ローストチキン(2)

「自分はこんなふうにガチな恋をする人間じゃないと思ってたんですよね、とりあえず」

 みんなでクリスマスを祝う乾杯をし、それぞれが用意したプレゼントに大はしゃぎした子どもたちがケーキや極上ローストチキンに夢中になっている間に、俺たちは宮田の言葉にじっと耳を傾けた。

「なぜでしょうね、ガチで何かに向き合うなんてバカにしてました。ガキの頃から、一生懸命やって周りに認められてるヤツに向かって『ケッ』みたいなリアクションしかできなくて。

 物心ついた頃から、両親は二人とも忙しくて、僕には無関心で厳しかった。何を頑張っても褒められなかったし、できてないことばかりをうるさく小言言われた記憶しかない。小学校半ばあたりには、既に『ケッ、つまんねー』とか思ってましたね」


 いろいろ修羅場がありながらも、この男とはなんだかんだで長い付き合いだ。そんな薄っぺらい言葉の裏に隠れたものを聞き逃さないよう、俺は晴と湊の食事の様子に目を配りつつも彼の言葉にじっと意識を向ける。


「それに加え、思春期には自分の性指向の苦痛までがのしかかってきて。誰にも話せず、苛立ちや悲しみばかりが蓄積して……高校くらいになると、このクソな見かけのせいで、ヤバい先輩にしつこく言い寄られたり弱みにつけ込まれて無理やり関係持たされたり。はは、散々でしょ? 

 気づいたら、真っ直ぐ立てなくなってました。背骨の芯までやられたみたいに。

 こうして振り返ると、一応本気になったことなんて、美容師の資格取った時くらいなんじゃないかな……まあ仕事だけはそれなりにプライド持ってやってますけどね。なにぶん金のためですし」


「……」


 初めて聞く、宮田の話。

 あまりにもさらりと乾いたその口ぶりが、余計に胸を苦しくする。


「こんなふうに捻じ曲がっちゃった思考回路のおかげで、痛い思いも人並み以上にはしてますけどね。……どうせ痛いなら、ムキにならず脱力してるのが結局一番楽だと学びました。仮に目の前のものがダメになっても、別に最初から特に入れ込んでなかったんだしどうでもいいや、って。

 胸に沸いた悔しさや悲しさも、『ケッ』ってツバ吐くみたいに、自分の思考から雑に切り捨ててきました」


「……」


 彼の紡いだ言葉の苦味を噛み締めるように、それぞれが深く黙り込む。


「——そうだ。

 優愛ちゃん。晴と湊と、リビングで絵本読もうか? 今日のために、面白い絵本たくさん揃えて準備してたんだよ」

 神岡が、ふと柔らかな声で優愛ちゃんにそう誘いかけた。

「え、ほんと!? うん、読む! いっくん、いこ!」

 お腹も一杯になってジュースをすすっていた優愛ちゃんは、神岡の言葉にぱっと瞳を輝かせた。

「あっ、神岡さん、すみません! 気づかなくて!」

「いや、ゆっくり話に付き合ってやってください」

 神岡は晴と湊の手を引いて椅子から立ち、紗香さんに微笑んだ。

「あ、多分絵本の方が絶対楽しいんで皆さんリビングに移動しちゃっていいですよ? そんなマジに聴くような話、ここからも1ミリも出てきませんから」

 ちゃらっと挟まれた宮田の言葉に、賑やかな笑いが一瞬場を包むが、すぐに穏やかな静けさが戻った。


「……まあ、ムキになったところでたかが知れてる自分自身を、最初から捨ててたんですよね結局。

 ってか、ちゃんとムキになったことすらなかった。本気っていろいろ苦しいし、面倒くさくて。テキトーでいいやって最初からお手上げポーズを作ってた。

 ……でも」


 手元のシャンパンのグラスを見つめる宮田の目が、初めて見るような苦悶を浮かべて歪む。


「ここしばらく、ひとりきりの部屋でのたうち回りました。

 僕は、あの部屋をシェアすることに頷いてくれた須和くんの気持ちを、爪の先ほども考えていなかった。

 あの時の彼の心には、こんな孤独なおっさんの寂しさを埋めてやりたいという優しさが、間違いなく働いていたはずだ。

 なのに、僕が彼にしたことは——

 彼が、信頼できる男と距離を縮めつつある。そう知った瞬間、どうしようもなく恐ろしくなった。どうやったって、自分は勝てない。そもそも自分と彼は最初から釣り合ってない。愚かとしか言いようのないこの恋心も、こんな馬鹿げた動揺も、いつもの『ケッ』で即座に片付けなければならないと思った。挙句、別の男を引っ張り込むような薄汚い芝居で須和くんを苦しめ、追い出すような方法しか選べなかった。彼が新しいものを選ぶ瞬間を見たくない、ただ自分が苦しみたくない、それだけの理由で。

 絶対に失いたくない大切な人にすら、真っ直ぐに向き合えない。ツバを吐くような行動しか取れない。そんな自分自身が、あまりにも無様ぶざまで、死ぬほど苦しくて。

 やっと気づいたんです。本気になるべき時にツバしか吐けない人生など、生きている意味がない、と」


「…………

 すごい……」

 呆気に取られたように、紗香さんが小さく呟いた。

「宮田さん、実はすごい熱い内面を持った人だったんですね……めちゃくちゃかっこいいです……」

 その言葉に、宮田は白目を剥いたようなおかしな視線で紗香さんを見た。

「はあ??

