春の匂い

 元日の夜9時少し過ぎ。

 子供達は昼間神岡の実家で義父母にたっぷり遊んでもらい、帰宅後夕食を終えて布団にころりと横になるなりスウスウと安らかな寝息に変わった。

 自分たちも簡単な夕食を取り、皿を洗い終えたところでインターホンが鳴った。


 今日一日押し殺してきたニマニマ顔を見合わせてから、俺と神岡は並んで玄関へ客を迎えに出る。

 ドアを開けると、それぞれに正月らしい厚手のコートとマフラー姿の宮田と須和くんが、外灯の下で白い息をふわふわと上げて並んで立っていた。

「どーもこんばんは。明けましておめでとうございます並びにお誕生日おめでとうございます。これ、晴と湊にです」

 いつもながらヘラッと薄い挨拶をして、宮田が大きな紙袋二つを神岡に差し出した。

「それと、初売りで買ったスイーツです。あ、でも晴と湊はもう寝ちゃったかな」

 須和くんが人気スイーツ店の可愛らしい紙袋を俺に手渡して微笑んだ。寒い中を歩いてきたのだろうか、二人とも鼻や耳が赤くなっている。けれどそこには、その歩く時間さえもたっぷりと楽しんできたような気配が感じられた。


「おお、ありがとう! 子供達は今日実家ではしゃぎまくってもう爆睡しちゃってるが、明日これ見たら大喜びだ」

「ここのプリン、美味しいよなー。二人とも大好きなんだ。いつもありがとう。とりあえず今夜は、楽しい話を聞きつつ俺たち四人でゆっくり食べようか」

 俺と神岡のニマニマ顔に、宮田はしれっとしらばっくれ、須和くんはブワッと赤面した。

「は、楽しい話? そんなのあったっけ須和くん? なんせ僕たち昨日まで喧嘩してましたから」

 「えっ……と、宮田さん。三崎さんも神岡さんも、もう既に気づいてると思うんで……実は俺、昨日ここへお邪魔して、洗いざらい相談してお二人に背中を押してもらってあなたの部屋行ったんで」

「は!?」

 須和くんの恥ずかしげな呟きを聞くや否や、宮田のしれっと顔もやはりぶわりと一気に紅潮していく。

「え、ちょ、それまじ……?

 須和くん、そういうのはここ来る前に言っといてもらわないとまずいって……!!」

「まずくないだろ全然。君のそういう慌てた恥じらい顔なんてそうそう見られるもんじゃないからな。須和くんグッジョブだ」

「やば……モジモジな宮田さんって初めて見た……なんか超可愛いんだけど」

 もはや口元のニヤつきが止まらない俺たちに、宮田は照れ隠しの仏頂面をしてぎりっと歯軋りをした。

「はー。そうやっておもしろがってりゃいいでしょこのゲスどもが!! 僕は良くても、その低俗なニヤニヤがピュアで繊細な須和くんの心をけがしてるってことに気づかないんですか?」

「いいじゃないですか宮田さん、そんなムキににならなくても」

 宮田の横で須和くんが柔和に微笑む。

「あなたのモジモジ顔が可愛いってことがお二人にも証明できて、俺は嬉しいですよ。それに、せっかくお二人が楽しみにしてくださってるんですから、昨日からのことも全部話しちゃうってことでどうでしょう」

「は……!? 須和くん、君って思ったより神経の太さがすごいな!?」

「じゃないとあなたの相手は務まりません」

 とうとう俺と神岡は廊下にしゃがみこんで涙が滲むほど笑いこけた。










「宮田さん、めちゃめちゃ可愛いんです。ぶっちゃけやばいっす」

 ピチピチなイケメン大学生の須和くんが、メロメロな恋人の話をするかのように宮田の話をする。ちょっと信じられない事態だが、紛れもなく現実だ。

 ここまでとりあえず可愛い宮田の想像など1秒もしてこなかった俺たちは、新たな世界の扉を開けたような心持ちでそのノロケ話に食い気味に聞き入った。

「しかも、可愛いだけじゃないんです。本気な宮田さんの色気がガチで凄くて。そんじょそこらの美女なんか到底叶わない。好きな人と過ごす夜は天にも昇る心地ってよく言いますけど、冗談抜きで昇天するかと思いました」


「…………」

 躊躇なく言い放たれる須和くんの言葉の赤裸々ぶりに俺たちは半ば唖然とし、宮田は真っ赤になりながら俯いて膝に拳をブルブルと震わせた。

「す、須和くん……いい加減その辺で勘弁してくれないか」

「あ、ちょっと喋り過ぎました? すみません」

 もはや消え入りそうな宮田の訴えに、須和くんはぽりぽりと頭を掻いてテヘペロっぽい顔をする。

「いや、全然いいんだよ須和くん。僕らも君たちの仲睦まじい様子を知れてこんなに嬉しいことはない。宮田くんは今後も君とのこういう惚気話を一切しないだろうから、君から二人の様子を聞ければ僕らも安心だ」

