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雪彦が天空島プロジェクトに配属された頃、凛は三歳、侑は一歳だった。

震災の年の終わりに、仮設住宅から向かった小さな産婦人科で、3000グラムを超えて産まれた大きな男の子に、周りの人を助け、守れる男になるように、と「侑」と名付けた。震災前に生まれた凛は、純粋に我が子にどう育って欲しいかを考えて名付けたが、震災を乗り越えて生まれた息子の名付けにはどうしても力が入った。今生まれたことに意味があるように感じていた。翌年、雪彦の配属が決まると、理恵子はますますその気持ちを強くした。今後もあの地震は、私たち家族に大きな影響を与えるに違いない。

思い返してみると、その配属で松上家のあり方は大きく変わったように思う。それまで平日は長くても一、二時間程度の残業、休日はいつも家にいた雪彦は、全く家に居られなくなった。平日は、日付が変わらないと帰って来ず、土日も研究所にいるか、家に居ても書斎に篭りきりになった。毎日必ず帰ってくるから浮気なんかの類を疑うことはなかったが、理恵子の目からはまるで取り憑かれたように働く彼の姿が、少し異常に思えた。

子供たちが寝ている間に帰ってきて、起きる頃にはまだ寝ている父親を、二人はあまり気にしなくなった。昔なら「パパまだかえってこないの?」と聞いてきた凛ですら気に留めなくなり、侑に至っては会っても誰かわかっていない日さえあった。

そうなってくると、金銭面以外はほとんど母子家庭と同じようになってくる。二人にとっては父親はいない、家族といえば姉弟と目の前にいる母親だけということになる。凛が幼稚園に入学し少しの間手が離れるようになると、侑は絶望のイヤイヤ期を迎えた。理恵子は、いつ終わるかもわからないこの窮屈な世界に限界を感じ思い悩んだ。凛がいない間、何をやっても泣き叫ぶだけの息子とふたりっきりになる。

もう嫌だと追い詰められていたところに、雪彦の両親との同居の話が持ち上がった。義理の両親は、千葉県の海辺の街に住んでいた。余震が続く日々の中、年老いた二人をそんな危険な場所に置いておいていいのか、と親族の中で問題になったのだ。確かに築年数を重ねた老夫婦の家は震災で全壊し、その後は仮設住宅暮らしとなった。住宅といえど所詮仮設。大きな余震の時はひどく揺れ、二人は日々神経をすり減らし、寝込んでいる日も多いと言う。

プロジェクトのスタートから一年半ほど経ったタイミングで、松上家は近くに一軒家を建て、両親と同居することになった。理恵子は同居に対する不安はあったものの、子育てが独りでなくなること、町内の付き合いが生まれたたことで、だいぶ肩の荷が下りたように感じた。子供たちは、それなりに両親に懐き、自分が常に相手をしていなくてもよくなった。子育ての愚痴や世間話なんかをするご近所さんもでき、ストレス発散ができるようになったのは大きな収穫だ。夫の関与がほとんどないままでの引っ越しは苦労も多かったが、結果的には引っ越して本当によかった、と理恵子は思っている。

その頃に比べて、今目の前にいる凛と侑のなんと頼もしいことよ。少なくとも、今日会ったばかりの、それも子育てを終えたこの人に褒めてもらえるくらいには、立派に育ってくれた。彼女は自分の子育ての苦労と重ねているのか、子供たちを見ながら何度も理恵子を褒めてくれた。理恵子がその後何度もセレモニーの日のことを思い出すのは、彼女のことがあったからかもしれない。


政府関係者が出発して一時間ほど経ってから、若手の研究員が三人ほどやってきて、家族たちの前に立った。

「お待たせいたしました。前のグループが落ち着きましたので、これからご家族の皆様をご案内させていただきます」

真ん中に立った二十代半ばの青年がマイクに向かって言った。緊張しているのか少し辿々しい部分はあるものの、自分の仕事に誇りを持っていることが伝わって来る立ち姿に好感が持てる。

「あら、あれうちの子よ」

きゃあと、少女のように口元に手を当てて彼女が言う。他の家族に気を遣ったのか、やや声は抑えているものの、その眼差しは授業参観の母親そのものである。

「すごいじゃないですか!」

「いやぁ、なんだか恥ずかしいわぁ」

何回も噛みながら手元のカンペを読む息子を見て、目も当てられないと顔を覆うが、その口元は笑っている。息子の晴れ舞台が嬉しくないわけがない。腕の中で眠るかわいい我が子がいつか迎えるそれと重ねて、理恵子までテンションが上がる。

「あのお兄ちゃん、おばちゃんの子どもなの?」

凛が息子さんの方を指差して言う。遠慮のない大声に、周囲は笑いで包まれた。

「あ、母ちゃん! ……あ、いや、あの、失礼しました」

注目の真ん中にいる我が母の姿に、息子の方も動揺する。顔を真っ赤にしてしどろもどろになった。場はさらに沸いた。美しい青空の下、芝生に座った家族たちは穏やかな時間を過ごした。

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