Happy Birthday
年が明けた。
元日、午前11時。
神岡家の実家の広い居間に、俺たち一同は顔を揃えていた。
神岡の両親、俺の両親、そして神岡と俺。俺たちの膝の上に、晴と湊。
風のない快晴の青空。和室の大きな窓から明るい日差しが差し込み、華やかなおせち料理とバースデーケーキの乗った賑やかなテーブルを明るく照らす。
「あけましておめでとうございます。
こうして全員の顔が揃い、今年はこの上なくいい正月になりました。
同時に、今日は晴と湊の1歳の誕生日でもあり——こんなにも輝くような新年を迎えるのは、はっきり言って人生で初めてです。
今年も、みんなで素晴らしい一年にしましょう」
義父の充が屠蘇の盃を掲げ、新年の一言め早々微かに声を詰まらせてそんな挨拶をする。
「あけましておめでとうございます」
それぞれに掲げた鮮やかな朱塗りの小さな盃を口に運び、新年の慶びを祝い合う。
俺と神岡の膝に抱いていた晴と湊は、新年の挨拶が終わったと同時に待ちきれないようにモゾモゾと膝を這い出し、リビングのプレイマットに用意されたおもちゃやジムに向かって突進していく。朝の離乳食は家で済ませてきており、エネルギーもしっかり充填されてもう遊びたくてたまらないようだ。柔らかいトレーナーと動きやすいコットンパンツスタイルの二人は、小さな手でジムにしっかりつかまり、もこもこと愛らしくお尻を動かして伝い歩きを披露する。こうしてみるともう立派な男の子だ。
「いやあ、それにしてもちょっと見ない間に立派になった! 晴、湊、誕生日おめでとう!」
「去年のお盆休みから4ヶ月半しか経ってないのに、はるちゃんもみーちゃんもこーんなにおっきくなっちゃって。予想はしていたつもりだったけど、あんまり可愛くなってるからびっくりしちゃったわ」
俺の両親がまさにデレデレな笑顔で孫たちの姿を見つめる。昨日、大晦日の午後にこちらへ到着予定だった両親は、なんだかんだで到着時間が夜にずれ込み、俺たちのところへ顔を出せないまま宿泊先のホテルへ直行せざるを得なくなった。そのため、俺たちはついさっきうちの玄関先で合流したばかりだ。両親とも、まだまともに晴と湊の成長ぶりを確認できていない状態である。
「二人ともまさに天使ですな。あの二人のおかげで去年はいいことずくめでした。心から愛おしいものの存在というのは、何か新たな力を与えてくれるような気がしますね」
「本当に。孫たちの成長を間近で見守れるなんて、こんなに幸せなことはないって、充さんと毎日のように話してるんですよ。うふふ♪」
義父母もまた目尻をトロッと下げて、うちの両親と感慨深げに頷き合っている。
俺は宴のテーブルを離れ、プレイマットの上で子供たちの遊ぶ様子を見守りながら、二人のお気に入りのおもちゃをトートバッグからおもむろに取り出した。神岡とこっそり目配せをし合いつつ。
「ほら〜晴、湊。これ、なーんだ?」
二人に向けてチラつかせた青と黄色のミニカーに反応し、二人はぱっと嬉しそうな笑顔になり、口々に愛らしい声を発した。
「あー。ぶーぶ!!」
「ぶーう!!」
「……」
この光景を目の当たりにした両親と義父母は、同時に呆気に取られ言葉を失った。
そう。彼らはとうとう、最初の言葉を覚えた。お気に入りのミニカーを「ぶーぶ」と呼ぶようになった。晴の方がはっきりと発音しており、湊はまだ「ぶー」とか、「ぶーう」であるが。
「そうだよ、ぶーぶだ。ほら、ここにあるぞー。おいで」
膝の上にミニカー二つを置き、二人へ両腕を広げた。
すると、湊がジムから手を離し、俺の方へ向けて一歩を踏み出した。
危なっかしい足取りながら、湊は二つの足で一生懸命地面を捉え、小さな両手を俺へ向けて伸ばしながらこちらへ進んでくる。
俺の目の前までやってくると、「できたよ!!」とでも言うような満面の笑顔でぱふっと俺の胸にしがみついた。
もう一つの記念すべき成長。ほんの数日前、湊が歩き始めたのだ。
支えから手を離して二本の足で歩く、というのは、きっと赤ちゃんにとって大きな勇気がいることだろう。けれど、一度成功させると、その楽しさを理解したかのように湊はよちよち歩きを上達させた。晴はそんな弟の姿を例の如く興味深そうにじいっと見つめている。晴が歩き出すのも間もなくだろう。
「……まあ」
母が、やっと短く声を漏らした。言葉を探しあぐねたような、小さく震える呟きだ。
「こんな短い時間で……こんなにも育つものなのか」
