鳥籠

「でも……じゃあ」


 宮田の本心の吐露に、須和は強く動揺しながらも更に畳みかける。


「もしも、俺が今日話したいってメッセージを送らなかったら……あなたは、自分からこの話を俺に打ち明けるつもりはなかったんですか?

 俺が味わった思いなど素知らぬ顔で、このまま俺を追い出して終わらす気だったんですか?

 俺がもうこの部屋に二度と来ないと思ってた、って、さっき言いましたよね——それってつまり、あなたはこのまま俺との関わりが自然消滅しても構わないと……そう思っていた、ってことですか?」


 須和の険しい声が、宮田を問い詰める。


「……」


 少し考えた宮田は、須和を見つめて迷いなく答えた。

「消滅しても構わない、じゃないな。

 その方がいい、と思ったんだ」


「——……」


「人間として出来のいい君には分からないかもしれないけどね。

 僕にはもう、嫌というほど分かってる。仮に力尽くで君をこの部屋に呼び戻しても、ますます自分のクズっぷりが惨めになるだけだ、ってね。

 改めて言うが、僕はもう30だ。すっかりおっさんで、年甲斐もなく薄っぺらくてチャラい男だ。どうあがいたって、僕の指は君には届かない。

 君を自分の傍から離さずにおきたいなんて、これから翔ぼうとしてる鳥の羽を毟って粗末な籠へ閉じ込めるのと同じことだ。

 君は、温かくて優しい。僕みたいな男が追い縋っては、その手を振り切るなんて絶対にできないだろう。

 情けないクズ男に縛られるより、クズなんか蹴散らして君の思い通りに自由に飛んでいってほしいと、そう思った」


「…………クズ、クズって」


 須和は、膝に落としていた視線を静かに上げ、悔しげに宮田を睨んだ。


「宮田さん。

 もう、自分をクズ呼ばわりするの、やめてもらえませんか。

 そんなクズ男に振り回されてる俺が、馬鹿みたいじゃないですか。

 俺は、そんな最低の男に惹かれたつもりはありません。あなたは、あなた自身が思ってるより、遥かに——

 ——それに、あなたの指が俺に届かないと決める権利は、あなたにはない。

 あなたの指に手を伸ばすかどうかを決めるのは、俺だ」


 初めて見るような須和の男臭い眼差しに射竦められ、宮田は思わず声を上擦らせた。

「…………な、なあ須和くん。マジでちゃんと考えてくれ。

 その……優しくて信頼できる東條先輩ってのは、大学院でも優秀なやつって言ってたよな?」

「ええ、来春からは一流企業の研究職に就職予定です」

「——っ……そっ、そんなガチクソハイスペ男から告白されてんだろ? こんなチャンスみすみす逃してあえてクズ……い、いや、チャラいおっさん選ぶとかどう考えてもおかしいって!」


 あわあわと目を白黒させて反論する宮田に、須和は荒々しく言葉を返す。

「あれ、宮田さん。もしかして、違う意味で俺から逃げたいとかですか? ここまで来てこんな社会にも出てない青臭い大学生をしょい込むのはめんどくさいとか?」


「そんなわけねえだろ!!」

 宮田はとうとう須和に向かって怒鳴った。


「僕みたいな男が、本当に君に触れてもいいのかって——それが、マジで怖いんだって!!」

「さっきも言いましたが、もう逃げないでください」

 須和はぐっと肩を乗り出し、宮田をまっすぐに見つめる。


「俺は、あなたの側が居心地いいんです。

 東條さんは、確かに知性も人間性も豊かな、落ち着いた大人の男です。

 けれど——俺には、ちょっと息苦しいんです。

 彼は、いつも自分に自信があって、自分自身の言動を信じていて。その意思を簡単に揺らがせたりはしない人です。

 その空気が……どこか、似てるんです。俺の父と」


 須和が実家を出ることを決めた大きな原因は、両親の歪んだ価値観に雁字搦めにされる苦痛から自由になるためだ。そのことは宮田も知っている。

 須和は一瞬、ぐっと苦しげに唇を噛んで、言葉を続けた。


「東條さんは、いつも完璧を望んでいます。だからこそ、彼の気に染まないことはできない、呆れられるような馬鹿な事はしちゃいけない……気付くといつも、俺はそんな窮屈さに身を縮めてる。

