春の匂い(2)
「晴〜、湊〜、おいでー! おじいちゃんとこの本読もう!」
「うん、よむ!」
「おお、晴、読むか! さ、おじいちゃんのお膝に来なさい♪」
「もーあなた、お正月からそんな分厚い建築デザイン写真集持ち出さなくってもいいでしょ! まだ二歳なのよ二人とも!」
「みー、ぶーぶやりたい!」
「よーし、じゃあみーちゃんはおばあちゃんとぶーぶで遊ぼ! ほらー、こうやって道路を繋いでいくと、街ができるのよー。道路の脇に、この建物置いて……みーちゃん、これ、なんだかわかる?」
「あ! がそいん!」
「そう、ガソリンスタンド! すごい、ガソリンスタンドわかるのね!!」
1月2日の昼下がり。今日は、俺の両親が我が家へ遊びに来ている。
両親とも建築デザイナーとして年中国内外を飛び回り、とんでもなく忙しいため、晴と湊に会うのは去年のお盆休み以来だ。二人とも、孫の成長ぶりに目元と口元をデレデレに緩めっぱなしである。
「何を言ってる母さん。幼い頃からの環境の大切さを知らんのか? 子供の学びは理解云々などの理屈じゃなく、何よりもまず慣れ親しむことなんだよ。ほら晴、このリビングの写真を見てごらん。ゆったりと明るい開放感が最高だろ?」
「あ、りんご! りんごたべたい!!」
晴は美しいリビングの写真を眺め、ガラステーブルの上にディスプレイされた林檎を見つけてご機嫌だ。
「うんうん、そうだな。とりあえずりんごだよなー」
父の微妙な苦笑いに、俺も神岡も思わず漏れかけた笑いを何とか噛み殺す。
「ばす、ぷっぷー!」
「みーちゃん運転手さん、のせてくださーい!」
「だめー」
「あら、じゃあパトカーが出動しちゃうわよ? ウーウー、そのバス止まりなさい!」
母と湊のやりとりもまたグダグダなお笑い展開になっており、俺たちはもはや盛大に吹き出さずにいられない。
父も母も、孫との接し方はなんともユニークだ。しかし、こういう新鮮な視点で子供たちの意識を刺激することは、もしかしたらとても大切なことかもしれない。ただ機械的に決まり切ったことばかり教えていては、親も子供もなんだかつまらない……そんな気もする。
「なるほど。君のキャラクターがどう形成されたのか、改めて納得だな」
俺の横で、神岡が何だか感慨深げに深く頷いた。
「……それは暗に、こういう環境でもなきゃ俺の変人っぷりは形成されないと?」
「んー、まあそうとも言うかな」
俺を横目で見てニヤつく神岡に、俺はムキになって食ってかかる。
「その言葉、そっくり樹さんにお返ししますが!? 今でこそ少しは立派なパパっぽくなりましたが、かつてのあなたの凄まじい変人っぷりを忘れたとは言わせませんよ!?」
「はは、ごめん、冗談だって!」
神岡は楽しげに答えながら、ふと真剣に表情を改めた。
「でもさ、いい意味の変人だろ? 僕も君もさ」
「いい意味の……?」
「うん。
人とはちょっと違う思考や言動が自分自身や周囲を幸せにするなら、むしろそれはウェルカムだ。僕は、そうして君に変人って呼ばれるような行動に踏み出したからこそ、君に出会えたし、晴と湊を授かった。自分の変人思考がなければ、こんな人生は決して手に入らなかったはずだ。
周囲とは一味違う柔軟な考え方ができるっていうのは、本当に大事だと思うんだ。自分の道を切り開いたり、壁を突破したりしなきゃならない時には特にね」
神岡のしみじみと穏やかな言葉に、俺も頷いた。
「……確かに、そうですね。
俺自身も、自分の中に変わり者が潜んでいなければ、あなたの提示した怪しさ極まりない契約には絶対乗らなかったでしょうし、危険を冒してまで新たな命を身籠ろうとも思えなかったかもしれない。
そう考えれば、斜め上をいく視点やものの考え方を植え付けてくれた父と母には、どれほど感謝しても足りないなあ……」
二人で顔を見合わせて深く頷いたところで、父の太い声があっけらかんとリビングに響いた。
「おーいお二人さん。そこでいちゃいちゃを見せつけてくれるのもいいが、そろそろお茶でも出てこないかなー? お土産のシュークリーム食べたいって晴が言ってるぞ」
「そうねー。樹さんの淹れてくれるアールグレイはいっつも最高に美味しいから楽しみだわっ♡ あ、ちなみにお土産の中に一個だけ混じってるベイクドチーズケーキは私のだからよろしくね♪」