父も、何か興奮したようにそんなことを呟く。父もまた、子供の成長を
「赤ちゃんの成長って、マジですごいんだね。俺たちもほんとに毎日驚きっぱなしだよ。全身の神経や感覚が、一気に凄まじいスピードで発達しているんだなってはっきり感じる」
俺の膝で黄色いミニカーを手にしてご満悦な湊の柔らかい髪を撫でながら、俺は両親にそう答える。
神岡も席を立って晴を抱き上げ、俺の向かい側に座って言葉を続けた。
「けれど……こういう驚きは、毎日この小さい命とじっくり向き合うからこそ見えるものなんですね。
もしも僕が育休を取ることなく副社長の仕事に追われていたら、子供たちの成長など恐らく全て見逃してしまっただろうと思います。
僕がこうして育児に向き合う時間をもらえたことは、父親としてこの上なく幸福なことだと、今改めて噛みしめています」
神岡は、そう言うとまっすぐ義父に眼差しを向けた。
「父さん、ありがとう。周囲の反対を抑えて長期の育児休暇を承認してくれて。
——心から、感謝してる」
「ぶーぶ!」
「うん、ぶーぶだな。晴のぶーぶ、かっこいいな」
神岡の膝で青いミニカーを掲げて嬉しげに声を上げる晴に、神岡は満面の笑みで答え、そのぷくぷくな頬に強く頬擦りした。
はー、まずい。
何だか涙が出てきてしまいそうだ。
「——私も、孫たちが生まれてからのこの一年は、新たな問題にもいくつも向き合った時間だった」
何かをぐっと抑え込むように小さく鼻を啜り、義父が穏やかにそう答える。
「だが、それらの問題は、晴と湊がここに生まれて来てくれなければ向き合うことなどなかったはずの、何よりも尊い苦悩だった。
男性社員の育休取得を促進するための社内規定の見直しや、子供達の将来の選択肢のこと……そして、家族というのは様々な形があっていいのだという柔らかい価値観。
新たな命が、『生まれてきてよかった』と感じられる未来。それを勝ち取るために、私たちは古臭い価値観を一つ一つ突き崩していかなければならないのだと——そのことを痛感したよ。
そして私も、今目の前にある全てのものに、心から感謝している」
義父は、初めて見るような深い喜びに満ちた笑顔を浮かべた。
こういう日を迎えられて、よかった。
そんな思いが、胸の奥から止めようもなく溢れ出す。
今度こそ、目の奥がぐっと熱く突き上げて、堪えきれなかった。
「——神岡さん。
息子と孫たちをこんなにも深く思ってくださり、ありがとうございます。我々も、これ以上嬉しいことはありません」
父が、改めて義父と義母に深く頭を下げる。
「普段まとまった時間を作れず、こうして会いにくることもなかなかできない状況で、私たちも申し訳ないやら寂しいやらで……ぶっちゃけこっちに引っ越してきちゃおうか、なんて二人で話しているところなんです、うふふ♪」
母が、その隣でさらっとそんなことを言う。
「え……それ、まじ?」
「んー、もしかしたらの話だけどね♪ 横浜の家は貸し出しちゃって、こっちにマンション買うのもいいねーって。どうせ歳取ってきたら大きい一軒家の維持管理も大変だしねえ」
「ほう……それはまた明るいニュースですな! おおそうだ、でしたら将来的に我が社の新規事業へもぜひご協力のご検討を……」
「おお、いいですな! 我々もどれだけお役に立てるかはわかりませんが、条件が合いましたら是非……」
さすが、双方ともビジネスチャンスは逃さない。つくづくやり手な人たちである。
そして俺も、両親がすぐ側に越してくるならば、こんなに嬉しく安らぐことはない。
「あ、そうだ。今日は暖かいし、この後近所の神社にお参りして、みんなで近くの公園に散歩に出かけませんか?」
「じゃあ、凧揚げはいかがでしょう? よく上がるのを厳選して横浜から持って来ましたので♪」
「凧揚げ! うわ〜久しぶりだわ〜♡ じゃあ動きやすい服に着替えなくっちゃ!」
義母と母はそんな話で盛り上がっている。
「いいお正月になったね、柊くん」
神岡が、満ち足りた笑顔で俺を見つめる。
「ええ、本当に。凧揚げ、いいですね! 樹さんもちょっと運動しなきゃですもんねー最近お腹周りが微妙に」
「え、嘘!?」
「ふふ、冗談ですよ」
「はー、びっくりした……」
「青空に上がる凧、きっと晴も湊も喜びますね」
「うん、そうだな」
俺たちも、子供たちを胸に抱き上げながら笑顔を見合わせた。
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