幸せの形

 一月六日、土曜の夜七時過ぎ。

 宮田と須和くんが、先日の須和くん奪還劇の報告がてら我が家に顔を出していた。

 二人はだいぶ遠慮したのだが、子供達にも取り分けができる点で楽チンかつ美味なご馳走であるすき焼きの夕食に彼らを招いた。二人は追加分の牛肉を土産がわりにがっつり買い込んで参上した。

「あ、因みにそれ特上和牛肉なんで、神岡さんは食い過ぎ注意ですよ。体脂肪とか血圧とか、そろそろいろいろ気を遣った方がいいお年頃でしょ?」

「は!?

 宮田くん、全く君は……来るなりそういうことしか言えないのか相変わらず?」

 宮田のニヤニヤ顔に、神岡は上品さの中に歯軋りを混ぜ込んだような不穏な笑みを返す。

「いや、30代も半ばにならんという神岡工務店次期社長にはくれぐれもお身体を大切に生活してほしいなという単純な願いですよ」

「すみません神岡さん、もーほんと照れ隠しでこういうこと言っちゃう人なんで」

 宮田の後ろで苦笑いする須和くんのフォローの言葉に、宮田はぎっとムキになってぐるんと須和くんを振り向いた。

「は!? 照れ隠しとかじゃないし! ってかそもそも照れてないしっ!」

「はいはい、そうですねー」

「うぐぐ〜その返しムカつく……」

 家に入るなり始まったそんな夫婦漫才的展開に、俺と神岡はクスクス笑いを抑えきれないまま彼らをリビングに迎え入れた。









「ゆーと、おにく、もっと!」

「みーにも、おにく!!」

「あーわかったから二人とも落ち着け!!」

 賑やかな来客にテンションを上げていた晴と湊は、テーブルに着席するなり目の前の艶やかな肉にキラキラと目を輝かせた。宮田が手際よく鍋へ肉を投入し、香ばしく煮上がっていくその美味さに二人ともお代わりが止まらない。うーん、このがっつきっぷり、やっぱり男の子だ。

「お子様用の肉はしっかり火を通すからちょっと待て。そして野菜も一緒に食え!」

 愚痴をこぼしつつも、宮田はどこか嬉しげに肉や野菜を手際よく二人の皿へ乗せていく。こういう面倒見の良さを、子供たちは敏感に察知するのだろう。一見どれだけ薄っぺらくても、宮田は子供たちからいつも引っ張りだこだ。


「でも、とりあえず良かった。東條さんとの件が決着ついたみたいで」

 須和くんが注いでくれたビールのグラスを口に運びながら、俺は改めて安堵の息をつく。

「本当にな。須和くんを無事連れ戻したって宮田くんから連絡もらった時は、心底ほっとしたよ。須和くんが東條さんと話し合うって聞いてた一月三日は、僕たちも一日中まんじりともしなかったからな」

「こんなにもご心配をおかけしてしまったんですね……。済みませんでした、本当に」

 深く頭を下げる須和くんに、隣の宮田が箸を動かしながらぼそりと言葉を繋いだ。

「……いや、謝らなきゃならないのは須和くんじゃない。僕だ」

 俺たちから一斉に視線を向けられ、一瞬ばつの悪そうな顔になりつつも、宮田はいつにない真剣な面持ちで俺たちを見回した。

「須和くん、悪い。これ頼む」

 宮田は手にしていた箸を隣の須和くんに任せると、がばりとテーブルに手をついて深く額を伏せた。


「神岡さん、三崎くん。ご心配をかけて、本当に済みませんでした。

 自分自身の身勝手さがこんなにも醜いのかと、今回はさすがに思い知らされて——こんな強烈な自己嫌悪にのたうち回ったらのは、ぶっちゃけこれが初めてでした」


 テーブルについた指を小さく震わせ、宮田はじっと顔を上げない。

 しばしの沈黙の後、神岡が静かに口を開いた。


「——君が、今回のことで大事な何かに気づけたんなら、それでいいんじゃないかな」


 神岡の言葉に、俺も深く頷いて同意した。

「ほら、今回は俺たちは何にもしてないからさ。無事解決できたのは、あんたと須和くんがお互いのために全力を振り絞ったからだ。そうだろ?

 二人で大事なことに気づけて、かけがえのない何かを手にできたならば、俺たちに頭を下げたりなんて全然必要ない。むしろ『災い転じて福』なんじゃないか?」

 だんだんと満腹に近づき、鍋の隅で煮たうどんを小皿にもらって満足気に食べる晴と湊を見つめながら、須和くんが小さく呟く。

「俺も、そう思います。

 今回のことがなければ、あなたが自分の中に絡まったあれこれを改めようなんて、もしかしたら一生思わなかったかもしれないじゃないですか。

 下手したら、ここからもずっと自分をクズ呼ばわりして、薄い言動で自分を偽り続けたんじゃないですか?

