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三十分ほど自転車を走らせた後、最寄りの駅からは電車に乗って新茅ヶ崎駅に向かう。地元から新茅ヶ崎駅は約一時間。下りの電車は時間のせいもあって人の入りはまばらだ。

新茅ヶ崎駅からは、一日に八本しかない定期便に乗って、学校のある天空島に向かう。合計二時間、なかなかの長旅だ。

都心へ向かう人の流れに逆らって天空島ゆきの定期便のりばへ向かうと、八時発のドローンがエアポートにスタンバイしている。不似合いに広い待合室を抜けて、カジェットを乗り口の精算機に翳す。最近新しいものが導入されて、かなり規模が縮小されたので、広い改札口の中にぽつんとポールが立っている。それが余計に虚しさを誘った。

乗客はいつも、凛を入れても十五人ほどしかいない。街で見かければ、声を掛けずとも誰だかわかる。名前こそ知らないが、みんな顔見知りだ。

「松上、おはよう」

乗り込んですぐに声をかけられて顔を向けると、同じクラスの瀬乃啓介と本田明希が横並びに席に着き、おにぎりや菓子パンを齧っていた。機体中服の壁沿いの席は、彼らの定位置だ。

「おはよう」

毎朝の通り瀬乃の隣に座ると、リュックを下ろして座席の下に押し込んだ。

ドローンでは手荷物はすべてここに置く決まりになっている。機体が揺れたときに、荷物が飛んで人に当たると困るからだろうが、凛はこの二年間一度もそんな経験をしたことがない。ゆったりのろのろ運転のドローンは、強風が吹けばすぐに遅延や運行停止を起こす脆弱な交通手段なのだ。その分危険もない。飛んでいないのだから当然だ。

「ご利用ありがとうございます。《天空島ゆき》午前八時の便離陸いたします。速やかに座席に着き、シートベルトをお締め下さい――」

頭上のベルト着用サインが赤く点灯しアナウンスが流れる。慌ててシートベルトを装着すると、ビーッというサイレンの後、機体は離陸態勢に入った。

頭上でブゥンと鈍い音が鳴り響き、しばらくして機体が垂直に浮上する。飛行機よりマシとはいえ、体にかかる圧力の不快感は好き嫌いに分かれるだろう。凛はいつも、むずむずと痛む腹を、窓の外の景色を見ながらやり過ごしていた。

機体が上空に落ち着くと、瀬乃と本田はペラペラと世間話を始める。

二人は新茅ヶ崎の駅の近くに住んでいて、小学校からの親友同士だ。小さい頃から天空島に憧れていて、二人で必死に勉強して天空島高校に入った、と朝を共にするようになった始めの頃に教えてくれた。

「なぁ、昨日寮で修羅場あったの、知ってる?」

聞いた側から話したくてたまらなそうな本田に、「ううん、知らない」と答えてやる。機内を見渡すと、同じ制服を着ているのは、離れた席で船を漕いでいる男子と、自分たちの話に夢中になっている女子の二人組だけだ。特にこちらを気にしていないようなので、改めて本田の方を向き直す。

「なんかあったの?」

「サッカー部の次期部長とエースが、マネージャーを奪い合って殴り合いの喧嘩したんだって。やばくね?」

サッカー部とは無縁の三人にとって、これは完全に他人の修羅場。安心して話せる格好のネタだ。

「二年生ってこと?」

現部長はまだクラスメイトのはずだから、次期部長は二年生ということになる。しかし、二年生は美術部の後輩くらいしかわからないので、顔が浮かばない。

「そうそう。知らない? 三田燈って、栄とか偉春とかが可愛がってるやつ。あれが部長で、エースはユースかなんか入ってたっていう、鳴り物入りで入学したさ、派手なやつ。水野圭っての」

水野の方は、入学当初、後輩たちが部室で騒いでいたので、ぼんやりと盗み見た覚えがある。見るからに自信家で、堂々とした立ち振る舞いは、カリスマ性があった。ただ、同等にやり合えない相手からは嫌われそうなナマイキ感もある。

