少年の佇まい

 クリスマスイブを二日後に控えた水曜、夕方5時半。

 俺たちは、キッチンで晴と湊に離乳食を準備していた。離乳食も後期に入り、一日3回の食事がすっかり定着した。規則正しいリズムの生活は健やかな成長のために欠かせない。最近の子供たちの夕食は毎日だいたい午後6時と決めている。

「よし、できたぞ。野菜とポテトのお焼き完成!」

 黒のエプロンをつけた神岡が、フライパンの前でドヤ顔を見せる。この男はこういうエプロン姿もたまらなくセクシーだ。我が夫ながら一瞬見惚れる。


 子供たちの離乳食は、月齢に合わせてどんどん変化していく。生後11ヶ月になると摂れる栄養素も多くなり、メニューにも新しいレパートリーがどんどん増えていく。

 成長に従い、二人の食べ物へ見せる興味にも少しずつ違いが出てきた。湊は特にこだわりなく「それ何? 食べてみたい!」という欲求を見せるが、晴はまず対象の色や形ををまじまじと観察するようなところがある。二人とも、手を伸ばして指で掴み、触ったり確かめたりしながら口に運ぶことに強い意欲を見せるため、最近は「掴み食べメニュー」をあれこれ取り入れているところだ。

 今日の「野菜とポテトのお焼き」も、手で掴んで口に運ぶ楽しさを存分に味わえるメニューの一つだ。じゃがいもを蒸してつぶし、茹でたにんじんと小松菜のみじん切りを混ぜ込んで小さな小判型に成形して焼くというレシピである。


「お皿に手を突っ込んだりぐちゃぐちゃにかき回したり、最初は悪戯をしてるようにしか思えなくて困りましたけどね。それを叱っちゃダメなんだ、と藤堂先生にビシッと言われたときはハッとしましたよね」

 神岡の横で使った皿を洗いながら俺はしみじみと呟く。二人の食事時の派手な散らかしっぷりには、ほとほと手を焼いたのだ。

「口や手だけじゃなくて、服やテーブル、その辺り一帯が大っぴらに汚れるしな。つい叱りたくなるけど、それも大事な成長過程の一つだったんだな。大人しく椅子に座っておりこうに口を開けて待っている赤ちゃんを正しいとイメージしてた自分の意識は大間違いだったと、目が覚めた気持ちだったよ」

「触りたい、確かめたい、っていう好奇心は、心が健やかに成長している証拠ですもんね」

 焼き上がったお焼きを皿に移しながら、神岡もうんうんと頷く。  

 

 充分冷ましたお焼きを二つのトレーに盛り、細長く切って出汁で煮たブロッコリー&大根スティックをその横のスペースに彩りよく乗せる。これも楽しく手掴みできるメニューで、まとめて作って冷凍保存もできるお助けレシピだ。

 既に作ってあった豆腐とほうれん草のスープを小さな器二つによそい、デザートにバナナのヨーグルト和えの小皿を乗せた。ベビー用マグに麦茶を注ぎ、完成したかわいいトレーを2つリビングへ運ぶ。


「晴〜、湊〜、ご飯だよ。お待たせ!」

「うおうう!」

「んまんまん〜!」

 この声かけに、二人はこの上なく嬉しそうな反応を見せてくれる。同時にこっちを向く二つのふっくらと丸い笑顔。見るものにこれほど幸福感をくれるものはないと断言できる。

「よし、じゃあご飯の前に、お片付けな」

 なんと、最近二人はおもちゃをお片付けすることを覚え始めた。散らかったおもちゃを拾って収納ボックスに戻す俺や神岡の様子を見ていて、その真似をしているらしい。身の回りに散らばったミニカーやブロックを掴んで、拙い手つきながら大きなボックスにちゃんと入れる。二人のこの姿にはその都度心の底から感動する。これも彼らにとっては遊びの一つなのかもしれないが。

 あらかた部屋が片付いたら、二つの食事用ハイチェアそれぞれに晴と湊を座らせ、スタイをつけてお待ちかねのお食事タイムだ。

「いただきます!」

 挨拶を合図に、目の前のトレイに元気にふたつの手が伸びる。


 美味しいという感覚は、その芽吹いたばかりのまっさらな神経をダイレクトに刺激するようだ。新しい味や好きな味を口にした時の彼らの顔や目には、「美味しい!」という新鮮な喜びが弾けるように溢れ出る。小さな指でしっかりと食べ物を掴み、全身全霊を傾けるように噛み味わうその姿に、食べることの意味を改めて目の当たりにする。