「そうそう。それに宮田さんが本気になるとその辺の美女顔負けの、そういう感じになるのかーっていうのは、素直にすごいなあ、と……」

「もーーーーー!!! 結局二人ともただ単にソッチの話に興味津々なだけじゃないですか!!」

 顔を真っ赤にして声を荒らげる宮田に、神岡はふっとまっすぐな視線を向けた。

「いや、それは違うよ。

 君たちが、本心をぶつけ合って漸く向かい合えたことが、僕らは本当に嬉しいんだ。

 今聞かせてくれた昨日からの君たちのやりとりが、大袈裟じゃなく胸に刺さった。——君たちはそれぞれに、それほどに深く互いを必要としていたんだな」

 俺も、神岡の言葉に強く頷いた。

「宮田さんっていつもめっちゃ薄っぺらいくせに、いざ大切な場面になるとびっくりするくらい不器用で、自分で自分の幸せぶっ壊しにかかるような危なっかしいところがあるよな。

 その裏側にあるのっていつも、何だかんだで他人への気遣いや、優しさだったりする。俺たちも、これまで何度あんたの言葉や行動に救われてきたかわからない。確か、以前もあっただろ。俺が育児ノイローゼになりかけたとき、あんたが俺のヘルプに力を注ぎ過ぎて恋人が不満抱えちゃって……それが原因で恋人と別れたことがさ。

 ——俺も、いつも思ってた。いつか、あんた自身が、自分のための幸せを掴んでくれたらって。

 だから、俺も、嬉しいよ。あんたが須和くんとこうやってしっかりと手を繋ぎ合えたことが、本当に……」

 そんな話をしながら、不意に目の奥に熱いものが込み上げた。

 ちょっ待て、こんなとこでこんなみっともない展開にするつもりないって! 涙が溢れ出るのを堪えたくて、俺はぐっと唇を噛んだ。


 俺の涙が恐らくバレたのだろう。隣に座る神岡が俺の肩を優しく抱き寄せ、柔らかに微笑んだ。

「うん。柊くんのいう通りだ。

 君たち二人には、幸せになってほしい。心から」


 俺と神岡の言葉に、宮田もどこか苦しげに眉間を小さく歪めた。

「……僕、そんなふうに言ってもらえるような男じゃないはずなんですが」

「宮田さん、昨日も散々言いましたよね。もう自分自身をクズ呼ばわりしないでくれって」

 須和くんが、宮田の顔を悪戯っぽく覗き込む。

「いい加減信じてください。俺や神岡さんや三崎さんが、これだけあなたを好きだって言ってるんですから」

 須和くんはニっと笑みを浮かべると、俺たちに向けて深々と頭を下げた。

「ってことで、皆さんの知らない宮田さんの美味しいところは俺が全部独り占めすることになりました。よろしくお願いします」

 その爽やかで若々しい態度に、俺たちにも自然に元の笑みが戻る。

「うん、大いに独り占めしてやってくれ」

「宮田さん、こんないい子にこんだけ惚れられて幸せもんだねえ」

「そうなんだよね。こんなに幸せで大丈夫なのかってめっちゃ不安なんだけど」

 宮田もいつもの調子を取り戻しながら、冗談混じりにそんな言葉を呟く。


「……その不安はあながち外れてもいない……かもしれない」

 そこに挟み込まれた須和くんの一言に、俺たちはギョッとして一斉に須和くんを見た。


「……す、須和くん? それ、どういう意味?」

「いや……

 東條先輩がすんなり納得してくれるかどうか、と、それがちょっと不安になったもので……」

「東條先輩って、クリスマスイブに君に告白した、居候先の先輩だよね?」

 微妙に青ざめながらそう問いかけた俺に、須和くんは複雑な面持ちで頷く。

「ええ。彼、相当に自分に自信のある人で。一旦決めたら自分の意思をそう容易に曲げないタイプなんです、良くも悪くも。

 浮いた話もこれまで全くなかった人ですし……彼なりに、俺に本気で告白してくれたんだろうなと思うんです。その分、告白を断るのが大仕事になりそうな気がして仕方ないんですよね……

 やば、考えれば考えるほど難しいケースかもしれません、これ……」


 俯いて難しい顔になる須和くんの隣で、宮田が意を決したように口を開いた。

「……何言ってんだ。

 何がなんでも、そいつに分からせるよ。お前には勝ち目がないんだってことを。

 僕がやれることは、なんでもするから。君ひとりで断りきれない時は、僕がそいつと会ってもいい」

 その表情はざわざわと不安げながらも、宮田が須和くんを真っ直ぐに見つめ、そう答える。

「宮田さん……」

「ノー問題だって」

 自分自身にも言い聞かせるように、宮田はヘラっといつもの笑みを浮かべて見せた。


「もしも拗れそうだったら、相談してくれ。恋愛絡みの縺れは厄介だからな」

 神岡も真剣な表情で宮田にそう伝える。

「ありがとうございます。

 でも、できる限り自分達で解決できるよう、やってみます」

 初めて見るような宮田の張り詰めた表情に、俺はまた彼の新たな一面を垣間見た気がしていた。



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