4-3
周囲の様子がすっかり変わってしまったのは、夏になる頃だった。衣替えが済んで、中学最後の夏服を着始めた初夏の日。何かきっかけがあったわけではない。どこからかぽっと湧いて出たシミが、見る見るうちに広まり、最後の一点まできっちりと染め上げた、そんな変化だった。
悠真自身がそれに気がついたのは、本当にその最後の最後、周囲を取り巻く悪意が足元の小さな円まですっかり色づいた後のことだった。
「俺、今日は部活の友達と飯食うわ」
毎日昼食を共にしていた仲間のうちのひとりである清原が弁当箱を手に声をかけてきた。
「え~」
一足先に食べ始めていた菊池が声をあげる。箸に挟まったウインナーがぽろりと弁当箱の中に落ちた。
「悪い。たぶんこれからしばらくあいつらと食うと思うから。じゃな!」
片手を立てながら教室を出た清原はまるで逃げるように足早だった。
「バレー部、集まりあんのかな?」
「……んー、まぁそうじゃね?」
斎藤がなんだか気まずそうに視線を逸らす。
「ふぅん」
三日後、次にグループを去ったのはその斎藤だった。前々から付き合っていた彼女と今更になって一緒に食べることにしたと言い出したのだ。
「なんで急に? 放課後は一緒だから昼ぐらいは解放されたいとか言ってなかった?」
「いや、まぁ最近彼女が機嫌悪くってさ。勉強うまくいってないみたいで。心のケアってやつ?」
「惚気かよ!」
菊池が斎藤の肩を少し強めに殴る。
「いって! やめろって。んじゃな」
殴られた肩をさすりながら、斎藤も足早に教室を逃げ出した。
「二人になっちゃったな」
「え? あぁ、うん」
さっきまでの元気はどこへ行ったのか、もそもそと唐揚げを頬張りながら気のない言葉を返す。
それからの昼休みはまるでお通夜のようだった。午前中の授業でどれだけクラスを笑わせていても、昼休みになると途端に元気を失う菊池との昼食は、悠真にとっても徐々に居心地の悪い時間になっていった。
チャイムが鳴ると、菊池がのそのそとやってきて、前の席に座る。
「なぁ、なんかあった?」
冷凍の春巻きの角をかじると、まだ少し冷たい。
「……なんかって?」
「最近、昼んとき、暗くない?」
「そんなことねぇよ」
菊池が卵焼きを箸先でいじる。弁当箱の中は、菊池の好きなもので溢れていた。
「いや、あるだろ……最近変だって」
「別に変じゃねぇって」
「なんか悩みあるなら言ってみろよ」
「もう放っとけよ。まじでウザい!」
箸の動きが止まる。
「なんだよ、それ。心配して言ってるんだろ!」
声が普段より大きかったせいで、クラスがしんと静まりかえる。クラス中の視線が自分たちに集まっていることはそちらを見なくてもわかる。
「じゃあ言うけど……。お前、ホモなんだろ?」
「え?」
その言葉が耳に届いた瞬間、時が止まったように辺りが無音になった。彼の言葉は全くもって予想外のものだった。教室中の視線が、針の筵を今体感しているというように身体中に突き刺さる。息も止まって、次の言葉が出て来ない。菊池はなんでそんなことを知っているのだろう。
「お前、男が好きなんだろ? みんな噂してるよ。悠真って『っぽいよね』って。男を見る目が普通じゃないって。言っとくけど、キヨや渉が一緒に食わなくなったの、そのせいだから。お前が、俺らのこと騙して、ホモになって。みんな怖いからって離れて行って。それでも俺は、お前が独りになったら可哀想だし、それでも親友だって思ってここにいるのに……。なんなんだよ! 俺の気持ちわかんねぇのかよ!」
菊池は言葉を捲したてる間、ずっと俯いていたから、目は合わなかった。その横顔はひどく傷ついた顔をしていて、悠真は彼の目が涙で満たされていくのを他人事みたいに眺めていた。
まるで、悠真が彼らを裏切ったかのような口ぶりだった。隠していたことをじゃない。ゲイだったこと自体を裏切りだと。
悠真は身に覚えのない罪で訴えられているような気がした。自分がひた隠しにしていたことを実はみんな知っていて、親友だと思っていた彼は、まるで犯罪者を匿っていた被害者ように訴えた。なんだか脳みそが痺れたみたいに思考停止する。
悪いことをしていないとしても他人に否定されるだろうということは、頭では理解していた。だからこそ、誰かに話そうとは思っていなかったし、松上を盾にして誤魔化すように笑っていた。
でもそれでは認識が甘かった。ネットで読んだ他の人の話には、周りの人の理解され、受け入れられた経験談もいくらかあった。家族には理解されなくても、親友である彼らには、きっといつかは打ち明けられる。そうどこかで思っていた。
俯いたままの菊池の目からぽたっと涙が落ちる。
思い返せば、確かに最近変だった。清原や斎藤のことだけじゃない。元から多くないとはいえクラスメイトと話す機会も減った気がしたし、挨拶をしても返してもらえないことも時々はあった。たまにどこかで誰かが見ているような気配がすることもあったし、ひそひそ話を見かける回数も増えた。
それは具体的な何かじゃなくて、例えばいつも通りの時間に家を出たのに、駅前の人通りがいつもより少ない気がして、もしかして一時間遅刻したんじゃないかと不安になって時計を確認するような、そういう類の違和感が、ここのところ続いていたような気がする。
それが、クラスメイトたちに対する、友人たちに対する自分の裏切り行為が呼んだ違和感だったなんて。
目の前が真っ暗になって、何も言えず、菊池が弁当箱を手に席を立つのを眺めていた。
午後の授業をどうやって受けたのか、いつも菊池と一緒に歩いた道をどうやって一人で帰ったのか、家でどんな風に過ごしたのか、全く覚えていない。
ただただ、心の中が空白になっては悲しみが押し寄せて、また空っぽになってを繰り返した。体の水分が全部涙になったんじゃないかと思うほど、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。明日からどうやって生きていけばいいのか全くわからない。
菊池の言葉の後に、笑い飛ばしてやれば冗談にできたかもしれない。松上に告白でもして付き合っていれば、そんな噂なんて立てられなかったかもしれない。自分がゲイだなんて自覚しなければ、そもそもゲイになんてならなければ、こんなことにならなかったのに。
次から次へと溢れる後悔が脳内を占拠して、夜が更け、朝を迎える恐怖で頭が狂いそうだった。
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