芽生え編

眩しい季節

「晴ー、湊ー、おはよー! 朝ごはんだぞー!」

 七月の初旬、金曜の朝七時。

 俺はいつものようにリビングのカーテンを開けながら、子供たちにボリューム大の声をかけた。


 子供たちが保育園へ通園を始めて三か月が経った。梅雨明け前の空はどんよりとした灰色だが、夏がもうすぐそこに来ている気配が感じられる。

「んんー……」

 二人とも、窓からの光にようやくモゾモゾと目をこすり、もさもさの髪で小さな身体を起こした。

「今日は金曜だぞ、明日とあさってはおやすみだな! 今週も一週間ふたりとも頑張ったから、今日の夕ご飯は二人の大好きな煮込みハンバーグにしよっか」

「わ、ハンバーグ!」

「おいもサラダ、いっぱい!」

 ハンバーグというワードに、子供たちの目は一気に覚めたようだ。おいもサラダとは、付け合わせにするポテトサラダだ。たっぷり体を動かしてお腹が空くのだろう、通園するようになってから子供たちの食欲はますます旺盛だ。

「よし、おいもサラダもいっぱい作るからなー。じゃ、朝ごはんにしよう。ご飯とお味噌汁よそうから、顔洗ってお着替えしといで」

 二人は飛び起きると一目散に洗面所へダッシュする。最近は、こういう状況になるとどんなことも競争だ。

「みーが、さきだよ!」

「ずるいっ!」

「ほらほらー、毎朝ケンカしない!」

 日々飽きもせず繰り返されるバトルに、俺は苦笑いしながら子供たちに声をかけた。


 俺も、約二年半の育休開けの仕事はなかなかにハードだ。現在は注文住宅チームに席を置き、オーダーメイドの戸建てを考えている顧客の希望を聞き取り設計に反映させる業務を担っている。出社は週に1、2度ほどで、あとは自宅でのリモートワークだ。最近は顧客との打ち合わせもメンバーとのミーティングもWeb上でやりとりが可能なため、在宅でも出社の場合とほぼ変わらない仕事ができる点はとても有り難い。

 神岡工務店の住宅建築への情熱は顧客からも厚い信頼を得ており、設計部門のメンバーひとりひとりが顧客の願いを叶える住まいを創る意欲に満ち溢れている。家のことと、仕事。どちらも精一杯向き合いたい。だからこそ疲労も日々ガンガン蓄積していくのだと実感する毎日だ。


 今日はリモートの日でミーティングなども予定がなく、10時に社内システムへログインするスケジュールだ。9時までに保育園へ登園させることが決まっているため、子供たちと三人分の朝食をテーブルに支度する。今朝はハムエッグと白飯、ナスの味噌汁というシンプルな和食メニューである。

 子どもは何につけてもすぐ飽きる。そのため、パンとスクランブルエッグなどの洋食メニューの日と、今日のような和食メニューの日をランダムに混ぜることにした。朝の食事に少し新鮮味があるだけで、子どもたちの朝のモチベーションも結構違うようだ。

「おなす、おいしー♪ おかわり!」

「はるも! おかわり!」

「まだいっぱいあるから競争するなよ」

 二人とも野菜を嫌がらず、むしろ喜んで食べる。離乳食段階から食べやすい野菜レシピをあれこれ工夫した努力が実ったようだ。


 わちゃわちゃと賑やかな朝食を終え、紙オムツやタオルなどの保育園グッズをトートバッグに詰め込んで3人で車に乗り込む。車で15分程度の場所にある私立保育園である。「パピー保育園」の「パピー(puppy)」とは、英語で「子犬」の意味だ。

 この保育園は、英会話やダンス、音楽やアートなど独特のカリキュラムを組んでおり、子どもの個性を自由に伸ばすことを運営方針の第一に掲げている。入園前の面談の印象も、他の園に比較してずば抜けて明るく開放的だった。丁寧に対応してくれた園長は、義父の充と同年代くらいの堂々たる体躯をした男性で、その温かく大らかな人柄に俺も神岡も強く惹きつけられた。


