勝負(2)

「自分が振られた理由など、聞きたいわけがないよな。特にあんたのような歪なプライドの凝り固まったような男は。

 だが、これを聞かなきゃ、あんたは今回の件を納得する手がかりすらない。そうだろ?

 須和くんがあんたを選ばなかった最大の理由は、あんたがよく似てるからだ。彼の父親に」


「……父親……?」


「そうだ。

 あんたも恐らく須和くんから聞いているだろう。彼が両親と折り合いが悪いということを。

 彼は、実家での生活の中で散々苦しんだ。事あるごとに偏った価値観や差別意識を振りかざし、自分達の主張こそが正義だというように振る舞う両親に圧迫され、彼は窒息しかけていた。須和くんが自分自身の性的指向に気づき始めてからは、性的マイノリティを激しく見下す両親の言動は、そのまま須和くんの心を攻撃することになった。——彼の辛さ、わかるだろ?

 そんな経験から、彼は有無を言わさず偏った主張を押し付けられることにとても敏感だ。そういう息苦しさの中にこれ以上閉じ込められるのだけは嫌だと、彼は何度も言っていた」

 東條は、鼻で嘲笑うかのように口元を歪めた。

「は、笑わせるな。

 俺を、そんな非常識な親どもと一緒にする気か?

 俺の思考に、その辺の低俗な奴らと同類の価値観など混じり込む訳がないだろう。俺がこれまでどこで何を学んできたか、知りたければ教えてやる。誰にも文句を言わせないレベルの道を歩んできたことは間違いない。

 そうやって得てきた欠陥のない価値観を、大事な人と共有したいと思うことの、一体どこが間違ってる?」


「——そういうとこじゃないのか、須和くんが受け入れられないのは」

「どういう意味だ!」

「どんな時も自分こそが正しく完璧なんだと、そう思い込んでいるところだ。

 あんたの知識や価値観がどれだけ正しく素晴らしいのかは知らない。だが、いくら素晴らしいものだとしても、それを相手に無理やり呑み込ませようとするのは暴力だ。

 相手の痛みを無視して自分の意のままに動かそうなんていう独占欲は、愛情でも何でもない。

 自分自身の言動こそが絶対だと信じて疑わない。そこが、あんたの重大な欠陥だ」


 その瞬間、東條は激しい勢いでガタリとソファから立ち上がった。

 長い腕を伸ばすと、宮田の胸ぐらを凄まじい勢いで掴み上げる。


「…………調子に乗るな。底辺のクズが」

 間近で睨み据える東條の目の奥に、獣のような獰猛な色が波打つ。

 その激しさに怯むことなく、宮田は真っ直ぐに東條を見つめ返して静かに口を開いた。


「僕には、あんたに間違いなく勝ってることが一つだけある。

 それは、自分自身がどうしようもないクズだと理解している点だ。

 この一点があったからこそ、僕はあんたとの勝負に勝った。

 須和くんが一番欲しいものは、知性や地位や金じゃない。正しさや完璧さでもない。彼を縛り付けずに羽ばたかせてやれる自由な空気だ。

 ——彼が欲する幸せを与えられるのは、僕だけだ」


 東條は、凄まじい形相で宮田を見つめたまま、ギリギリと奥歯を噛み締める。

 宮田の胸元を掴む拳が、やがて小刻みに震え出した。

 

「頭のいいあんたなら、今回は僕の圧勝だと理解できるはずだ。

 これ以上情けない駄々をこね続けたら、それこそあんたのダメっぷりを晒すようなものだと思うが?」 


「…………」


 そのまま、どれくらい睨み合っただろう。

 張り詰めた沈黙を破り、東條は不意に宮田の胸ぐらを突き放した。そして、荒々しい足取りでリビングを出ると、奥の一室のドアをバンと開け放って中へ向けて怒鳴った。


「出て行け!!」


「……え……」

 部屋の奥から漏れる怯えた声に、宮田も思わず立ち上がった。

「今すぐ出て行け! 二度と来るな!!」

 宮田は無我夢中でそのドアに駆け寄り、怒鳴り散らす東條を力任せに押しのけた。

 薄暗い部屋の奥に、須和が青ざめた顔で立ち尽くしている。

 宮田はその手首を掴み、震える肩を力一杯抱き寄せた。

「行こう」

 自分のリュックとダウンコートをソファから掴み上げると、宮田はそのまま須和の手を引いて東條の部屋の玄関を飛び出した。









「寒っ……」

「っあ……そ、そうだよな、ごめん」

 早足で夜道を歩きながら背後で漏れた小さな呟きに、宮田は我に返ったように振り返った。先程の東條との応酬でアドレナリン全開モードになったせいか、宮田は冬の夜更けの寒さを一切感じずコートを傍に抱えたまま歩いていた。ずっと掴んでいた須和の手首をやっと解放すると、慌てて自分のコートを須和の寒そうな肩にかけた。

「ごめんな、こんな形になっちゃって。君のコート、彼の部屋に置きっぱになっちゃったよな……他にも、私物いろいろ残ってるだろ? 

