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その日、理恵子は「天空島プロジェクト」に従事する雪彦の晴れ姿を見るべく、小学校に上がったばかりの凛の手を引き、幼稚園児の侑を抱いてセレモニーを観に行った。
天空島の玄関口である茅ヶ崎の街からドローンに乗り、初めて足を踏み入れる天空島は、彼女にとって、夫の仕事の成果であると同時に、たった一人で家庭を守り、子育てをしてきたこの三年間の努力の賜物だったのだ。
理恵子はその日のことを事あるごとに思い出し、よく子供たちに聞かせた。
「覚えてる? ママと一緒に開港セレモニー行ったよね」
開港したからといって、雪彦の帰りが早くなったわけではなかったが、普段褒められることのない主婦の理恵子にとって、それは最高のねぎらいの瞬間であったのかもしれない。どれだけ子供たちに「そんな小さいときのこと覚えてるわけないじゃん」と冷たくあしらわれても、つい思い出すとその話をしたくなってしまう。
セレモニーは、とても華やかな式となった。それまでの無関心とは打って変わって、日本中、世界中からメディアが殺到し、五十嵐教授が登壇するメインセレモニーは入場規制敷かれるほどだ。
今では日に八便しかない定期便も、開港に伴って新設された新茅ヶ崎駅と天空島を休みなく往復し、それとは別に政府専用機やメディア各社のヘリコプターが島に乗り付けた。後にも先にもあの時以上にエアポートが混み合ったことはない。
当時からエアポートで働き続けている職員たちはこぞって、天皇陛下や総理大臣が続々とこのエアポートに降り立った瞬間を興奮気味に子供たちに語る。「俺は、陛下を控え室までご案内したんだぞ」とか、「総理大臣の奥さんのスカイブルーのスーツがきれいでねぇ」などと、当時を思い出しては誇らしげに話す。
エアポートを出てすぐの、今はレンタサイクルの駐輪場になっている場所に、大きな花のアーケードが建ち、やってくる人々を歓迎した。来訪者たちはみな、その美しさとアーケードを潜ると現れる先進的な街並みにひどく感動した。まだ実際に人が住んだり、企業が入るのはもうしばらく掛かる未完成の街だと説明を受けていた人々は、その片鱗を感じさせる近代的な建物群に未来を見たと言い、「世界で一番先進的で美しい島」と形容した。
三人は、プロジェクトメンバーの家族として招待を受け、セレモニーに参加した。式は、登壇中の首相の言葉を借りて、その後「天国公園」と呼ばれる、エアポートからのゆるやかな坂道を登ってから住宅街に至るまで続く自然公園の広場で行われた。
色とりどりの花々に囲まれ、海をバックに立つ小さなステージの脇に坂間が立つ。
「『天空島開港セレモニー』にお越しいただき、誠にありがとうございます。司会はわたくし、東京都都市整備局局長の坂間が担当させていただきます。皆様、短い時間とはなりますが、ぜひこの我々の汗と涙の結晶である天空島をご堪能ください」
実際のところ実務には関与していないだろう坂間が、ガッハッハと胸を張って笑った。鼻がピノキオも驚くほど伸びている。
誰のつられ笑いも起こせないままに、坂間がそそくさと五十嵐一を呼び込んだ。記者会見の時と同様に、無理やり着させられたようなスーツに身を包み、薄水色のネクタイを締めた五十嵐が壇上に上がる。招待客からはもちろん、メディアの記者たちからも拍手が巻き起こった。
「どうも、五十嵐です。天空島、実現しました。みなさん、会見のあとは色々と私を馬鹿にするような発言をしておったようですが、どうですか、これだけ多くの人が乗ったってもこの島は浮いています。風に揺れる事もなけりゃ、重さで落ちる事もない。全部管理されていてし、問題なんてありゃしない」
それこそ、この非現実的なプロジェクトに賛同してくれた人や、協力してくれた関係者、税金を使わせてくれた国民への感謝、スタッフへの労いの言葉を掛けることを期待されているだろうに、五十嵐が開口一番に口にしたのは、自分を否定した人々への妬み節だった。ほれみろ、と言わんばかりに乾燥して皮の張った唇を突き出している。
「これからはあそこに建設中の天空島研究所でこの島の技術を高めて、なんなら二号、三号と、こんな島を増やしていけたらと思っとります」
五十嵐が左手を高く上げ指差した方には、島の中央にそびえ立つ大きな建物があった。全面ガラス張りの外壁は、空と海を映してまるで透き通っているようだ。来訪者はみな息を飲んだ。そして、今一度この島の未来性にうっとりと浸った。
「凛、たーくん。パパはあそこで働くんだって。きれいだねぇ」
理恵子は、研究所を指差して見せた。
「すごいねぇ、きれいだねぇ」
最後尾、ゆるやかな芝生の丘に座った家族たちの合間に立って凛が叫んだ。侑は嬉しそうに「キラキラね!」と続ける。周りの大人たちは、その光景を見て微笑んだ。
天皇陛下のお言葉、内閣総理大臣の挨拶を終えると、坂間が仕切って、政府関係者、メディア、研究所の招待客に分かれて島を巡った。
家族たちが呼ばれるのは最後ということで、理恵子は他の家族たちとともに、その時を待った。
「お子さん? かわいいわね」
横に掛けていた女性が目を細めて言った。年齢は、母親よりも少し若いだろうか。目尻のシワが優しい印象を与える。
「旦那さんも毎日遅くに帰ってきてたんじゃない?」
凛が理恵子のカバンから取り出したいちごのキャンディーを彼女に手渡すのに、ありがとうねと頭を撫でてから言った。
「うちの子もね、研究所で働いてるんだけど、このプロジェクトに入ってからは毎日遅くまで仕事してて、過労死でもしたらどうしようって心配だったのよ」
「そうですよね。うちも同じです。家が遠いのもあって、帰ってくるのはいつも夜中で……」
「あなたは、こんな小さな子二人を一人で育てたのね。本当に大変だったでしょう」
理恵子と彼女の間で、凛がキャンディーの包みを開いて、侑の口に放り込んだ。「たーくん、かんじゃだめだよ」とか「ごみはおねえちゃんが持っててあげるからね」などと声をかけている。小学校に上がってから、すっかりお姉ちゃんらしい行動を取るようになった。最近では、外でだっこしようとすると恥ずかしがってさせてくれない。凛はもう大人の階段を上り始めているのだ。
「そうですね。まぁでも、あの人のやりたいことを否定すると後で面倒ですから」
冗談半分、本気半分で笑って見せる。
彼女は、えらいわぁと言って、そっと背中をさすってくれた。それを真似て凛も背中をさすってくれる。二人の手はほんのりとあたたかかった。
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