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その日以降、曖昧だったスクールカーストはリーダーグループを頂点に、そして悠真を底辺にきっちりと分けられた。菊池、斎藤、清原は被害者という扱いになり、ちょうど中心のグループに配されている。三人は、嫌がらせのたびにすまなそうにこちらを見ていた。

悠真は別に助けてほしいとは思わなかった。こんな状況下で何かしら手を出せば、いじめが三人に及ぶのは間違いない。こういう時は、瑣末な行動でさえ簡単に地位を揺らがす力を持っている。お調子者で明るく、本来なら人気者であったはずの菊池に、それを投げ打ってまで助けてくれというのは無理だ。それくらいちゃんとわかっている。


手を替え品を替え、彼らのストレス発散という名のいじめは続いた。

そんなある日のことだった。帰りのホームルームで進路希望調査票が配られた。春に一度、夏休み前に一度配られ、今回は三回目の進路調査だ。

春の頃は、何も考えず家から通える範囲にある自分の成績に見合った高校の名前を書いた。夏休み前のものには、菊池たちが志望している高校を抜いて書いた。

でも、今は敵が多すぎる。クラスに、いや学校そのものに味方が一人もいない。こうなってしまったらもう誰を避ければいいのかわからない。どこに行ったって誰かしらいる。公立中学というのは、本当にピンからキリまでいるものだから、自分を知っている人がいない高校なんてこの街には存在しないのだ。

それは、イコール絶望だった。自分が同性を好きになる人間だった、というたったそれだけのことで、この後の三年間を失うことになる。この年齢の三年は長い。きっと人生の中の大切な時期であることも、なんとなくわかる。

そう思ったら掃除を終えてクラスメイトが帰っていっても、席を立つことができなかった。教室の隅っこで机に置いた紙ぺらを眺めたまま固まっていた。そんなことをしていたところで、おそらく今日は答えなんて出ないだろうこともわかっていた。本当ならさっさと帰って、いじめられていることを親に相談して、今後について話し合ったほうがよほど生産的だ。でも、体がずっしりと重く、動くことができなかった。


一色のアドバイスは的確だった。きっと担任だからというだけではない。こんなことになって以来、要所要所で助け舟を出したり声をかけてくれたりしていた一色だからこそなのだと思う。二人一組の準備運動が付き物の体育の授業ですら、一人でできるものに変えてくれた。自分の手の行き届く範囲だけでもと、努力してくれていたのは本当に助かった。

嫌がらせは辛かったけれど、無理に介入されて状況をこじらせられる方が余程しんどい。ドラマに出てくる熱血教師よろしく、ホームルームで生徒に対して演説するよりも、むしろそっとしておいてくれた方が良い。それでいてたまに話を聞いてくれる。そのくらいがちょうどいいのだ。

実際、一色は悠真が日直の度に仕事を押し付けられていることを知っていて、日誌を体育教官室に届けに行くとお茶とお菓子を用意して待っていてくれた。こんなことになる前は、「教官室の机の上に置いておいて」と言っていたから、状況を悟って変えてくれたのだ。

コンコンコン、と三回ノックをしてから教官室のドアを開ける。体育教師の中で一番の若手である彼の席は、机が並ぶ島の中で一番手前にあった。

「イッシー、日誌持ってきた」

昭和時代から変わっていないだろう、黒表紙を綴り紐で閉じた日誌を一色に手渡す。

「サンキュー! あ、せんべい食う?」

受け取ると中身も見ずに日誌を放って、隣に座るように促す。悠真は定位置である隣の席に座る。女子の体育を見ている先生の席は、強そうな見た目に反して、実はファンシーなグッズが並べられている。付箋なんてクラスの女子が使っているものよりずっとかわいい。字も女性らしい柔らかくてきれいな字だ。

「最近どうよ?」

一色が入れてくれたお茶を啜りながら、「うーん、普通」と答える。

「普通ってなんだよ。まぁでもそれならいいけどね」

こんな状況が普通なわけがないけれど、一色に愚痴をこぼすのは嫌だった。別に強がっていたわけではない。月に一、二回しか来ないこのあたたかい時間を、そんなことで台無しにしたくなかった。冗談を言って笑ったり、美味しいものを食べて感想を言いあったり、たまには他の先生の悪口を言ったりする、そういうそれまで当たり前にあった賑やかな時を感じたかった。

前回の日直から今までに起きた楽しい話を一通り話してから、後ろ髪引かれる思いで席を発つ。一色にも仕事はあるだろうから、あまり長居はできない。

「じゃあ、俺帰るね。おせんべいありがとう」

お土産に持たされた全種類のせんべいを見せて礼を言う。

「おう。他のやつらには内緒だからな!」

こんな状況で誰に話せばいいんだ、と内心ツッコミながら、心の奥まで晴れやかな太陽のような笑顔を目に焼き付けて、ドアを閉じる。これでまた一ヶ月頑張れる。誰もいない教室に戻る足取りは、今にもスキップしそうなほど軽かった。


悠真は一色のアドバイス通り、帰ってすぐに天空島高校について調べた。その日の勉強の予定をよそに置いて、ひたすら検索する。

学校の情報は、ネットを見れば良いことも悪いこともわんさか出てきた。悪いことは、天空島そのものに対する批判がほとんどで、「こんな高校に行かせるなんて、オカルト集団に子供を売るのと同じだ」なんて親たちを批判するものもあった。公立ということもあって、税金で天空島研究所の職員を育てるのは如何なものか、という批判も多い。