 もう少し穏やかに収められたらよかったんだけど」

「いえ、大丈夫です別に。とりあえず、さっき部屋に押し込められてる間に、ノートPCとか最重要の物は全部このカバンに詰め込みましたんで」

 須和は肩にかけたトートバッグを軽くゆすって小さく微笑む。


「そっか、ならとりあえずは良かった……

 ——あ、あのさ……」

「何ですか?」

「……僕が東條さんの部屋に着くまでの間、彼に何かされなかったか?」

「え?」

「いや、無理やり何かされたとか、そういう……」


「…………」


 不意に口を噤んだ須和の様子に、宮田の表情が一瞬強張った。

 しかし、そんな一瞬を打ち破るように、宮田は須和を力強く引き寄せ、しっかりと抱き締めた。


「——そんなことは、どうでもいい。

 君が、こうして僕の傍に戻ってきた……それだけでいい」


 抱きしめられた胸の中で、須和が小さく答えた。


「——やばい。

 俺の彼氏、ついこの前までどうしようもないクズだったのに、いつの間にこんなスパダリになっちゃったんだ……?」


 胸から顔を離し、須和は悪戯っぽくニッと笑って宮田を見つめる。


「今のはドッキリです。彼には何もされてません」


「は!? っおい……!!」

 宮田が本気で怒ろうとした寸前、須和の目がぶわりと滲んだ。

 そして、街灯に淡く光る筋が、須和の頬をいくつも転がり落ちた。


 宮田の胸に再び顔を埋め、須和が囁く。


「あなたは、俺にとって世界一の男です。

 誰が何と言おうと」



「——……」


 返す言葉を見つけ出せないまま、宮田は腕の中の恋人をありったけの力で抱き竦めた。









 宮田の部屋に帰り着いたのは、深夜0時近くだった。

「東條さんの部屋で、夕飯とか何か食べたか?」

「いえ、とりあえずそんな空気ではなかったですね……」

「だよな。僕も、夕方君が東條さんとこへ向かってからなんにも食べる気にならなくてさ。軽く食べれるもの、何か作ろっか」 

 使い慣れた黒いカフェエプロンをつけて冷蔵庫を開けようとする宮田の腰に、背後から須和の腕が強く巻きついた。


「食べるのは、後にしませんか」

「……え?

 いやでも、まだいろいろやること……」

「やること全部終わるまで耐えるの無理です」


 須和は宮田の腰をぐっと引き寄せ、肩越しに宮田の首筋の匂いを吸い込むかのように顔を擦り寄せた。

「あなたを、白馬の王子から今すぐ淫らな姫君に変貌させたくて死にそうです」


 耳元で熱い息と共にそう囁かれ、宮田の身体の芯も俄かに熱く疼き出す。


「——そういう煽り方、いつの間に覚えたの?

 今の僕の欲求をそのまま言葉にするとか、反則だろ」

「姫君になりたかったんですか?」

「ああ、そうだよ。もうぐちゃぐちゃにね。

 その代わり、その淫らな姫君に君も一滴残らず搾り取られるだろうから、覚悟した方がいい」


 宮田の言葉を聞いた須和の腕に、驚く程の力が籠った。

 次の瞬間、宮田の身体は須和の肩に軽々と担ぎ上げられた。

「え、うあっ、ちょっ降ろせ……!」

 担がれた須和の背をバシバシ叩いて宮田は訴えるが、要求は無視される。

「淫らなお姫様にはこの運び方がお似合いです。じっとしてください」

 肩に担いだ宮田の細い腰に逞しい腕を回してベッドルームへ歩きながら、須和がそう呟く。その声にいつにない高揚が感じられ、宮田の身体にゾクリとするような感覚が走る。

 ドサリとベッドへ乱暴に降ろされ、間髪を置かず須和のしなやかな身体が宮田の上にのしかかった。

「髪、解きますよ」

 後ろで無造作に束ねた宮田の髪のゴムをもどかしげに引き抜き、須和はその髪の手触りを味わうように宮田の後頭部を掌で包んだ。

 滴るほどに熱を含んだ眼差しが、間近で絡み合う。

 溜まりかねたように互いの唇を深く求め合い、やがて須和は宮田の黒いVネックのセーターから伸びる白い首筋を肉食獣のように貪りながら、セーターの中へ掌を這わせる。

 その滑らかな肌の感触に耐え切れなくなったのか、須和はガバリと上半身を起こすと自分のセーターを捲り上げ、乱暴に脱ぎ捨てた。宮田のセーターも優しく、しかしもどかしげに脱がせながら、露わになった胸の桜色の小さな突起を唇で柔らかに包み込む。


「……っ」

 その快感に、宮田が微かに息を呑んだ。

「ここ、好きですよね」

 やわやわと唇と舌先で執拗に突起を弄ばれ、宮田は焦らされる辛さに堪え切れず思わず身悶えた。


「——なあ……」

「何ですか?」

 しらばっくれたような須和の返事に、宮田は苦しげに眉を歪め、とうとう開き直ったように言い放った。

「高貴な姫君には、男は奉仕するものじゃないのか?

 これ以上焦らすと蹴るぞ」


「——美貌の王子をこんなはしたない姫に変えられるのは、世界で俺だけだ。

 畏まりました、お姫様」


 熱に浮かされたように囁き、須和は口に含んだ突起を離すと、今度は熱を持って勃ちかけた宮田の芯をおもむろに口中に包んだ。


「…………っあ……」

 その強烈な快感に、宮田は思わず喉を反らして溶けるような声を漏らした。


 


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