現実(2)
午後2時。マンション建設に反対を示す住民へ向けた説明会が開始した。
「——では、定刻になりましたので、現在◯地区に建設を計画中の新規マンションに関する説明会を始めさせていただきます。
私は、株式会社A不動産専務取締役の大澤と申します。よろしくお願いいたします」
会場前方の主催者席で、神岡の隣に座った大澤がマイクを握り、引き締まった表情で挨拶をする。
「株式会社神岡工務店副社長の、神岡樹と申します。どうぞよろしくお願いします」
大澤からマイクを受け取り、神岡も静かに頭を下げた。
大澤の左横にはA不動産の営業部長、神岡の右横には神岡工務店大阪支店の営業部長がそれぞれ座っている。いずれもこの地域や住民に関する情報を多く持つ社員たちだ。
大澤にマイクが戻り、内容は本題へ入っていく。
「では、お手元にお配りしました資料1ページ目をご覧ください。
これまでも皆様へご案内しております通り、予定されているマンションは、多世代の繋がりをより深めることをコンセプトにした大型マンションです。介護サービス付きのシニア向け住戸は、和風家屋をイメージした内装を取り入れたバリアフリー設計となっており——」
「今日はそういうのを聞きに来たんとちゃうで!」
参加者の一人から、不機嫌な声が上がる。
話を中断された大澤は、すっと小さく息を吸い、穏やかに応じる。
「申し訳ございません。後ほど質疑応答の時間を設けてございますので、ご質問やご意見につきましては、ひと通り私どもの説明をお聞き頂いてからでよろしいでしょうか。その際は、挙手いただいた方へマイクをお渡ししますので」
「何遍も聞いてる話で時間を引き伸ばす気とちゃうんか。さっさとしいや」
さっきとは別の声が、前方へ乱暴に投げつけられる。
大澤から聞いた通り、集まった顔ぶれは殆どが中年以上の男性だ。どの顔も、憮然とした表情で主催者席を見据えている。
どうやら、相当に癖の強い住民たちがここには多く集まっているようだ。
手強い相手の発散する刺々しい空気に、神岡は張り詰めた溜息を小さく漏らした。
「——私共からのご説明は、以上になります。
では、ここからは質疑応答の時間とさせていただきます。
ご意見等のある方は、挙手をお願いします」
大澤の声が心なしか緊張する。神岡も、思わず膝に拳を握った。
すぐに、ぱらぱらと手が上がる。
「——では、前方のお席の方からお受けいたします。今、マイクをお渡ししますので」
脇で控えていたA不動産の若い社員が、最前列で手を挙げている年配の男性へ小走りでマイクを届けた。小柄だが小太りで、押しの強そうな白髪混じりの男だ。
「小出といいます。建設予定地の北側にあるアパートの住人です。
あんたら、わしらからどんだけむしり取れば気が済むんや?」
強く突っかかるようなその口調を、大澤は冷静に受け止める。
「むしり取る、とは……具体的にお聞かせいただけますか?」
「今回みたいなでかいマンションが立てば、うちらみたいなちっちゃいアパートなんぞすっぽりその影になってまうんやぞ。日当たりがいいのがあの部屋のたったひとつの取り柄だったんや。あんたらもそんなんわかっとろうが!?