 良かったです、本当に。そのままじゃダメなんだと、あなたが気づいてくれて。

 あなたがやっと本当のあなた自身を見せてくれたことが、俺は何よりも嬉しいです」

 そう言いながら、須和くんの瞳がじわりと滲んだ。


「……あーなんだよもー、俺が泣くとこじゃないのに……」

 苦笑いしながら小さく鼻を啜る須和くんをじっと見つめ、宮田はとうとう堪えきれないように声を零した。

「……須和くん……」

「ったくよー、なんであんたみたいのがこーんないい子をゲットしちゃうかねー?」

 俺も思わずぐっと込み上げそうになるものを誤魔化しながら、手元のビールをぐいと勢いよく呷った。

「まあでもこうなっちゃったんだからさ、あんたは何が何でも須和くんを大事にしなきゃってことだな」

「うん、柊くんの言う通りだ。

 だが、今日の君たちの様子を見てると、僕らが余計なことを言わなくとも、二人の間にはもうちゃんと信頼関係ができているみたいだな。君たち二人なら、なんだかんだでしっかりこの先を歩いていける。そんな気がするよ」

 神岡の言葉に、須和くんは悪戯っぽく宮田を横目で見ながら返す。

「神岡さん、そんな素敵な言葉で甘やかさないでください。割と調子に乗っちゃうタイプですから」

「え、それ僕に言ってる!?」

「あんた以外にいないでしょ」

 思わず俺がそう切り返すと、どっと笑いが起こった。


「お、そろそろ晴も湊もごちそうさまかな?」

 満腹になり、デザートのみかんを食べ終えた晴と湊の様子に、神岡が二人に声をかけた。

「じゃ、ちゃんとご挨拶。ごちそうさま!」

「ごちそうさま!!」

 神岡を真似て、子供たちは元気にぺこりと空っぽの皿に向かって頭を下げる。

「よくできました。じゃ、向こうでお着替えと歯磨きしたら、絵本読もうか」

 笑顔で席を立ちながら二人を何気なく就寝へと促す神岡に、二人は一転してブーイングモードに切り替わった。

「えー、やだっ!!」

「まだあそぶー!!」

 宮田と須和くんが来ているワクワク感で、二人ともそう簡単におやすみモードに入ってたまるか!とでも言いたげに神岡に反発する。二人の不満げな顔にクスクス笑いながら、須和くんがガタリと立ち上がった。

「よし、じゃ今日は、しょーごおにいさんと一緒に絵本読もうか! 神岡さん、それでもいいでしょうか?」

「えっうん、それはもちろんだが……そんな仕事頼んじゃっていいの?」

「子供たちと本読むの、俺もすごい楽しいんで。やらせてもらえるなら嬉しいです」

「しょーごとよむ!? ならいくっ! はるはね、くるまのやつがいい!!」

 須和くんと一緒に本を読むのが大好きな晴が、パッと目を輝かせた。

「みーはね、かいじゅうの!」

「おー、湊は怪獣のやつか! なら、今夜はゆーとおにーさんも一緒に読むぞー!」

「うんっ!! やった!!」

 晴も湊も、さっきとは打って変わって先を争うように椅子を降り始める。

「はは、全くゲンキンだなー。

 となれば、すき焼きと酒は一仕事終えてから二次会で楽しむとするか」

「ですね! 今回の宮田の超ファインプレーの一部始終を聞かないことには気が済まないですし。まだまだお開きにはできません!」

「しょーご、ゆーと、はやく!」

「こらこら、着替えと歯磨きが先だぞー!」

 そんなことを言い合いながら、俺たちは賑やかに席を立ち上がった。


 幸せになってくれ。思い切り。

 穏やかに笑い合う宮田と須和くんの背中に、ふと微かな切なさの混じる複雑な幸福感を噛み締めながら、俺は小さくそう呟いた。









 春が来た。 

 4月1日。俺は、子供たちの着替えや紙おむつ、ハンドタオルなどを詰めた大きなトートバッグを肩にかけて、慌ただしく車に乗り込んだ。


 そう。今日から俺は職場復帰だ。約2年半ぶりの出勤である。

 それと同時に、晴と湊にとっては今日が記念すべき保育園初登園なのだ。


 職場復帰と言っても、当面は午後3時までの時短勤務で、実際の出勤は週に2日だ。残り3日は自宅でリモートワークである。設計部門の仕事は特にリモート向けの業務内容であり、その点もラッキーだ。

 とはいえ、しばらくぶりの出勤に、実際のところ俺はかなり緊張モードである。


「柊くん、ちょっと緊張してる?」

 運転席で俺を待っていた神岡が、さらりと問いかける。

「ええ、そうですね……」

「でも、久々の君のスーツ姿は朝からちょっと刺激が強いなあ」

 微妙にエロい視線で悪戯っぽく微笑みかけられ、俺は思わず小さく吹き出した。この人は、こういうふうに空気を和ませる天才だ。

「ぱぱ、とーしゃ、しゅっぱーつ!」

「はやく、はやくー」

 後部座席の子供たちの元気一杯な声が、いよいよ俺を励ます。


「……そうですね。

 みんな、こんなにパワフルなんだから、何とかなりますね」

「もちろんだ。何の心配もいらない。いつも通り、いつものペースでいこう。いつも通り家族で笑い合えれば、何だって乗り越えられる」

「ぱわーー!!」

「きゃははっ!」

 家族の笑顔と声が、俺の胸を奥底から温める。


 この家族で、本当に良かった。



「よーし。じゃ、気合い入れて。出発!!」

「晴、湊! 新しい世界への第一歩だ。思い切り楽しめよ!」

 神岡がハンドルに手をかけ、アクセルを踏む。

 ゆっくりと動き出した車窓に春の日差しが差し込み、キラキラと眩しい。


 ここからも、眩しいほどの日々にしていこう。

 みんなで。


 窓を開けて朝の少し冷えた空気を浴びながら、俺は青く澄み渡った春の空を見上げた。






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