3-6

夫と再会したのは、研究所の外周を回り、建物の見学をした後、向かいの広場で行われた技術説明会だった。

開発部のチームリーダーである雪彦は、部分的に技術の説明をすることとなっている。この説明こそが松上家にとってのメインイベントだ。

研究所設立に伴い、嫌々ながら所長に就任した五十嵐のぶっきらぼうな空中浮揚に関する説明や、開発部部長、各部門のリーダーたちの説明の後、家族たちの前に雪彦が立った。緊張しているのか、眉が寄り、その表情は硬い。

「あ、ほら、パパお話するよ!」

侑を抱いたまま屈んで凛に声をかける。凛が「見えない~!」と叫ぶと、目の前はモーゼの十戒のように左右に分かれた。人々に背中を押されるように凛がその道を進んで行く。理恵子も、すみません、ありがとうございます、と声をかけながら、後に続いた。

「パパ~!」

一番前に踊り出ると、凛は嬉しそうに手を振った。雪彦の表情もやや和んで、小さく手を振り返す。

「では、私からは超音波集束装置のメンテナンスについてお話させていただきます」

ホワイトボードほどのモニターに、天空島の断面図と海から突き出した巨大な装置の図が映し出される。理恵子は、ドローンから見た、天空島を囲むように建つ三つの黒い塔をその図に当てはめてみた。

「先ほども鈴木からご説明いたしましたが、こちらが超音波集束装置となります。こちらのラインが海面……以下は、海の中です。海中については、次の……先ほど入江からご説明したこちらのAIを使用してメンテナンスしようと考えています。ただ、まだこのAIについても改良の余地や不備なども考えられますので、しばらくの間は月一度のダイバーによるメンテナンスも予定しています。……なお、海上については……特に大事な部分ですので、AI搭載のこちらの機械で、人間によるメンテナンスを考えております」

モニターに、SFに出てきそうな大きな籠を搭載した一人乗りのドローンが映し出される。

「ここの部分に作業員が乗り、操縦しながらメンテナンスをします。と言っても、AI搭載ですので、ほとんどは機械が行います。作業員はいわば保険。あくまでAIがミスなくメンテナンスを行えるかを監督する役割となります」

先ほどの政府関係者への説明で何か詰められたのだろうか。雪彦がどこか言い訳がましい語り口調で話すものだから、場の雰囲気がそわそわしてくる。

「……大丈夫なんですよね? 夫が、これから天空島に住むんですが……」

一番前に座っていた女性が堪らず声をかける。腕には侑より少し小さい赤ん坊を抱いている。

「あ、失礼しました。安全性についてはご心配いりません。いや、先ほどのグループで、人件費について詰められまして……」

思わず横に立っていた部長が割って入る。雪彦や理恵子の親ほどの年齢で、都庁からの天下りだという。その話を聞いたときは、そんなので大丈夫なのかと思ったが、実に人の良さそうな男である。薄くなった頭を掻きながらへらへらと笑っている。小難しい技術者をまとめるなら、意外とこういう人の方がいいのかもしれない。他部署との交渉なんかもあるだろうが、なんやかんや上手いこと渡り歩きそうな感じがある。

「あぁ、そういうことなんですね。それなら良かった」

声を上げた女性がふぅと胸を撫で下ろす。ただ、部長の簡単な一言で全員が完璧に安心するわけではない。隣に座っていた男性も声を上げた。

「我々は大事な家族をこの島に預けるわけですから、心配なんですよ。私らには、こんなわけのわからん技術の説明をされたって半分もわからないですから。うちは娘が事務員としてお世話になるんですがね。ほら、そこのお嬢ちゃんはおたくのお子さんなんでしょう? もしこの島に万が一のことがあって、おたくに何かあったら、この子たちや嫁さんは路頭に迷ってしまうんだから。そりゃこの仕事してなくなって、いつ死ぬかなんてわからないけどね。私らは家族が心配なんだ。こんな前代未聞の宙に浮いた島に預けるんだからね。そこんとこ、忘れないでくれよ」

それは文句ではなく激励だった。周囲も皆同じ思いなのである。愛する家族が、この天空島で生きていくことが不安で仕方ない。今日この島を見て、見たことも聞いたこともないほど進んだ技術をいくつも目の当たりにし、高揚や誇らしさと同時に、不安も感じていた。

「もちろんです。正直言えば、私も技術者じゃないんで、部下たちのように技術の道に明るいわけじゃないもんだから、時々不安になるんです。でも、きっと飛行機やヘリコプターやドローンだって最初はそうだったんだろうと思うんです。今となってはどちらも皆さん当たり前に乗っていますよね? わからないから怖い。単にそれだけなんだろうと思うんです。だから私は、今は部下を信じて安心しています。彼らは本当に優秀ですから」

理恵子は部長の言葉に不安な気持ちを和らげるとともに、その言葉を隣で聞く雪彦を見ていた。苦虫を噛み潰したような顔をしている。

しかし、おそらくこの場で雪彦が何を言っても、誰も安心できなかっただろう。技術者が何を言ったってそれは綺麗事にしか聞こえない。危険はあります、だなんてもちろん言えないのだから、肯定するしかない。その点で、この天下りでやってきた素人部長の言葉は家族たちに寄り添っていた。何より自身がこの島で生きていくのである。技術を完全には理解できないまま、部下に対する信頼だけで自分の命を預けている。これ以上のことがあるだろうか。

説明会の終わり、声を上げた男性が部長と固い握手を交わしていた。

――娘を頼みます

そう伝えていたのだろうか。

「わたしたち、これで流れ解散だから、先に帰ってるね」

雪彦に声をかける。凛はまたカバンから飴を取り出して雪彦の手に握らせている。いろんな人に配ったせいで、今朝買ったばかりなのに、中身はもうほとんど入っていない。

「お疲れ様。俺は今日は帰れないと思うから」

「うん、わかった」


手を振る凛と侑を連れて、周りの家族といっしょにドローンに乗った。

凛はいつの間にか二つ三つ年上のお姉さんと手をつないでいる。侑は疲れたのか、しばらくぐずっていたが、いつの間にか寝てしまった。

窓から夕日に照らされた天空島が見えた。エアポートで職員が大きな旗を振って見送ってくれている。

次、天空島に来るのはいつになるだろうか。

開港セレモニーはゴールだと思っていた。雪彦にとっての、わたしたち夫婦にとっての、家族にとっての、苦難の道のゴールだと思っていた。

でも、実際は単なるウォーミングアップに過ぎず、これからこそが本当のスタートなのだ。

超音波集束装置なんて島の命とも言えるものに携わっている雪彦には、これから数え切れないほどの困難が待ち受けているだろう。これまで以上に家に帰って来れなくなるかもしれない。そうなればこの家族が家族として生きていくのが難しくなる局面があるかもしれない。それでも今日を忘れないようにしよう。例えば、離婚だとか、別居だとか、そんなことは言わず、彼が帰ってくる家をしっかりと守っていこう。理恵子はそう胸に誓っていた。

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