 えーっと。意味がわからないんですが? こんな情けなさ丸出しの薄っぺらいクズ男のどこを取ったらかっこいいって評価になるんですかね?」

「違いますよ、宮田さん」

 まどかさんが、クスッと微笑むように宮田を見た。

「かっこいいって、顔がいいとか、経歴や肩書きがいいとか頭がいいとか、そういう人に出会った時にも言いますけど……でも、本当は、もっと違うものに使いたい気がするんです。

 例えば、表面的な完璧具合とは全く無関係な場所で、心からの本気や誠実さを見せてもらった、そんな時にこそ相応しい言葉なんじゃないかなって……何となく、そう思うんです」

「俺も、そう思うよ」

 みんなの空いたグラスにポツポツ注いでいるうちにシャンパンが空になり、無意識に赤ワインを開けて飲んでいたため微妙に酔いが回っているが、俺もまどかさんの言葉に同意する。

「誰かと向き合う時、ほんとに大事なのって、結局は本気度の強さじゃないかな、ってさ。

 いくら表面が隙なく揃ってても、そういう物質的なものが相手を幸せにするわけじゃないだろ? じゃなくて、一緒にいて楽しかったり、嬉しかったり、温かいなと感じたり……そういうのが、人って一番欲しいものなんだなと、俺も気づいたよ。自分の子どもと向き合ったりして、しみじみ感じるんだ」

 俺たちの言葉に、宮田は無表情な声でぶっきらぼうに返す。 

「君たちが言ってくれるほどの熱い本気度や誠意が僕にあるかどうかなんて、誰にもわからないじゃないか。ついこの前までまともな思考を働かせたことのない野蛮人だったんだから」

「あんたがいくらそうやって自分を卑下しても無駄だ。あんたは誰より細やかで熱い内面を持ってるって、俺は知ってる。

 俺が育児に追い詰められてノイローゼになりかけた時、手を伸ばして力尽くで闇の中から引きずり出してくれたのは、あんただろ?」


「…………」


「須和くんも、あんたの奥底のそういう温もりを感じたからこそ、ルームシェアに同意したんじゃないのか。いくらお人好しでも、同情だけでただの野蛮なクズ男と同居できる奴なんて、この世にいないと俺は思うがな」


 紗香さんもまどかさんも、身を乗り出すようにして宮田に詰め寄る。

「そうですよ! 宮田さん、自分自身のことを知らなすぎです」

「もしかしたら、今の須和くんがあなたにどんな気持ちを向けているかも、真っ直ぐ見ようとしなかったんじゃないですか?」

 

 宮田は、何か変な味のものでも噛み潰したかのような奇妙な顔をして、ぐっと黙り込んだ。









 クリスマスイブの土曜日、夜七時。

 須和は、キッチンでトマトを切っていた。

 もともとあまり器用ではないし、居候先の使い慣れないキッチンや調理器具も今ひとつ馴染まない。だが、実家を出てから少しずつ料理のレパートリーは増え、今は一通りのメニューは仕上げられるレベルになっている。

 レタスを洗おうと蛇口に手を伸ばしたところで、玄関のドアが開く音がした。


「ひー。疲れた」

「バイトお疲れ様です、東條先輩」

 アパートの小さな玄関へひょいと顔を出し、靴を脱ぐすらりと高い背中へ向けて声をかける。

「クリスマスイブまでカテキョこき使うとかオニだなー」

 カバンと荷物をリビングのソファに降ろすと、東條は自分自身も投げ出すように大きな背をソファへ預けてふうっと息をついた。黒いVネックのセーターから出たシャツの首元に指をかけ、一番上のボタンを緩める。

「あはは、でも院生は強いですよね。その分時給いいわけですし」

「まあ、こういうバイトも社会人になったら懐かしくなるんだろうな。来春までの残り数ヶ月、大事に楽しむか」

 濡れた手をタオルで拭い、須和は申し訳なさそうに頭を下げる。

「……済みません。こんな時期に、先輩の部屋に居候しっぱなしで……」

「何言ってんだ。君のおかげで俺もクリぼっち免れたってのに。ほい、これ。チキンとケーキ。それからシャンパンも」

「……え、シャンパンまで……? わざわざ買ってきてくれたんですか?」

 クリスマスカラーのボックスと華やかなペーパーバッグを須和へ手渡しながら、東條はふっと微笑んだ。

「だって、せっかくのクリスマスイブだろ。

 ……それとも、俺と一緒に過ごしても意味がない?」


「……」

 渡された品を手にしたまま、須和はその言葉を飲み込みきれずにドギマギと俯いた。




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