新しい年

「いやちょっ待って、まだ説明が途中……」

「これ以上は無理です」 

 それぞれにシャワーを浴びた後、須和は宮田の寝室で男同士のあれこれについて宮田から具体的かつリアルな説明を受けていた。

 最初こそ緊張した面持ちで宮田の話を聞いていた須和だったが、ひとつひとつ懇切丁寧な宮田の話に、須和は次第にじりじりと苛立ちを募らせつつあった。

「小学校の授業じゃないんですから、このままあとどれだけ我慢させる気ですか?」

「そっ……それはそうなんだけど! ほら須和くん初めてなんだし!」 

 ここまでなかなかに拗れた末にようやく向き合えた相手が、準備万端しなやかな黒いパジャマ姿でベッドの隣に座っているのだ。普通の男なら待ても何もない。須和はふーっと熱い息を漏らして宮田を見据える。

「宮田さん、何気にいつもパジャマのブランドこだわってますよね。あなたがその姿で毎晩あの川野って後輩とこの部屋でどんな時間を過ごしてるのか、想像する度に砕けるほど歯軋りした俺の苦痛、わかります?」

 もはや雄の衝動を抑えきれない須和が、宮田の両肩を掴んで後方へ押し倒すべくにじり寄った。

「ご、ごめん、悪かった。それはほんと謝る」

「悪かったと思うなら、これ以上つべこべ言うのやめてください。

 それに、実際するのは確かに初めてですけど、俺だって何の下調べもなくここに座ってるわけじゃありませんから」

「……」


 実際のところ、もはや待ったをかけているのも限界だ。

 須和の逞しくしなやかな腕が、宮田の背を抱えるようにベッドへ横たえる。

 困惑を隠し切れない面持ちで、宮田は自分を見下ろす熱を含んだ眼差しを見上げた。


「——そんなに、嫌ですか」

「違う。そうじゃない。

 ……不安なんだよ。幸せすぎて」


 恥ずかしげに本音を漏らす宮田の様子に、須和は一気に煽られたかのようにもどかしげに唇を重ねた。

 獰猛なほどの深いキスを解き、須和は桜色に染まった恋人の耳元に熱い息を落とす。

「まだ何の人生経験もないのに、こんな綺麗な人を手に入れた俺の方が遥かに不安です。

 あんまり無理させないように、優しくします。でも、ちゃんとブレーキかかるかどうかわからないんで……ヤバかったら、すぐ言ってください」


 いましめていた自分自身の鎖を解く以外なくなったかのように、宮田は須和の首筋をおずおずと引き寄せた。


「——僕も、正直なところ、もう待ちきれない。

 気にしなくていいよ。ブレーキも何も。

 君のくれるものは、何一つ余さずもらうつもりだから。これからも、どんなことも」

 須和の耳元で、そう囁き返す。


「……あなたが俺の恋人になってくれて、幸せです」

 一瞬喉に詰まったような声を絞り出すようにしながら、須和は宮田の滑らかな額に自分の額を優しく擦り合わせた。









 新たな年がやってきた。

 そして、晴も湊も、めでたく2歳になった。

 今日は、彼らの人生で初めておめかしをさせてみた。きちんと襟のついた白いシャツに、晴にはネイビー、湊には赤のセーターを着せた。セーターの襟ぐりからシャツの襟を覗かせると、何とも育ちの良いお坊ちゃんファッションの完成だ。ボトムスは黒のスッキリ目なデニムパンツで野暮ったくならないようバランスを整える。いつもとは見違えるようなキリリとした佇まいの息子たちに、俺も神岡も親バカ風な感嘆のため息をつく。

「ぱぱっ、とーしゃっ、はやく!」

「じーと、ばーと、いっぱいあそぶ!」

「そうだな。じいもばあも誕生日のプレゼント用意して待ってるぞ〜」

 神岡の実家へ新年の挨拶へ行くことを話すと、二人とも朝から嬉しそうにはしゃぎっぱなしだ。キンと冷えて澄み切った元日の青空を仰ぎながら、神岡の愛車であるベンツCクラスへ乗り込む。