父に続いて、母がすかさずナチュラルに要望を盛り込む。長年連れ添った夫婦の息の合い方は見事だ。完璧である。
「あー、はい! 気づきませんで申し訳ありません! ただいまお持ちいたしますっ!」
二人からのあからさまなお茶の催促に、俺と神岡はガタガタとダイニングテーブルから立ち上がりつつ改めて小さく笑い合った。
「……ところで、須和くんや宮田くんからはコメントとか特に何も届いてない?」
神岡がティーカップを用意しながら俺に尋ねる。
「ええ、今のところ、何も届いてません。
昨日の段階では、須和くんの大学の冬休みが明ける1月9日までには、東條先輩に告白辞退の話をして居候の件も解消しなきゃ、と二人で話し合ってたようですけど……うっかりすると修羅場になりそうで、ちょっと心配ですね……」
「うん、相手が粘着質タイプだと余計にな。居候関係にあったという段階で、須和くんと先輩はそれなりに親密な間柄になっていただろうから……変に拗れなければいいがな」
「ですね……」
お茶の支度を進めながら、俺たちはテーブルに置いたスマホの暗い画面を何となく見つめた。
*
「まずは、俺ひとりで東條先輩に今回の経緯を全部話します。
実際、先輩にはめちゃくちゃお世話になったし、弱ってる俺を静かに気遣ってくれて本当に有り難かったので……そういう感謝をきちんと伝えた上で、俺の今の気持ちをなんとか理解してもらいます」
1月2日の夜、宮田の部屋。
目の前に置かれたビールの缶を開け、一口大きく呷ってから、須和は真剣な面持ちで宮田にそう告げた。
「ん、そっか……うん、まずはそれがいいよな。
それにしても、イケメン高学歴、かつ一流企業に内定済みで、しかも困ってる後輩を余裕で居候させるような超ハイスペ男を振って僕を選ぶってのはほんとに正気なのか……」
「もーーー!! それ以上言うとほんとに東條先輩選びますよ!??」
思わず指にこもった力で缶をベコっと凹ませながら、須和は宮田に食ってかかる。自信無さげな宮田の表情が一層アワアワと色を失った。
「何度も言わせないでください! 俺が本当に欲しいものは、東條さんでは絶対に満たせないんですってば! あなたのその緩くて軽いキャラこそが俺を自由にしてくれるんだって、もう散々説明したでしょう!?」
「わ、わかった、もうこんな話二度としない……だから、あいつを選ぶとか絶対やめてくれ……」
「しませんよ、そんなこと」
須和はやれやれと言うように残りのビールを呷る。
自分の缶に伸ばしかけた手を止め、宮田がふと眼差しを上げて呟いた。
「……そうか。
うん、そうだよな……。
君を幸せにするには、まず僕が、僕自身を好きにならないとな……」
その呟きに、須和は驚いたように宮田を見た。
眼差しを須和に向け、宮田の呟きはやがてはっきりとした声になった。
「君が、僕を選んでくれた。
頭が良くて誠実で、しっかりとした中身のある、超男前な君が。
僕は、そんな君に選んでもらえるだけの男なんだって、堂々と胸を張らなきゃダメだよな。
それができなきゃ、今回の話が万一拗れたとしても、東條先輩をうまく説得なんてできるわけがない」
宮田を見つめる須和の目が、嬉しそうに輝いた。
「…………そうですよ」
「……うん。
何よりも大切なことに、やっと気づけた」
宮田の目が、これまでとは違う強く揺るぎない色を浮かべた。
大きく一つ頷き、須和が言葉を続けた。
「じゃあ、決めましょう。
明日、一月三日ですよね。明日の夜に会えるか、これから東條さんに連絡してみます。彼も三日の午後には実家から戻ると言っていたので、恐らく会う約束はできるはずです。
まずは、そこで話が丸く収まるように、全力で彼と話してきます」
「うん、わかった。何かあったら、メッセージでも電話でも、すぐ対応できるようにしておくから」
「お願いします。
それまでに、『誰が何と言おうとこいつは俺のもんじゃ! 文句あんのかオラ!!』って堂々と言えるようにリハーサルしといてください」
一瞬驚いた顔をした宮田は、すぐに満面の笑みを浮かべてぐっとサムズアップをしてみせた。
「うん。がっつりリハしとくから、任せとけ」
そうして、二人はようやく笑い合いながらビールを大きく呷った。
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