に入って、みんなで一台を清掃します。で、木曜、金曜は二チームに分かれて、残りの二台を清掃する。チームは……番号順に前三人と後ろ三人でいいよね」

ドローンから降りて横一列に並ぶ六人の、瀬乃と栄の間に佐竹が左手を差し込む。チームは、蒼井・大川・瀬乃、田井・松上・森川の二チームというわけだ。

「だって! よろしく!」

栄が、凛と悠真に向かって、ニッと歯を見せて笑い、握手を求めた。悠真が面倒なやつと同じチームになった、という顔をして見せるが、栄は気にしない様子で悠真の手を握った。

「うん、よろしく」

凛も栄の手を握った。肉厚で力強い、熱っぽい手だった。

研究所から学校に戻るまでの道を、自然とチームに分かれて歩いた。向こうのチームは足早でもう随分遠くまで行っている。

すっかり日が伸びたせいで、空はまだ水色のままだった。商店街風に路面店が並ぶ中心街は、夕飯の買い出しに出た主婦たちで賑わい、入り口の「天空街」の看板には傾き始めた太陽の日がキラキラと輝いている。

「なぁ、すごい偶然だな! 俺ら三人ってみんな陽光中じゃん!」

栄が嬉しそうに言った。確かに、奇しくもこのチームは、学年で、いや学校でたった三人の、陽光台中学校出身メンバーだ。天空島出身者以外で同じ中学出身者がいるというのはなかなかないことで、下級生には母校からの進学者はいないし、直近の二年は上級生にもいなかったはずだ。そのくせ、この二年半の間ほとんど話したことがなかったので、今更こんな風に並んで歩いているなんて、なんだか不思議な話だ。

「だね。ほんと偶然」

もしかしたら先生の仕込んだことかもしれないな、と思いつつ、頷いて見せる。以前、他の生徒とほとんど言葉を交わさない悠真が、クラスに馴染めるようにこっそりアシストしてほしいと頼まれたことがある。しかし、同じ中学出身とはいえ、話したこともない男子をどうにかするなんて荷が重い。そういうのは田井くんに頼んでください、とその場で退いて、その依頼を頭の片隅に置き去りにしたまま今に至る。それこそ、ふたりは席が前後の日直を組む相手という間柄でしかない。結局何も進展しなかった。

「ふたりは結構向こう帰ってんの?」

人見知りとは無縁の笑顔で、栄が話しかける。凛は答えるだろうと踏んでか、視線は悠真に向けている。

「わたしは実家から来てるから」

「え、マジで? 遠くね?」

悠真があらぬ方向を向いているのを見て、慌てて答える。凛の回答にだって、悠真は反応を見せない。耳にイヤホンを挿したまま、何も言わず隣を歩いている。

「ほんとほんと。毎日五時半起き。ちょー眠い」

「うわぁ、それ地獄じゃん」

全く反応を見せない悠真を置いて、当たり障りのない言葉をキャッチボールする。

栄とは、中学一年の頃に同じクラスになっていたから、話せなくもない。クラスメイト以上の関係になることもなかったから、どんな会話をしたか全く覚えていないが、おそらく話したこと自体はあった気がする。覚えてないということは、それほど重要な局面ではなかったのだろう。今と同じように、なんとなくクラスの中心にいる人だったから、こちらの視界にはよく入ったが、自分は栄の視界にはほとんど入っていなかったはずだ。ちょうど研究所が栄で、学校が凛。こちらからあちらは見えるが、あちらからこちらはほとんど見えない。そういう構図だった。


校門で寮に戻るふたりと別れ、自転車に跨った。東の空はすっかり夜の色をしているが、箱根山に沈もうとしている太陽はまだまだ一片が掛かっているだけだ。

時刻は五時半過ぎ。次の定期便は七時までない。エアポートの待合室の前にあるベンチに座って、目の前に見える夕日を眺めた。薄い水色が少しだけオレンジ色に染まっている。今日は天気が良かったから、その分夕日も美しい。

「お、凛。今日は遅いね」

「幹恵さん」

振り返ると、待合室の横にある事務室から津田川幹恵が顔を出していた。定期便を待つ間よく顔を合わせるので、幹恵はエアポートを守る名物おばちゃんなのだ。

「啓介、さっきの定期便乗ってったよ」

そういえば、瀬乃は研究所から自転車に乗って帰っていた。五時の便に間に合ったのだ。

「瀬乃くん、今日一緒の研修だったのにな。わたしも自転車で研究所行けばよかった」

凛は研究所に駐輪場があるかわからず、学校に自転車を置いて、徒歩で向かった。性格出てるなぁ、と我ながら実感する。

「今日から研修?」

「うん」

「もうそんな時期かぁ。早いね」

「今日は、超音波集束装置の研修だったから、地下行ってきたよ。カゴのドローン乗った」

「どう? やれそう?」

「う~ん、どうだろう。でも、わたしには選択肢ないから」

「あぁ、そうか。凛の家はそうだよね」

物心つく前から研究所で働くことが決められていた人生。できるとか、できないとか、そんなのは関係ない。あそこで働くしか選択肢がない。

「あぁそうだ。マフィンあるけど、食べる? 今日、お客さんからもらったのよ。待ってな」

凛の返事を待たずに、幹恵が事務室に引き返す。一分も経たないうちに、拳ほどあるマフィンを持って帰ってきた。

「プレーンとチョコ。どっちがいい?」

幹恵の両手に一つずつ、ラップに包んだマフィンがある。誰かの手作りなのだろう。少しだけ不揃いで、人間味がある。

「じゃあ、チョコ」

紙のカップをずらしてかじると、甘さで奥歯がきゅうと締め付けられた。

「うぅ、顎痛い」

「あはは、甘いからね」

「でも、すごいおいしい。お腹空いてたんだ」

「さっきまでブルーベリーもあったんだけどね。駅長が食べちゃったのよ。あのハゲおやじが」

幹恵が恨めしそうに言う。

「ふふ、ダメだよ、そんなこと言っちゃ。わたしチョコ好きだよ」

二口目を齧ると、チョコチップの塊が舌に触れた。噛むとカリっと弾けて、その後に一段濃いチョコレートの味が舌に染みる。

「家に着く頃には9時過ぎるんじゃない?」

「7時の定期便だとそうなっちゃうんだよね。6時も作ってくれたらいいのに」

定期便は本数が少なすぎる。これ以上増やしても乗る人がいないのだから仕方がないが、こういう時本当に不便だ。

「申し訳ないと思ってるんだけどねぇ。わたしらじゃどうしようもないからね。明日は啓介と一緒にダッシュで帰っておいで」

女の子が一人でいたら危ないから、と夕日が山の陰に隠れ、茅ヶ崎の夜景から現れた定期便が、エアポートの十字に降り立つまで二人は並んで話し続けた。幹恵に見送られ、天空島を出発する。相変わらず乗客は、凛と茅ヶ崎に帰る研究所員らしい大人が二人だけだった。

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