「なんか女の方が、三田と付き合ってるのに水野と浮気したらしいよぉ」

「同じ部内で良くやるよなぁ。クラスだって、寮だって同じなのに」

「バレないわけないよね」

一学年一クラス、たった二十人しかいないのだから、隠し事なんてしても無駄だ。

「まぁでもさ、そのマネージャー、七池だっけ? めちゃくちゃ可愛いからなぁ。しょうがねぇか」

可愛けりゃ浮気してもいいのか? なんて野暮なことは聞かない。彼氏の方にしたら、例えそうでも許せないだろうが、わかりやすくニヤニヤと鼻の下を伸ばす本田に、瀬野も「七池と付き合えるなら、俺浮気されても我慢するわ」と、調子を合せている。男とはそういうものなのかもしれない。

凛が通う天空島高校は、約六割の生徒が校内に併設された寮で暮らしている。その他約三割は茅ヶ崎周辺から、残りの一割は島内の自宅から通い、凛のように二時間もかけて通っているのはごく稀で、当然凛も入学時は寮に入っていた。

退寮したのは昨年の初夏、中間試験の後だ。一年生の頃から続く成績不振のせいで、実家へ強制送還となった。何事も成績で決まる松上家では珍しい話ではない。弟の侑も最近部活に感けすぎて、すでにイエローカードが出ている。とはいえ、一年の頃の凛よりは断然いい成績を残しているのだから気の毒だ。

雪彦はいつも、学年で上位の成績を取るようになれば、寮に戻ることもやぶさかでは無いと言う。しかし、凛が寮に戻ったことは、今に至るまで一度もない。仮に一度いい成績を残したとしても、次にそれ以上の成績を取らなければ何かと理由をつけて家に戻されることを、凛はこれまでの経験から知っていたからだ。そんな未来が予測できてしまえば、やる気なんて出たもんじゃない。

二人の話題がネット上の噂話に移ると、凛はいつものように眼下に広がる海を眺めた。てっぺんを目指して邁進する太陽の光が水面をキラキラと輝かせ、空には雲が明確な形を成して浮かんでいる。


「まもなく天空島エアポートに到着です。着陸までシートベルトをお締めのまま、お掛けになってお待ちください」

聞き慣れた女性のアナウンスが流れ、窓の外には天空島が見えてきた。草原を丸く削っただけのエアポートでは、職員が大きな旗を振って合図を送っている。この原始的なやりとりも毎日見る見慣れた光景だ。

定期便の機体が島の先端にあるエアポートに着陸すると、ポンっと音が鳴りベルト着用のランプが消えた。

「ご利用ありがとうございました。本日も良い一日をお過ごしください。いってらっしゃい!」

録音された音声が虚しく響き渡ると、乗客は荷物を手にぞろぞろと機体を後にする。毎日顔を合わせる研究所員らしいサラリーマンや、中心街の店の店員、他学年の生徒が順に降りていく。凛も後に続いた。

話に夢中になって一歩出遅れた二人が、背後から「コンビニ寄っていくけど、松上も行く?」と聞いてくれた。毎朝同じように確認してくれて頭が下がる。

「ううん、大丈夫。お弁当あるから。先行ってるね」

軽く手を振って二人を見送ると、ゲートを抜けてレンタサイクルの精算機にガジェットを翳した。学生証が反応してピピッと音が鳴る。

天空島は南北一・五キロ、東西二キロの小さな島のため、島民はみなこのレンタサイクルで島内を移動する。自動車は研究所用の車両や商店のトラック以外に見たことがない。人間が移動するだけなら自転車で事が足りるし、この狭い島では駐車場のスペースを確保することが困難なうえ、そもそも歩いたって行けるような範囲でわざわざ車の乗り降りや駐車をしたりすることの方がよほど煩わしい。島の人はみな、この最高にエコなこの乗り物を愛用している。


凛はいつも使っている赤い自転車にまたがると、リュックをカゴに入れてペダルを漕ぎ始めた。海沿いの道をゆるゆると進む。凛はここから見る景色が好きだった。観光用に敷かれた遊歩道は、道の両脇にきれいな花が植えられていて、その向こうは爽やかな草原が広がり、さらに先には広大な海、そして空が広がっている。「世界で一番先進的で美しい島」と呼ばれる天空島には、人工的ながら多くの自然が施されていた。

住宅街に差し掛かると同じ制服を着た生徒達が現れる。生徒数もわずかな島内の学校に九年以上通う、いわば幼馴染の関係である彼らは、学校の中でも特別な関係を持ち、島外から来た他の生徒達には立ち入れない空気があった。この島に限らず、開拓団の子供たちというのはこういう結束力があるのかもしれない。

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