手花火(2)

「じゃ、火つけますよー」

 須和くんが、俺と神岡が手にした花火の先にライターで火をつけた。

 プシュッと勢いよく吹き出す色鮮やかな火花。夕闇の中、集まった笑顔が照らし出される。

 独特に香ばしい火薬の匂いが辺りに立ち込めた。


 父が晴、母が湊を胸に抱いてベンチに座り、子供達を優しく揺らしながら明るい光を見つめている。

「あ、あうー」

 初めて見る輝きへ、晴が手を伸ばす。

「うん。きれいだな、晴」

 父が、優しく微笑んで晴へ語りかけた。

 湊は、その眩しさに驚いたようだ。母のブラウスを小さな手でぎゅっと掴んで表情を硬くしている。

 母はそんな湊の身体を守るように柔らかく包んだ。

「みーちゃん、花火よ。きれいでしょ? 怖くないから大丈夫」

 どうやら母は、湊を「みーちゃん」と呼ぶことにしたらしい。桜色の頰やクリクリの瞳、色素の薄い髪など、女の子に間違われることも多い湊に、「みーちゃん」……ますます変な虫がつきそうな気がしてならない心配性の俺である。

 改めて比べると、晴は髪も黒くて硬めで、眉もはっきりとしたキリリ眉だ。少しずつ、二人の特徴がはっきり分かれてきていることに気づく。


「母さん、みーちゃんってのはどうなんだ? ちょっと女の子っぽくはないか?」

「いいじゃない、ちょっとくらい女子的でも。女子力高い男子は絶対モテるようになるんだから」

 辻褄が合ってるのか合ってないのかよくわからない会話をしながら、両親は顔を見合わせて楽しげに笑う。


 ——ふと、俺の胸にたまらなく温かいものが湧き上がった。


 両親の幸せそうな笑顔をこうして見られるのは、子供にとって最高の喜びなのだ。

 それは、初めて味わう深い幸福感だった。



 自分の花火が燃え尽きた神岡は、カラフルな紙の巻かれた一本を花火の束から抜き取ると、須和くんに差し出した。

「はい、須和くんも。花火って、自分で持つと楽しさ倍増するよな」

「ありがとうございます」

 須和くんは嬉しそうに受け取り、神岡が灯す火にその先端を近づけた。

 彼のはライトグリーンの火花だ。


 華やかな輝きを楽しげに見つめていた須和くんは、ふと小さく呟いた。

「……こういうの、すごく久しぶりです」


「確かにな。家族で花火なんていうのは、子供が大っきくなっちゃうとあまりやらなくなるものだな」

 父のそんな言葉に、須和くんはどこか寂しげに小さく微笑んだ。

「いえ……そういう感じとは、少し違って。

 何というか……ないんです、こういう優しい楽しさが。うちの家族には」


 皆黙ったまま、須和くんの言葉を受け止めた。



「俺の両親が口にするのは、『恥ずかしくないように』とか、『世間に顔向けできるように』とか……何か、楽しくない響きの言葉ばかりで。

 俺は、子供の頃からそんなことを言われ続けてきました。

 昔は、何となく聞いて、『何でも真面目にやっていればいいんだ』なんて単純に思ってましたけど……二人の口癖のようなその言葉の意味を深く捉え始めた頃から、少しずつ薄暗い疑問が沸くようになりました。

『恥ずかしくない』とか『恥ずかしい』って、何なんだろう、と。 

 親にとっては、出来の良い子供だけが可愛くて、出来の悪い子供は、『恥』なのか?——そして、恥ずかしい子供がいては、世間に顔向けができないのか?

 そんなことを考えれば考えるほど、どろりと黒い何かが嫌でも胸に溜まるんです。


 俺は、両親に満足を与えられる息子じゃありません。それは、もうはっきりしてる。

 つまり俺はこれからもずっと、両親から『恥ずかしい』としか見られないのか。俺のせいで、彼らは世間に顔向けができなくなるのだろうか。

 そんなことを思うと……何か、息が詰まりそうっていうか……」


 明るく言い終えようと、彼は微笑んだ。

 けれど、彼の花火はもう燃え尽きてしまっている。



 自分は、両親に満足を与えられる息子じゃない。

 彼のその言葉は、暗に自分の性的指向のことを言っているのだろう。


 彼の両親の口癖の冷ややかさが、改めて深く胸に刺さる。


 神岡は、黙々と花火を灯し続けている。

 俺も、須和くんへ向ける言葉が見つからないまま、次の花火を抜き取って火を点けた。



「——須和くんは、"Queen"は好きかい?」

 父が、晴を抱いたまま静かに立ち上がり、須和くんに歩み寄りながら穏やかに問いかけた。


「……え?