「……二人ともめちゃくちゃうまそうに食べるよな、それにしても」

「そうですね……こんなふうに食べてもらえると、作る方も幸せですね」

 小さなスプーンを二人の口に運び、彼らの「おいしい顔」をデレッと見つめながら、毎回こんな会話を飽きずに繰り返す俺たちである。 

 二人の前の皿は見る間にきれいに片付いていく。手掴みできるメニューがあると、スープなどには手を突っ込まなくなるのもいいところだ。デザートのバナナヨーグルトを幸せそうに味わい終え、二人とも大いに満足顔だ。汚れた小さな口の周りと指を、ウェットティッシュで綺麗に拭き取る。

「ごちそうさま!」

 食事を締めくくる挨拶をして、スタイを外す。食事で十分満たされるのか、最近は食後のミルクを欲しがらない日も多い。少しずつ、卒乳の日が近づいているのだろう。

 僅かずつ赤ちゃんから少年らしい佇まいに移り変わっていく彼らを見つめるこの日々は、自分自身も辿ってきた「成長」という道のりをもう一度目の前に見せてもらえるような感動に満ちている。穏やかで幸せな時間ばかりでは決してないが、だからこそ、子供の成長を見つめることはまさに親を成長させてくれるのだと、今俺たちは身をもって味わっている。







「お、もうすぐ7時だな。

 晴、湊。今日はこれからお客さんがいっぱい来るぞー。いつもみたいに静かなねんねタイムにならないかもしれないが、まあクリスマスだし、たまにはいいよな?」

 ご機嫌な二人を椅子からプレイマットへ下ろしながら、神岡がどこか悪戯っぽい顔で二人に話しかける。

 今日は、この後7時半から、我が家でクリスマスパーティを開催予定なのだ。

 宮田の休日が水曜なため、タイミング的にはちょっと中途半端だがやむを得ない。参加者は、紗香さん、優愛ちゃん、紗香さんの友人のまどかさん、宮田、須和くんという顔触れだ。うちの息子達とタメの陸くん、陽奈ちゃんは、それぞれ紗香さんとまどかさんのパパやご両親が家で見ていてくれることになっているらしい。おチビたちが全員集合ではパーティ会場が保育所になってしまうから、という配慮をしてくれたようだ。

「柊くん、準備はもう大体済んでるよね?」

「ええ。離乳食作る前に下準備した分で全部です」

「しかしチーズフォンデュっていうメニューは名案だな。下準備って言っても、野菜やソーセージ下茹でしたり、バゲットをスライスしたりしただけだもんな。片付けも手間がかからないし、何より雰囲気がクリスマスっぽくていいよね。フォンデュ鍋の下でチラチラ揺れる蝋燭の炎がなんとも聖夜な感じで」

「でしょ? 鍋はちょいちょいやってる感じがあるし、女性陣もいるのにクリスマスに焼肉ってのも何だか雑過ぎるかなーと思って、いろいろ考えた末のアイデアです。ディップする食材の下準備ができちゃえば、あとは熱々のチーズを用意するだけでパーティメニューになるって凄いですよね〜。

 今日のチキンは宮田さんと須和くん、オードブルっぽいものは紗香さんたちが差し入れてくれることになってます。楽しみですね」

「クリスマスケーキも手作りできれば最高だが、流石にそこまでは手が回らないよな。人気パティスリーで予約したものだから味は間違いないはずだが」

「優愛ちゃんのリクエストの『白くて苺とサンタさんが乗ったかわいいケーキがいい!』って言葉通りの品物が買えましたね。優愛ちゃん喜ぶだろうなあ」

 ダイニングテーブルに、グラスや皿、フォンデュ用のチーズを温める準備をしながら、自分自身もどこか気分がはしゃいでいることに気づく。クリスマスというのは、いつになっても心が浮き立つ不思議なイベントだ。

「チキンは宮田くんが自分で作るんだって?」

「ええ。なんかすごく自信ありげです、って、数日前に須和くんからメッセージもらいましたけど……あの二人、ルームシェア始めてから実際どうなんでしょうね?」

「今月初めから同居スタートだったよな。とりあえず約3週間一緒に過ごしたことになるが……二人がどんな顔で来るのか、実はかなり興味ある」

「俺もです」

 顔を見合わせ、思わずククッと小さな笑いが出る。


 今日は人数が多いので、フォンデュ鍋はテーブルに二つ用意した。あの独特の長いフォークも大人の人数分。優愛ちゃんには、小さくて可愛い子供用フォークを用意した。

 二つの鍋の下に蝋燭をセットし終えたところで、家の呼び鈴が鳴った。

「んぶんぶ!」

「だー、だあ!」

 この音が鳴ると、家の中の空気が賑やかになることを知っているのだろう。プレイマットの上で遊んでいた子供たちが楽しげに反応した。



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