 昔と変わらないホワイトムスクの香りと、上質のジャケットに身を包み運転席に座る神岡の横顔。その引き締まった佇まいに、ふと甘酸っぱい気持ちが蘇る。


 実家の広間の大きなテーブルに全員着座すると、義父が晴れやかな笑顔で屠蘇とその杯を掲げた。

「あけましておめでとう。

 昨年は、公私ともにいろいろな困難もあったが、だからこそ大きな収穫を得た一年でもあった。現在大阪に着工中の多世代交流型マンションの今春のオープンが実に楽しみだ。

 我が社をより良い企業にするには、私達の不断の努力が不可欠だ。そのことを忘れず、今年も前に進もう。

 そして、晴、湊、二歳おめでとう。二人の元気な姿を見るのが、おじいちゃんおばあちゃんの一番の楽しみだ。

 今年も、みんなで素晴らしい一年にしよう」

 義父の挨拶と共に、全員で屠蘇の杯を傾ける。今年もこの上なく満ち足りた正月を迎えられた喜びを、深く噛み締める。


 厳かに改まった新年の儀が済むや否や、晴も湊も同時にテーブルに並んだ豪華なお節料理にグイッと身を乗り出した。栗きんとんや伊達巻きなど、豪華なお重に詰められた普段は目にしない料理に興味津々だ。それぞれの皿に少しずつとってやると、幸せそうな笑顔でスプーンやフォークを動かし始めた。

「ね、これ、おいしっ! あまい!」

「晴、それは『栗きんとん』っていう料理だよ」

「くい、きんと?」

 舌足らずなおうむ返しに、俺は微笑まずにいられない。

「そう、くりきんとん」

「くいきんと! くいきんと、もっとたべたい!」

「これ、たまごやき、ふわふわ! ぐるぐる!」

「それは『伊達巻き』だよ、湊。美味しいか?」

 神岡も、テンションダダ上がりの湊にクスクス笑いながら料理名を教えている。

「たてまき? おいし! ぐるぐる! ふわふわ!」

「嬉しいわ〜! お節料理をこんなに喜んでもらったのなんて、もう何十年ぶりかしらね? やっぱりはるちゃんとみーちゃんは私の天使ね!」

 料理を一心に食べる二人の様子に、義母が嬉しそうに微笑んだ。

「晴も湊も、日に日に言葉が増えていくな。表情もすっかり逞しくなった。どんな立派な男前になるのか、今から楽しみでたまらん」

 義父も心から満足げに目尻を下げて孫たちを見つめる。

「晴は物事を冷静にじっくり考えるタイプ、湊は感情表現が豊かで思ったことをどんどん行動に移すタイプみたいです。対照的な性格ですが、本当に大切な時に一歩も引かないところは兄弟すごく似てるんですよね」

 上機嫌の義父の猪口ちょこに、俺は日本酒の徳利を傾けながらそう話す。孫の話は義父母の何よりの好物だ。

「ほう、二人とも頑固か。それはいいな! その性格は柊くん譲りかな?」

「え、俺ですか?」

「うん、間違いなく柊くんだ」

 俺の横で昆布巻きをつまんでいた神岡も、義父の言葉に深く頷く。

「そうね、柊ちゃん譲りよ間違いなく! 樹はなんだかんだでゆるふわっとしてるから、いざという時にはやっぱり柊ちゃんの頑固さがなきゃね♪」

「母さん、それはつまり僕が優柔不断だという意味ですか? めでたい席で何気にディスるのやめてください」

 それぞれに料理を口に運びつつ、そんな話で明るい笑いが起こる。

「じゃ、そろそろお餅も焼こうかしらね。充さん、ちょっと手伝ってくれる?」

「ん、わかった」

 一緒に立ち上がっていく二人の背を見つめながら、自然と口元が綻ぶ。

「お義父さんとお義母さん、いつも仲いいね」

「晴と湊が生まれてからなおさらだな」

 こっそりそんな話をして笑い合う俺の手元で、スマホがメッセージの着信を知らせた。

 画面を確認すると、宮田からだ。


『あけましておめでとうございます。

 今夜、須和くんとちょっと二人で顔出そうと思ってます。僕たちは何時でも大丈夫なんですが、お二人は何時頃なら都合いいですか?』


 そのメッセージを読んだ途端、俺の口元が勝手にニマニマと引き上がった。

「ん、誰から?」

「いや、これです」

 メッセージを表示した画面を見て、神岡も俺と全く同じニヤつき顔に変わっていく。

「ほお〜。

 なるほど。これは……」

「夜、子供たちが寝た後くらいにしましょうか。9時とか」

「そうだね。子供たちの前では話せないこともあるかもだし……」

「ですよね……」

「柊くん、ちょっと悪い顔になってるぞ」

「今の言葉、そっくり樹さんにお返しします」


 お互いのニマニマ顔に思わず一緒に吹き出しつつ、俺は即座に宮田への返信を打ち込んだ。

 窓から差し込む陽射しが、一層眩しく明るさを増したように思えた。



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