「初めまして、園長の若狭わかさでございます」

 面談当日、応接間に通された俺と神岡に、園長は柔らかな微笑を浮かべて丁寧に頭を下げた。

「初めまして、神岡と申します」

「神岡のパートナーの三崎と申します。どうぞよろしくお願いします」

「お話はお伺いしております。ご両親はお二人ともパパさんなのですね。これは楽しそうだ。

 晴くん、湊くん、こんにちは!」

 園長に声を掛けられ、大きなソファの俺と神岡の間に座った二人はぴょこんと元気よく頭を下げて挨拶を返した。

「こんにちは!!」

「おお、元気だねえ。

 晴くん、湊くん。一番好きなご飯はなに?」

「からあげ!!」

「ハンバーグ!!」

「そうかー。ご飯、毎日美味しいかい?」

「おいしいよ! おかわり、たくさんする!」

「からあげ、すぐなくなっちゃうの」

「ははは!! それは困ったね」

 若狭園長は豊かな声量で笑うと、晴と湊を温かに見つめた。

「お子さんたちの表情も、何とも活発に生き生きとしていますね。子供の表情というのは、ご家庭の雰囲気をそのまま反映するものですから」


 実は、他の保育園では、俺たちが「夫婦」ではなく「夫夫」であることに複雑な表情を見せ、遠回しに拒否の意向を匂わせる園もいくつかあった。保護者の中に偏見を持つ人がいた場合、園内のトラブルになりかねないという危惧の結果なのだろう。

 若狭園長は、そのような気配を一切感じさせず、まるで少年のように屈託ない笑顔で俺たちを迎えてくれた。楽しい保育園生活をお約束しますので、どんなことでもお気軽にご相談ください、と。


 いい保育園に出会えて良かった。

 そんな思いを毎朝噛み締めながら、保育園へ向けてハンドルを握る。

「はるくん、みーくん、おはよー」

「おはよございます!」

「せんせ、おはよ!」

「今日もよろしくお願いします」

 毎朝明るく二人を迎え入れてくれる保育士さんに全力で一礼する。

「とーしゃん、じゃあねー」

 明るく手を振る二人の笑顔に、むしろ俺が励まされる気分になる。

「じゃ、今日も楽しくな!」

 俺も負けちゃいられない。そんな気持ちでニカっと大きく笑って手を振った。









 午前10時10分前。自室の机のパソコンを立ち上げ、会社の設計部門システムへログインする。

 メールを確認してから、目下進行中の案件のファイルを開く。現在受注を受けている山下邸について、先方の望むイメージに応える設計案をきめ細かく練っている段階だ。

 と、手元の仕事用スマホが通話の着信を知らせた。設計部門の同僚、堀井からだ。

『おはよー三崎。キッズは元気に保育園行ったか?』

「おはよう。んー、ガッツリ朝メシ食べて行ったよ。子どもは毎日元気だねえ」

『はは、夏はこれからなのにバテないようにな。山下邸のリビングの案、見てくれたか?』

「うん、今見てた。このレイアウト、すごくいいな。開放感とバリアフリーを兼ね備えた明るい空間を、という先方さんの希望がしっかり両立してる」

『だろー? あ、そう言えば、昨日山下さんの奧さんから電話来て、初回相談の時に担当してくれた設計部のスタッフさんにこれからも是非お願いしたいって言ってたぞ。初回受けたの、三崎だったよな? 対応も丁寧でイケメンさんでーって随分気に入ったらしい』

「あ、そ、そうか? そりゃどうも……」

 うーんそういうのはちょっと面倒なんだが、何はともあれ超ハイクラスの顧客様に気に入られるのはいいことだ。そんなおかしな納得をしつつ、仕事は熱を持って進んでいく。

 家を創るのは、いい仕事だ。

 こんな思いを抱いて日々仕事に向き合えるなんて、よく考えれば最高に幸せなことだ。


 午後3時。あっという間に業務終了時刻だ。

社内システムからログアウトし、スティックコーヒーで一息ついてからキッチンに向かう。夕食のハンバーグとポテトサラダの仕込みを手早く済ませ、ついでに神岡へLINEを送った。


『今夜は子どもたちの好物のハンバーグとポテトサラダにします。みんな頑張ってるし、今夜はちょっと美味しいスパークリングワイン飲みたくない? 時間あったら買ってきてください♡』


 そう、みんな頑張ってる。

 だからこそ、こんな週末のちょっとしたご褒美が、身に沁みて嬉しい。

 子犬が可愛くおねだりしているスタンプを付け加えてから、俺はトートバッグを肩にかけて車のキーを握った。




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