 どれだけ優れた人でも、まるで父といるような圧迫感を我慢するなんて、俺はまっぴらです。死んでも嫌だ。

 あなたは、そんな息苦しさを忘れさせてくれる。

 世界はもっと広くて、もっと気楽に笑っててもよくて——日常の些細なことも、本当はもっと楽しいんだって、教えてくれる。

 そんなことを気づかせてくれる人は、今までいなかった。

 さっきあなたは、俺をここに引き戻すことは粗末な鳥籠に押し込めるのと同じことだと言ったけど……それは、むしろ逆です。

 あなたは、俺を窮屈な鳥籠から自由にしてくれる。

 俺は、あなたといる時間が、一番生きてる気がするんです。他の誰といる時よりも」


「…………」


 一気にぶつけられた告白に、宮田は息を呑む。

 全て吐き切った肺に酸素を入れるかのように一つ大きな呼吸をすると、須和はそこで初めて頬を染めて呟いた。

「——これで、納得してもらえましたか。

 俺があなたを選びたい理由が」


「……一つ、確認していい?」

「何ですか」

「君の今の言葉に、僕が頷いたら——僕はもう、多分君を絶対に離さないよ?

 僕はもう、君への想いも欲求も我慢しない。今までこんなガチになったことがない分、とりあえずとんでもなく重たい男になる自信はある。ドロっと重いおっさんとか考えただけでうざいんだが本当に大丈夫なのか——」

「っふふ」

 須和の思わず漏らした笑いに、宮田は困惑顔でムキになる。

「なあ、本気で言ってんだぞ!」

「いや、済みません。マジで困った子供みたいにもじもじしてる宮田さん、半端なく可愛いなと思って。そんな顔、他の人には絶対見せないでくださいね。

 さっきからあなたが言ってる『おっさん』も、心配無用ですよ。あなたはびっくりするぐらい若々しくて綺麗です。内面もむしろもうちょっとおっさん臭さが欲しいくらいなので。

 俺の横でいつもそんな恥じらい顔でじもじしてくれたら、めっちゃテンション上がります」


 何一つ包み隠さぬ須和の言葉に、宮田はぶわっと赤面して口をパクパクさせる。

「…………は?

 おっさんをからかうもんじゃない……」

「からかってません。

 誰が何と言おうと、俺にとってあなたはたまらなく魅惑的な人です。

 重たく執着してもらえるなんて、むしろ本望です」


 ソファの自分の席を立ち、まだ何か言おうとしている宮田の横へ座ると、須和は宮田の瞳を間近で見つめた。


「俺の恋人になってくれますか」


「……」


 しばし俯いて戸惑った宮田は、意を決したように須和を見つめ返し、頷いた。


 その答えを確認するや、須和は逞しい腕で宮田の肩をぐっと引き寄せた。

 宮田の額から顔に乱れかかった長い前髪を、須和の指がそっと整える。

 やがて、柔らかに唇が重なった。


「めっちゃ嬉しいです」


 優しく触れた唇を離し、宮田の肩を強く抱きしめた須和が、耳元で小さく呟く。


「……」


 思わず瞳から零れそうになる熱いものを必死に目の奥へ押し戻しながら、宮田は須和の背におずおずと両腕を回した。





* 





 夕食にはだいぶ遅い時間になったが、二人で蕎麦を茹でた。須和の準備したつゆは、鶏肉に大根や人参など彩りの良い野菜もたっぷり入っており、年越し蕎麦一品だけで贅沢な食事になった。

 二人リビングで缶ビールを開け、熱い蕎麦を頬張りながらTV番組の静かな除夜の鐘を聴く。


「…………除夜の鐘って、こんな沁みるものだったっけ」

「俺もちょうどそう思ってました」


 はふはふと湯気を吹く合間に、軽く笑い合う。


「……あ、そういや。あと約10分で元旦、晴と湊の誕生日だな。

 もう2歳になるんだー、早いよな。何かプレゼント買って、明日神岡さんたちのとこにちょっと顔出そうか」

「そうしましょう。ショッピングモールの初売りも華やかで楽しそうですね。

 ……で、今夜はどうします?」


「…………」


「俺、あなたを抱く気しかないんですけど」


 宮田の箸が止まり、耳と頬が微かに染まった。

 その気恥ずかしさを誤魔化すように、横目で須和をちらりと見る。

「……須和くんって、思ったより肉食?」

「何言ってんですか。気になる人ができたら、その人と過ごす夜の想像ばっかしちゃうのは仕方ないでしょう? 俺も男ですから。

 宮田さん、抱かれる側、嫌ですか?」


「……いや。

 むしろ、僕も抱かれたいかな」


「…………マジか……

 うわ、もうヤバい」


「須和くん、多分、初めてだよね?」

「……」

「いろいろ、教えるからさ」


 そこまできてブワッと頬を紅潮させる須和の初々しい表情に、宮田は思わず柔らかな笑みを溢した。



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