ビル風もビュンビュン吹くしな。せっまいベランダで干してるうっすい布団なんか簡単に吹っ飛ぶやんか。よう乾かん洗濯物や吹っ飛んだ布団の保証、全部あんたらがしてくれるんか?」
「その件につきましては、日照や風当たりに多少の影響が出ることは大変申し訳なく思っております。しかし、建設予定地域周辺の事前の詳細な状況確認は済ませており、法的に何ら問題ない範囲内での建設でございますので——」
「だから、その『法的に問題ない』とか、そういう言葉で毟り取ってるやろが!」
「……」
「もともといる貧乏な年寄りから大事なものをますます搾り取って、あんたらばっかがますますがっぽがっぽ儲けてな。それでええんかっていうとるんや! その辺どう思うとんのか、ちゃんと聞かせてもらわんと納得いかんわ」
主催者側に、苦い沈黙が流れる。
何も答えられないという状況は、意見に対する対応ができていないのを認めることと同義だ。じっと手元を見つめていた神岡は、顔を上げてマイクを手にする。
「——今回のマンション建設は、決して我々の利益のみを追求するものではありません。この地域を丸ごと活性化させるという大きな目標を含んでいます。実際に、この付近には数年後に大型ショッピングモールの建設も予定されています。それだけでなく、介護福祉施設や病院等、暮らしに欠かせない環境が短期間で整っていくことは間違いありません。
遠からずそれらの利便性が実現するとお考えいただければ——ご納得いただけないでしょうか?」
「ふん。わしら年寄りの一日が、その日その日がどんだけ大事か、考えたこともあらへんのやろ!」
苦々しくマイクを社員に戻した小出に続き、次の手が上がった。マイクを受け取り、立ち上がって一礼する。
「下田といいます。小出さんと同じアパートの者です。
あんた方の目指す『多世代交流』って、一体何なんです? 随分かっこよく聞こえる言葉ですが、それ、本気で実現する気あるんですか?
今回のマンション建設で、うちらが毎日のように集まってた公園がなくなるんですよ。茶飲んで喋ったり、将棋打ったり、近所の小さな子たちに竹トンボの飛ばし方やベーゴマ回し方教えて一緒に遊んだり。小さな公園ですが、そういう場所だったんです。
マンション建設で多世代の交流ておっしゃってますけど、昔ながらのそういう交流の場を潰すことは平気なんかって。随分と矛盾した仕事してはるんですね、あんた方は」
下田は、鋭い眼差しで神岡と大澤をぐっと見据える。余分な肉のない長身が一層威圧感を醸す。
先ほど一旦引き下がった小出が、それに乗じて再び声を上げた。
「その通りや。街のすみっこで必死に生きてる貧しい年寄りの暮らしや生きがいなんか、どーでもええ思てるやろ、あ!?」
「せやなあ。独居老人の孤独死をどうにかせな、って話は聞いたことないで」
「金のある人間にウケることしかやらん。結局金になることしかやらんやないか!!」
「——ご意見のある方は挙手を……」
大澤が必死に場をまとめようとするが、会場のそこここから起こる荒々しい声は高まる一方だ。
神岡の横の大阪支社営業部長が、深く眉を寄せて神岡に囁く。
「何度説得をしようにも、毎回こういう状況です。スケジュールも前に進めることができず、ほとほと困っていて……」
「……これは、難しいですね……彼らが主張していることは、私たちの仕事の範疇外とも言える問題です。行政などとも一体になって取り組まなければどうにもならない……」
そう囁き返しながら、改めて参加者たちを見渡す。
ふと、その中に、若い男の姿を見つけた。
上質な光沢のあるスーツを着た、品の良い男だ。荒れた会場の中で、そこだけ異質のオーラが漂う。彼は会場の後方の壁際に長い足を組んで座り、静かにこの状況を眺めている。
男は、神岡と視線が合うと、小さく微笑んで綺麗な会釈をした。
会場の状況がこの上なく乱れ、縺れに縺れた応酬の末、主催者側が反対派住民の過半数を納得させられる回答を準備するという条件で、その日の説明会は一旦終了となった。
ペットボトルのお茶を大きく呷り、はあっと大きくため息を吐きながら宿泊先のホテルへ向かう神岡に、背後からふと声がかかった。
「神岡副社長」
「——は?」
振り向くと、夕暮れの中に男が立っていた。
先ほどの説明会場にいた、あの若い男だ。
すらりと美しい立ち姿から一歩踏み出し、彼は整った顔を崩して人懐こい笑みを浮かべた。
「この後、何かお仕事のご予定はありますか?」
「…………」
「不躾に、大変失礼いたしました。私は、こういう者です。
もしよろしければ、これから少しお話しするお時間をいただけないでしょうか?」
「——……」
品の良い身のこなしで差し出された名刺を確認し、神岡は改めてその男の微笑を見つめた。
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