 ええ、好きです……アルバムもいくつか持ってますけど……」

 唐突な質問に、須和くんは少し戸惑いつつそう答える。

「そうか。偉大なバンドだよな。

 ——君は、ボーカルのあの奇抜なファッションやスタイルを『恥ずかしい』って思ったこと、ある?」

「そんなこと、思うわけありません。あれじゃなければフレディじゃないって思いますし」


 父は、柔らかく微笑んだ。

「なるほど。

 でも、あれって、普通の男がその辺のステージでいきなりやったら、どうなんだろう?

『こっぱずかしい』って白い目で見られたり、顰蹙ひんしゅくを買ったりしそうじゃないか?


『恥ずかしい』なんていう基準は、そもそもどこにあるんだろうな。一体誰目線なのか。そして、そんな曖昧な基準を誰かから無理矢理押し付けられ、盲目的に従わなければならないものだろうか?

 誰かの『恥ずかしい』が、必ずしも全ての人に当てはまるとは限らないだろう?」


 意表を突かれたような須和くんの顔を、父は真っ直ぐ見つめる。


「フレディは、親や周囲が自分に向ける評価に縛られなかった。多くの既成概念をぶち破り、偉大なものを作り上げた。

 彼がもし、両親の守る厳格な生活習慣にただ従い続ける男だったら、『フレディ・マーキュリー』は生まれなかっただろう。


 つまり、親や周囲の価値観は、絶対ではない。

 ——これだけは、はっきり言えることだ。


 そして君は、親の望むストライクゾーンに収まろうと必死になる必要はない。

 日々を真剣に生きる君の姿に、もし親が落胆し、ため息をつくならば、勝手につかせておけばいい。

 君の人生は、ご両親のものじゃなく、君のものなんだから。

 誰にも縛られない自分自身の価値観を持って、自分が納得できる生き方を自由に探せばいいんだよ」


 父の声が、穏やかな温もりを持って響く。



 じっとその言葉を聞き、暫く沈黙していた須和くんは、顔を俯けたまま小さく呟いた。


「……それでも、いいんでしょうか……」

「ああ。それでいいんだ」


 無言で何本もの花火を消化していた神岡が、ぼそりと呟いた。

「——須和くんの苦しみが、僕もよくわかるよ。

 僕も、親から少なからず生き方や価値観を強制されてきた人間だから」


「……神岡さんも、ですか?」

「うん。

 ほら、うちはああいう環境だから。次期社長っていうのがもう当然のことになっててね。物心ついた頃には、僕の選択肢はがっつり限られて……」


「——え? 次期社長??」

「……あれ。柊くん、彼に話してないの?」

「あーーそうそう。須和くん、神岡は『神岡工務店』の副社長やってるんだよ。言ってなかったっけ?」


 俺の情報に須和くんはざあっと青ざめ、口元を掌で覆って大きく一歩後ずさった。


「…………

 神岡工務店の、副社長……

 マジか……

 ……俺、めちゃめちゃすごい人と花火やってたんだ……」


「はははっ、実際は全然すごくないってわかっただろ?」

 須和くんの動揺っぷりに、神岡は楽しそうに笑う。


「僕も、柊に出会って、自分で自分の道を切り拓く大切さにやっと気づいたんだよ。

 流されるのをやめて、自分の意思をしっかりと持たなければ、本当の幸せは手に入らないんだということをね」



 神岡の持つ花火の紅色の輝きが、少しずつ小さくなる。

 すっかり夜に移り変わった空をふっと仰ぎ、須和くんはひとつ大きな息を吸い込んだ。


「——こういう話をしてくれる人たち、今まで俺の周りには、誰もいませんでした……


 何か、胸の上にずっと乗っていた重石が取れたようで……

 呼吸が、気持ちいい。

 今やっと、酸素が肺一杯に流れ込んだ感じです。


 ……ありがとうございます、皆さん」



 次々に零れ出る涙を、須和くんは上を向いたままぐしぐしと手の甲で拭った。 



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