それでも悠真には、これがけっして悪くない選択肢に思えた。これまで天空島自体には全く興味がなかったけれど、理数系の科目は嫌いではなかったし、高所も問題ない。何より将来が約束されているのが良かった。研究職に就けばきっと他人と多く関わる必要もないだろう。偏見かもしれないが、科学者というのは、概してコミュニケーション能力は低いものだ。

一色のような暖かな存在がそこにあるかはわからないが、どのみち卒業してしまえば彼は担任の先生ではなくなる。来年の一年生のものになって、毎日近くで守ってもらうことなどできない。どうせほとんど会えはしないのだから、一色から卒業して、新たな場所で生きていかないといけないのはどこにいたって同じだ。


その晩、夕食の後家族が揃っているときを見計らって、自分の気持ちを伝えることにした。

敏昌がのろのろとカレーを食べながらビールを飲んでいるダイニングテーブルに、もらってきたパンフレットを置く。隣でテレビを見ながら風呂上がりのアイスを頬張っている美優紀がそれを手に取った。

「俺、行きたい高校決めた」

家を出たいと申し出るのだ。なんだか一世一代の告白でもするかのようにわずかに声が震えてくる。

「そこのパンフ?」

美優紀が表紙に書いてある「天空島高校」の名前を読み上げる。

「え、やば。あそこちょー偏差値高くなかった?」

ソファでテレビを見ていた明音が振り返る。手には美優紀と同じアイスのカップがある。柔らかくしてから食べたほうが美味しいといつもくにゃくにゃになるまで混ぜて食べるから、半分も食べればシェイクよりも液体に近くなってしまう。明音はアイスを手に急いでダイニングに寄ってきた。

「景色やばぁ。ちょーきれい!」

明音がページを覗き込んで興奮気味に言った。校長からのメッセージの背景は、広い海をバックに建つ校舎の写真だ。島の端に建っているせいで、白い校舎以外は空と海しか写っていない。まるで学校とは思えない、シンプルで洗練された造りがまたオシャレに見える。創立八十年の陽光台中学とは比べ物にならない。

「ここからだと片道二時間かぁ。通うのは無理じゃない?」

「大丈夫、寮あるから」

パンフレットの後半のページを捲って見せる。三階の渡り廊下で校舎と繋がるもう一つの建物は、ほとんどの生徒が入居することになる学生寮だ。少人数制のおかげもあって、ちゃんと一人一部屋用意され、プライバシーも守られている。

「やっていけそう? ここ行ったら家に父ちゃんも母ちゃんも、お姉ちゃんもいないんだよ」

美優紀が眉を八の字に垂らして言う。修学旅行以外親元を離れたことのない息子が、十五で家を出ると言い出したのだ。当然心配は募る。

「うん、わかってるよ。大丈夫」

「てか、ゆうくん、そんな甘えん坊じゃないじゃん。お母さん心配性すぎぃ」

残りのアイスを頬張りながら、明音がケラケラ笑う。さりげないアシストが助かった。きっと自分も受験生だから、弟の一大決心を後押ししてくれたのだろう。明音だって、この話が終わればいつも通り机に向かう。「あたしも頑張るから、あんたも受かんなよ」なんて声をかけてくれたのは、なかなか嬉しかった。


その後、二時間に渡る家族会議の末、悠真の天空島行きは決定した。反対はほとんどなく、寮生活への心配と成績と学費の工面についてが議題となった。学費については、もしかしたらその後両親の間で何度も話し合われたかもしれない。しかし、家族全員が応援してくれたことは、悠真にとって大きな力となった。

彼らは図らずも、苦しみ耐えている息子に将来の生きる希望を与えたのだ。平凡で、どこまでも普通すぎて、突飛なことを受け入れられないだろうと思っていた家族が、少しだけ人と違った道を選ぶ息子の背中を押した。それは、悠真の大きな翼となった。


同じ中学からの進学者が二人もいたのは想定外だったが、いじめに加担するようなタイプでもなかったおかげで、今の所高校生活は穏やかに過ごすことができている。それだけで十分だ。ふたりには密かに感謝している。以前いた街よりずっと閉鎖的なこの島で、自分がゲイであることやいじめられていたことをバラされていたら、途端に生活が暗転していただろう。

高校に入って親元を離れてみて、世界にはいろいろな人が生きていることを知った。もちろん実際に会ったわけではないが、この世に同性愛者はごく当たり前にいる。割合は少ないとはいえ、普通に生活している人も多い。外国には同性愛者が結婚することが認められている国もあるし、異性愛者と変わらない生活ができる国もある。年々その考え方が広がり、日本でも同性婚を認めるなんて動きも出てきた。

それでもこの先進国である日本はどこまでも島国で、変わり者を許さない。マイノリティーを嫌い、ストレスのはけ口にすることが許されているような顔をする。いつまで経ってもいじめは無くならない。大人の世界にもあるのだから、子どもの世界からなくなるわけがない。

だから、こんな風に静かに生きられることが、どれほど幸せか。社会に出たらこの平穏は終わってしまうかもしれない。環境が変わるたびにその可能性はいつだって浮上する。でも今そんなことを心配しても仕方がない。どうやったって時間は過ぎるし、大人になることは止めれられない。だから俺は、静かで穏やかな日々を夢見て、今精一杯努力する。

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